鉄道ホビダス

私鉄・気動車の最近の記事

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1989年に1輌のみ増備された、富士重工製の軽快気動車である。保有していたイセI形とは前面が貫通型となり運転席も中央から左端へ設置された。2003年には新規車輌(イセⅢ形)投入に伴い、2005年9月30日に営業終了しミャンマーへ輸出された。 '03.8.11 関西本線 四日市 P:長岡行夫

関東鉄道キハ100形

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関東鉄道キハ100形は、1997年の水海道〜下館間のワンマン運転化に伴い、キハ300形を改造して登場。キハ101〜104の計4輌が登場した。1998年にキハ2200形が導入されたことによりキハ103と104はワンマン運転関連機器が撤去され、元のキハ300形に改番された。その後はキハ101とキハ102の2両が活躍を続けて、キハ101は朱色1色、キハ102は常総筑波鉄道時代の白と紺色のツートンカラーで運転していたが、2013年12月を最後に運用から離脱、長期間留置されていたが、2017年1月に開催されたイベントを最後に引退した。引退後は茨城県筑西市にある「ヒロサワシティ」で保存されることになった。 '17.1.8 関東鉄道 常総線 水海道車両基地 P:福田智志

伊勢鉄道 イセ1形

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伊勢鉄道は旧国鉄伊勢線を引き継いで1987年3月27日第三セクターとして設立した。イセⅠ形は伊勢鉄道開業用に新設されたもので、富士重工業が開発した気動車で3輌在籍し車体は15.5m、前面は非貫通構造で運転席は中央に配置されていた。老朽化のため、2004年12月31日限りで運用を終了し、全車が廃車となりミャンマーに輸出された。   '89.8.12 伊勢鉄道 四日市 P:長岡行夫

岩手開発鉄道 キハ301

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1952(昭和27)年に新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で夕張鉄道キハ200形として新製された国鉄のキハ07形とほぼ同一設計の半鋼製車体の気動車で、キハ201とキハ202の2両のうちの1両である。夕張鉄道の旅客営業廃止によって1975(昭和50)年にキハ202が岩手開発鉄道に譲渡され、その際に僚車であるキハ201の部品を組み合わせて岩手開発鉄道キハ301となった。夕張鉄道時代に機関と変速機の間に流体継手が使用された珍しい構造に改造され、その後エンジンをDMH17Cに換装し、暖房を温水及び排気暖房からウェバスト式暖房に改造して暖房能力が増強されている。外観上は側面中央の扉を埋めて2扉化するとともに、動台車側一部のみロングシートとしてセミクロスシートから転換クロスシートに変更し、さらに開閉窓のアルミサッシ化と固定窓のHゴム化、扉のプレスドア化やタイフォンの正面中央窓上への移設などの改造を受けている。岩手開発鉄道では主力のキハ202に比べて大型であったが、機械式であるために予備車的な扱いであり、暖房設備がキハ202より強いことから、キハ202の検査時以外は厳冬期に若干使用される程度であった。岩手開発鉄道でも2度目の旅客営業廃止に遭遇し、廃車後は個人に売却されたものの引渡しがされず、2001(平成13)年7月に解体された。 '88.9.7 盛機関区 P:前 直也

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第41回 交通図書賞 奨励賞受賞

筑波鉄道 キクハ11

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1957(昭和32)年に新製。常総筑波鉄道ホハ1001として竣功したが、すぐにキサハ53に改番された。後にエンジンを搭載して初代キハ511となったが、後に再びエンジン外してキクハ11となった。常総線水海道機関区に所属していたが、筑波鉄道分社後に真鍋機関区に移り、同線廃止直前に廃車解体された。 '78.8.30 真鍋機関区 P:前 直也

鹿島臨海鉄道 7000形

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1992年7月、電源移出県等交付金にて製造された茨城県所有のリゾート車輌である。1998年12月までは快速「マリンライナーはまなす」として定期運用された。しかしその廃止により数少ない臨時列車に運用されるのみとなった。老朽化により2010年3月に運用を離脱、長らく神栖駅で保管されていた。2015年10月廃車となり個人に売却された。 '08.5.4 鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線 大洗 P:楢井勝行

小田急電鉄 キハ5002

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御殿場線乗入れ用として、1955年東急車輛で新製。特別準急として1968年6月30日まで運用された。御殿場線電化のためSSEと交代し同年7月1日、関東鉄道に移籍、キハ752となり1988年9月廃車。写真は1961(昭和36)年の厚木駅から新宿方を見たところで、貨車がある線路の右手は相模線と接している。左奥一面の田圃と丘の交わるところが海老名駅で、電車の着発が厚木駅から連続して見ることができた。 '61.11.12 上り「銀嶺」 小田急電鉄 小田原線 厚木 P:髙澤一昭

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元 江若鉄道キニ12形。1937(昭和12)年日本車輌製の機械式ガソリンカーで、戦後ディーゼルに改造された。1969(昭和44)年、江若鉄道廃止後、1970年に岡山臨海鉄道が購入。1984(昭和59)年の廃止まで活躍した。岡山市内に保存されていたが。解体された 1983.9 大元 P:山下修司

筑波鉄道 キハ811

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もと雄別鉄道キハ104。1962年新潟鉄工製で、104 、105はほぼキハ20の窓配置にキハ22の小型1段上昇窓を組み合わせたような独特の形態をもっていた。1970年、雄別鉄道廃止にともなって同系列6輌すべてが関東鉄道に移り、唯一片運転台だった106のみ常総線に配置、残り5両は筑波線に配置された。筑波線が筑波鉄道として分離された後もそのまま残ったが徐々に廃車が進み、1987年の路線廃止時に残っていたのは811のみだった。これは廃線を1週間後に控えた土浦駅での姿。 '87.3.25 土浦 P:小西和之

関東鉄道 キハ350形

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1987年〜1992年国鉄事業清算団とJR東日本からキハ35を19輌とキハ36を5輌購入、ドアステップの埋め込み・キハ35のトイレ撤去・塗装変更を行いキハ350形351〜3523の23輌が1988年より常総線に投入され同線の旧型車を置き換えた。1989年から全車に冷房化改造、1983年〜1996年10輌にエンジン交換(DMF13HZ:230PS)と変速機交換(DF115A)、が行われた。自社発注の新型車配備により1997年から引退が始まり2011年10月に運用から退いた。17輌は廃車であるが6輌は休車となっている。写真は最後まで現役であった 3511(元キハ35-187)+358(元キハ35-113) である。引退前の2か月間惜別のヘッドマークが取り付けられた。 '11.10.8 常総線 黒子-大田郷 P:楢井勝行

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1968年に新潟鐵工所で製造された両運転台の自社発注車、先頭部は切妻非貫通、側面は、出入りドアは2箇所、窓は上段固定で下段上昇式となっていた。終点の岩手石橋行きは朝、夕に1往復、途中の日頃市まで朝1往復と、朝に乗車するには盛で宿泊しなければならなかった。1992年4月に旅客営業が廃止になり、しばらく盛駅構内に留置されていたが2002年に解体された。 '92.3  岩手開発鉄道 岩手石橋 P:藤村岩雄

会津鉄道 キハ8500

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JR東海キハ85系の名鉄版して1991年3月に登場、老朽化の進んだ名鉄キハ8000系を置き換えた。2001年9月「北アルプス」が廃止されると会津鉄道に移籍、「AIZUマウントエクスプレス」に使用され東武鉄道鬼怒川温泉やJR磐越西線喜多方まで乗り入れた。特急列車の設備とキハ85系同等の走行性能を有していたが会津鉄道にはいささかオーバースペックであり2010年5月に引退した。 '07.12.23 磐越西線 喜多方 P:楢井勝行

MR-100形 MR-200形

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1988年4月に第三セクターの松浦鉄道 西九州線が開業する際に、新潟鉄工所(現・新潟トランシス)により前面貫通形のMR-100形が11両、前面非貫通形のMR-200形は5輌が製造された。両形式とも16m級のセミクロスシート車で基本構造は同一である。開業以来、有田-佐世保間の全線で運用されてきたが、製造から長期間が経過し老朽化が進んだことから新形式のMR-600形に順次置き換えられ、MR-200形は2007年中に運用が終了。MR-100形についても111、125、126の3両が2012年3月25日にラストラン・イベントを行い運用が終了した。 '89年 松浦鉄道西九州線 たびら平戸口 P:田井 直

別府鉄道 キハ101

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1934年川崎車輌製。元・国鉄キハ41057。1952年、同和鉱業片上鉄道に譲渡されキハ301となる。1974年に別府鉄道へ入線し。1984年の廃止まで使用された。野口線で運用についていたが、盆・正月の貨物運休の期間か、臨時運行の時には土山線でも顔を見せた。加古川市内に保存されていたが、2008年に解体されてしまった。  '75.8 土山─中野 P:芝地寛之

近江鉄道 LE-10形

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昭和61年(1986)に導入された、富士重工製2軸LE-Carで4輛在籍した。八日市-貴生川間のワンマン化・内燃化によるコスト削減が目的だった。近江鉄道としては初の冷房車であったが、輸送力が小さく、コスト削減効果も上がらなかったことから、平成4年(1992)以降前記区間の電車運転が復活された。平成8年(1996)10月以降運用を外れ、平成9年(1997)には休車扱いとなった。平成16年(2004)7月、全車が除籍され、現在はLE-13のみが近江鉄道ミュージアムに展示されている。 '91.5.30 近江鉄道 彦根工場 P:北村 拓

別府鉄道 キハ3

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1984(昭和59)年の別府鉄道終焉まで活躍した鮮魚台付き気動車。1930(昭和5)年日本車輌製。佐久鉄道キホハニ56→国鉄買収→三岐鉄道キハ6という経歴をもつ。別府鉄道へは1959(昭和34)年の譲渡。現在長野・佐久市「成知公園」に保存されている。 '74.8 別府鉄道 野口線 土山-中野 P:芝地寛之

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1955年日立製作所製。元留萌鉄道キハ1001で、1970年留萌鉄道休止にともなって1002、2004、2005とともに茨城交通に譲渡された。1001は1986年に廃車、1002は1989年に廃車となっている。 '70.3.21 勝田 P:大野 亨

九十九里鉄道 キハ102

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九十九里鉄道のキハ102+ハニフ105+106。運転は1軸駆動のキハがトレラーを2輌牽いて、のどかに走っていました。 '60.7.24 九十九里鉄道 上総片貝 P:長谷川興政

有田鉄道 キハ210

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もと国鉄キハ42037(1936年大宮工場製)、廃線まで現役だった鹿島鉄道キハ602の1番違いの兄弟で、有田鉄道には1952年にやってきた。富士急行キハ58001 – 3が入線するまで主力として活躍。写真は国鉄工場で整備を受けての帰り、阪和線の貨物列車最後尾に連結されて藤並へ回送されるときのもの。色は国鉄気動車と同じオレンジとクリームを逆塗りにしたもので、鹿島鉄道の兄弟車も最末期は奇しくも同じ色、同じ塗り分けだった。 '64.8.30 竜華操車場 P:小西和之

信楽高原鉄道 SKR202+204

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したローカル鉄道向け軽快気動車LE-DCの第1号が信楽高原鉄道SKR200形で、2枚折り戸の出入口や上段固定、下段横引き窓にバスの雰囲気があった。1987年に201 - 203号が、翌年に204号が製造された。写真はSKR202(手前)と204の編成で、この2輌は写真の9か月後に正面衝突事故で大破、短い生涯を終えた。 '90.8.11 信楽 P:小西和之

鹿児島交通 キハ300

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キハ300形。国鉄キハ110系に似た車輌で自社発注車。ATSを装備して国鉄西鹿児島駅まで乗り入れていた。昭和58年に災害により運休。2年後の昭和59年に全線が廃止となり廃車となった。 '82.9.13 鹿児島交通 加世田 P:藤村巌雄

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KM100形、KM150形気動車は、旧国鉄神岡線からの第3セクターとして設立運行を始めた「神岡鉄道」神岡線に導入した気動車で、製造時に旧国鉄のキハ20形気動車の部品を使用した異色の経歴をもつ車輌でした。KM100形とKM150形とも主だった諸元仕様は同じですが、車内では名物「囲炉裏」の場所が異なったり、KM150形にはトイレ設備があるため乗車定員がそれぞれ異なっています。KM100形(KM101)、KM150形(KM151)の2両のみで全ての旅客営業運転を行い、それぞれ「おくひだ1号」「おくひだ2号」の愛称で呼ばれていました。(写真向かって左より、KM151+KM101)山岳地帯を走る沿線では橋梁とトンネルが多く、「奥飛騨の地下鉄」の異名をもった同線でしたが、2006年12月1日に廃線を迎え2輌の気動車は引退となりました。 '06.11.5 神岡鉄道神岡線 猪谷 P:宮島昌之

岡山臨港鉄道キハ5001

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1970年購入した元江若鉄道キニ12。1937年に日本車輌で製造された機械式ガソリンカーで、いわゆる「びわこ」スタイルと呼ばれる。当時の日車製私鉄向け流線型気動車の代表的な車両として知られた。戦後ディーゼル動車に改造され、1969年の江若鉄道廃止後、キニ12がキハ5001、として入線した。キハ5001は江若時代の1960年に大鉄工業で前面窓をHゴム固定化するなどの大規模な更新工事が行われて独特の外観となっており、「宇宙人顔」などと形容された。 キハ5001は臨港鉄道廃止まで使用されたあと、岡山市祇園の岡山旭川荘厚生専門学院の敷地内で保存されていたが、解体され現存しない。  '77.8.12 岡山臨港鉄道 大元 P:松本卓彦

AT200形 201・202

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この車輌は'87年に製作された2輌1編成の非貫通のDCである。運用はイベント用として活躍したが、後に名鉄よりキハ8500導入に伴い2004年に廃止された。 '94.8.8 会津鉄道 西若松 P:長岡行夫

のと鉄道 NT100形

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NT100形気動車は、国鉄七尾線や能登線からの第3セクターとして設立運行を始めた「のと鉄道」が最初に導入した気動車。富士重工製でワンマン運転も可能な両運転台タイプの車輌です。主に普通列車として活躍した。また一部車輌の室内を改装したお座敷車両も登場し団体イベント用に活躍した。しかし「のと鉄道能登線」の廃止など路線縮小で数が減り、また車体老朽化による置き換えのためNT200形気動車が順次導入されたため、2006年をもって全て廃車となった。 '04.7.31 のと鉄道能登線 珠洲 P:宮島昌之

のと鉄道 NT800形

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NT800形気動車は、国鉄七尾線や能登線からの第3セクターとして設立運行を始めた「のと鉄道」が観光急行列車「のと恋路号」運転のため導入した気動車。富士重工製で2輌で1編成、ハイデッカ―構造で運転席側には視界良好なパノラマ展望を設け、側面の窓もワイドガラスを用いており広大な日本海の車窓を堪能できるようになっていた。車内の座席は転換クロスシートでした。「のと恋路号」運転終了後は、一時団体臨時列車などで活躍したが、後に廃車となった。 '04.7.31 のと鉄道能登線 珠洲 P:宮島昌之

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'89年にキハ28・58形気動車改造の3輌編成で、キロ29・59の500番代で構成されて仙台支社が保有していた。当初はグリーン車扱いだったが普通車扱いに変更し、多客臨時等に活躍し2003年に引退後は「こがね」としてリニューアルされる。 '98.8.7 和渕-前谷地 P:長岡行夫

小田急電鉄 キハ5000形

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小田急の優等列車用気動車。国鉄御殿場線への乗り入れのため、1955(昭和30)年に東急車輛で2輌製造された。写真は新宿発御殿場行き2703D 準急「朝霧」。懐かしい腕木式信号機は「本線場内進行」及び「通過」を現示。 '64.11.8 御殿場線 山北 P:青木一郎

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井笠線の主力車として1955(昭和30)年に新造された全金属気動車ホジ1〜3は、日野DS22形エンジン(60PS)を搭載していたが、1961(昭和36)年に日本車輌製で増備された2輌は日野DS40形エンジン(120PS)搭載の高性能車で、これを連番とせずホジ100形(101、102)とした。全長11.7m、自重12.3t、定員70人。井笠鉄道廃止まで活躍した。写真で牽引されているのはホハ2で、1913(大正2年)年開業時に用意された6輌(ホハ1〜6)のうちの1輌、廃止後ホハ2は西武山口線に譲渡されている。 ’70.8 笠岡 P:中浦秀和

小湊鉄道 キハ41003

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元を辿れば、1933年製造の国鉄41048である。1949年の廃車後に同形式の他3輌とともに小湊鉄道に払い下げられ、1950年5月より使用開始された。キハ200形の増備により廃車、1973年7月に解体された。腰板部2灯の前照灯は1961年(キハ200形導入と同年)に追加取付けされた。 ’73.6.23 小湊鉄道 五井機関区 P:長谷川武利

松浦鉄道 MR-300形

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松浦鉄道 MR-300形
MR-300形気動車は、松浦線が第三セクターの松浦鉄道に転換された1988年にMR-100形、MR-200形とともに2輌(301・302)製造された。イベント対応車ということで、車内にはカラオケ装置とビデオモニターを備えていた。座席は開業時には全席ボックスシートであったが、後に全席ロングシートに改造された。イベント列車や貸切運用に就くと同時に、定期列車としても有田〜佐世保間の全線で運用されていたが、2007年3月に301が、2007年12月に302が運用離脱となった。写真は開業直後の1988年5月、長崎県立国際経済大学(現:長崎県立大学)鉄道研究会によって企画された、松浦鉄道開業記念イベントの際に使用された時のもの。ヘッドマークは同大学のアートクラブによって製作され、現在はたびら平戸口駅の鉄道資料館に展示されている。 '88.5.8 松浦鉄道西九州線 たびら平戸口 P:田井 直

関東鉄道 キハ502

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1959年に常総筑波鉄道筑波線の観光輸送用に登場した18m2扉セミクロスシート車5両の最終車である。新製当初はキハ505を名乗っていたが、空気ばね台車装備のキハ502と車号を交換している。1963年に常総線に転出して、この時にロングシート化された。1979年に関東鉄道,筑波鉄道および鹿島鉄道に分離後は、僚機キハ501と共に関東鉄道常総線に残り1991年に廃車となった。 '74.9.16 常総鉄道常総線 下館 P:長谷川武利

岡山臨港鉄道 キハ5002

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元江若鉄道のキニ13。1937年(S12)日本車輌製。所謂「びわこ」型と称される日車形流線型の18m級大型ガソリンカーである。戦後はDA54→DMH17Bとディーゼルエンジンに換装。江若鉄道廃止(1969.11.1)により譲渡されて来た。水島臨海鉄道からキハ7000形が導入されると使われなくなり、この写真を撮影した1980年に廃車解体されたという。同僚キハ5001(元江若キハ12)は同じ形式ながら江若時代の1960年に車体更新を受けて全く別の車体になっており、岡山臨港鉄道廃止まで残っていた。 ’80.4.13 岡山臨港鉄道 P:宮村昭男

島原鉄道 キハ5505

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国鉄長崎本線乗入れ用として1960年に6輌新造されたキハ26形,キハ55形(1次車)の1輌である。仕様は当時の国鉄キハ55系に準じたものであるがいずれも両運転台となり、空気ばね台車を履いていた。またキハ55形にはトイレ設備はなかった。後継のキハ2500形の投入により1994年から一部廃車が始まり、写真のキハ5505は1997年10月に廃車となった。最後まで残った5502は2000年12月に廃車となり形式消滅した。 '67.11 諫早 P:長谷川武利

鹿児島交通 100形

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国鉄キハ07形と同形の自社発注車で、1952(昭和27)年に6輌製造された。機械式から液体式に改造されたが、総括制御はできない。101と105はキユニに改造された。1983年集中豪雨により普通となったまま1984年鉄道路線は廃止となった。 ’75.5 加世田 P:廣村典彦

弘南鉄道キハ2100

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弘南鉄道黒石線は1984(昭和59)年、国鉄黒石線から転換された。当初はキハ22で運行されていたが、旅客営業の廃止された同和鉱業小坂精錬小坂線でからキハ2100形を2輌譲り受けてキハ22を置き換えた。キハ2100形は小坂線改軌の際に導入された気動車で出力は180PS、自重31tの日車標準車体の気動車。 '98.2.26 弘南黒石─前田屋敷 P:田中健吉

東武鉄道 キハ2000

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昭和29年に非電化の熊谷線用として3台製作された、16.5m・液体式のディーゼルカーで湘南顔の車輌であった。終始熊谷線で活躍し、同線が廃止になった昭和58年まで活躍した。同型が最近まで鹿島鉄道キハ430形として活躍した。 ’82.10 妻沼駅付近 P:深山剛志

江若鉄道 キハ18形22

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もと国鉄のキハ42000形、後のキハ07系である。当時は機械式のままで、各車輌に運転士が乗務、ブザーの合図でクラッチの切り替えを行っていた。この列車の場合、車掌を含めて4名が乗務していたことになる。トルコンに改造した同系の一部は今なお鹿島鉄道に活躍している。江若鉄道は近江今津までの非電化私鉄としては比較的長距離の路線で、後に近代化に力を入れ始めたが、湖西線の建設に伴い、廃止となった。 '66.7 雄琴 P:永野晴樹

江若鉄道 キニ9形

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戦前日本車輌で製造した流線型気動車。京阪本線と京津線直通用の連節車60形によく似た顔つきであるが、奇しくも浜大津でしばしば顔を合わせていたことになる。 ’66.7 江若鉄道 浜大津 P:永野晴樹

関東鉄道 キハ42202

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1936(昭和11)年生まれ、元東京横浜電鉄キハ1形のキハ8。こんな車輌が単行で渋谷と横浜を往復していたわけである。鉾田線には1950(昭和25)年(当時は鹿島参宮鉄道)に入線。もう1輌キハ42201という仲間が居たが、そちらは途中で流線型をバッサリ切り取られ切妻形のキハ651になってしまった。この写真の頃はもう使用されておらず、機関区の片隅に半ば放置状態であった。 '76.11.7 関東鉄道 鉾田線 石岡 P:宮村昭男

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元小田急キハ5000形晩年の姿。1955年東急製で私鉄初の2エンジン搭載気動車であった。小田急でお役御免となった1968年に関東鉄道が譲受。3扉化改造後、ラッシュ時に2エンジンの強みを生し一緒に来た電車(元クハ1650形)改造キクハ・キサハを牽引して活躍。他の仲間3輌と共に活躍するも、1988年廃車となった。 '85.8.27 関東鉄道常総線 水海道機関区 P:梶村昭仁

小田急キハ5000系

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小田急の御殿場直通特別準急「長尾」号。御殿場線の電化によりSSE車と交代、関東鉄道に身売りした。私鉄の国鉄乗り入れディーゼル優等列車は、名鉄の高山本線乗り入れ気動車は別格として南海、富士急、島原鉄道等があるが、ほとんどが国鉄同系車で、私鉄オリジナルのスタイルは珍しかった。国鉄のキハ55系誕生以前から活躍していたためである。  '68.4 小田急電鉄 和泉多摩川-登戸 P:永野晴樹

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常磐線国電区間の終端、取手駅から水戸線下館駅までの約51km余りの非電化鉄道線の関東鉄道常総線。その配置区でのスナップ。写真のキハ721は元々富山県の加越能鉄道から1973年に興し入れした車輌。気動車には珍しく新製(1964年富士重工)時から片開三扉車であったが、入線後暫くして、中央扉のみ両開扉とされた変り種。1989年に廃車となった。 '85.8.26 関東鉄道 水海道機関区 P:梶村昭仁

関東鉄道 キハ610形

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常磐線国電区間の終端、取手から水戸線下館を結ぶ非電化鉄道線。写真のキハ610形(キハ612)は、元々は半円形を描いた独特の流線形スタイルの旧国鉄キハ07系が始祖だが晩年は種車の面影を追い難いほどの大改造が行われ、写真のようになっていた。直接旧国鉄から以外に他私鉄で使用の後に再就職して来た仲間を加え、全5輌が在籍。旧国鉄キハ35系列の増備で、1985年〜1988年にかけて全車廃車された。 '85.8.26 関東鉄道 水海道機関区 P:梶村昭仁

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吊掛け+高性能車+気動車と言う世にも奇怪なる珍編成。もちろん総括制御は不可。営業列車でもない。天下茶屋工場で整備を終えた車輌が各地の車庫に回送する風景はよく見られたが、こんな編成に出くわしたのは唯一であった。200馬力のモハ2003が力任せに住江の車庫まで牽引したもの。中間のモハ7001のみが冷房化され現在も活躍している。キハ5501形は南紀直通の優等列車に活躍した。 '65.5 南海本線 天下茶屋 P:永野晴樹

南海電鉄 キハ5553

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国鉄紀勢本線乗り入れのため新製された南海のキハ55である。片運転台がキハ5501形、両運転台が5551形である。キハ5553は1962年帝国車輌製。国鉄への乗り入れはこの3月で終了し、南海のキハ55達も5月には廃車になった。 '85.2.26 南海電鉄 難波駅 P:宮村昭男

尾小屋鉄道 キハ3

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雪深い大杉谷口を出る、尾小屋鉄道キハ3。前身の遠州時代の番号がはっきり見える、おおざっぱな車番標記が愛嬌だった。廃止間近い最後の冬。 '76.12.28 尾小屋鉄道 大杉谷口 P:神谷武志

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羽後交通 キハ2

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川崎車輌で1953年に新製された気動車。エンジンはDMH17を装備した液体式で出力は150psだが、台車は機械式気動車のキハ07と同じTR29を履く。写真の反対側(横手側)の前面にはバスケット型の荷台を備える。箱型の電気連結器と、機関車タイプの開放てこが目立つ。’71年の横荘線廃止後は雄勝線に移って、同線の廃止まで活躍した。 '68.1.3 横手機関区 P:青柳 明

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井笠鉄道 ホジ105

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762㎜ゲージの井笠鉄道の主力として活躍した1961(昭和36)年に登場した日本車輌製の気動車。’55年に登場したホジ1形の増備のため外観はほぼ同じだが、エンジンは日野DA40、出力は25psアップした150psとなっている。’71年の鉄道廃止まで主力であった。ホジ101は保存展示されており、今でもその姿を見ることができる。 ‘69.3.27 笠岡 P:青柳 明

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夕張鉄道 キハ254

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北海道初の液体式気動車のキハ250形の増備として1956(昭和31)年に登場した。増備車の252〜254の3輌はキハ251とは窓配置が異なるため、別形式のキハ252形とされた。その後キハ252と253は向きの異なる片運転台改造が施され、各車がそれぞれ別形式となった。エンジンはDMH17C、製造は新潟鐵工所である。旅客営業廃止後は僚友キハ251ともども関東鉄道に譲渡され、キハ715となって鉾田線で活躍したが、1993に廃車された。キハ251はキハ714と改番されて鹿島鉄道で今も健在である。'73.8.22 栗山 P:青柳 明

夕張鉄道 キハ201

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1952(昭和27)年に新潟鐵工所で製造された機械式気動車で、国鉄キハ07とほぼ同じ設計だが、前面窓は最初から4枚であった。その後1957(昭和32)年には液体式に改造、1960(昭和35)年には中央扉を埋めて2扉化されるなどの改造を受けた。旅客営業廃止の1974(昭和49)年には岩手開発鉄道に僚車キハ202と共に売却されたが、キハ201は部品取りであったという。 '74.9.7 鹿ノ谷 P:青柳 明

小田急5001

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キハ5000形は1955(昭和30)年、小田急電鉄が当時非電化だった国鉄御殿場線乗り入れのため2輌を新造した気動車。まだ国鉄では例がなかった2基エンジンを採用、片側1扉仕様の伸びやかな車体は全長20,560mmで、小田急電鉄では最大であった。後に増備されたキハ5100形2輌とともに新宿〜御殿場間の特別準急<銀嶺><芙蓉><長尾><朝霧>で活躍したが、御殿場線電化に伴い1968(昭和43)年7月に3000形SSE車にバトンタッチした。小田急での引退後は関東鉄道に譲渡され、3扉化のうえキハ751形として1988(昭和63)年まで常総線で活躍した。'67.7.22 松田 P;笹本健次

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1950(昭和25)年に新潟鐵工所で2輌が新製された機械式気動車。国鉄キハ41000系の払い下げと誤認されがちだが、歴とした自社発注車で、扉間の側窓が13枚と少ないのも外観上の見極め点となっている。機関は日野のDA55、当初は代用燃料装置付きであった。'69.8.1 五所川原 P:笹本健次

筑波鉄道キハ541

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張り上げ屋根に荷台付きというミスマッチなこの気動車は、意外と車齢が若く1957(昭和32)年日本車輌製。もともとは北陸鉄道能登線用の客車コハフ5301として竣功したもので、1963(昭和38)年に気動車化、能登線廃止後に筑波入りした。わが国で最後まで残された現役荷台付き気動車であった。'79.5.5 真鍋 P:名取紀之

水島臨海鉄道キハ320

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水島臨海鉄道キハ320。昭和44年国鉄より譲渡。国鉄時代はキハ07 202。キハ10系の導入により昭和55年に廃車。そのキハ10系もキハ20系に取って代わられた。倉敷市駅は、現在はJR倉敷駅に隣接した高架駅になっている。後ろの車輌は元夕張鉄道のキハ301。 倉敷市駅 '76.3.24
P:山下修司

小湊鉄道キハ41004

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首都圏近郊で「原風景」が残る私鉄として人気の小湊鉄道だが、現在の主力車輌キハ200形が出揃うまでは、国鉄払い下げのキハ41000形が主力であった。写真手前のキハ41004は1949(昭和24)年に千葉で事故廃車となった国鉄キハ41006を譲受したもの。'69.3.11 五井 P:笹本健次

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小田急のクハ1650形1651〜4は廃車後に関東鉄道に移籍。同社の水海道工場で制御気動車キクハ1形1〜4に改造された。写真は移籍直後の1654。’71.2.18  水海道 P:笹本健次

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