鉄道ホビダス

2011年8月アーカイブ

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1986年、幡生工場にて改造されたジョイフルトレイン。所属は小郡機関区(のち小郡運転区から山口鉄道部に改称)。室内はカーペットと掘りごたつが設置され小口団体輸送として活躍した。主に中国地区での運用に従事していたものの、老朽化に伴い2007年10月28日にさよなら運転実施、同年11月9日に廃車となった。 '04.10.2 山陽本線 瀬野-八本松 P:泉谷 純

西日本鉄道 2000形

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1973年5月から製造された西鉄特急用車両の二代目、かつ初の量産冷房車として翌年に掛け6編成24両が登場。従来の1000形で採用のブルーに黄帯に替りオキサイドイエロー地にボンレッド帯と明るいカラーにチェンジ。高運転台に曲面構造の前面は平面三枚窓、その下にSUS製装飾板を配し、その部分に前・後部標識灯を横並びに配置。側面も二連式上段下降下段上昇式の外付けユニットサッシ、両開側引扉採用と共に行き先表示を前・側面一括自動表示式を採用。車内では従来、向い合せ固定式だったクロスシートを扉端部を除いた転換式を採用。特急列車を中心に活躍するも1988年に後継車8000形登場後は側引扉の2⇒3扉化を行い、中距離急行系列車を中心に活躍するも2001年以降車体老朽化で順次、引退が始まり、最後の編成(写真の2021F)が前面に西鉄旧社紋をと登場時の前面帯形状へのリバイバル塗装化が行われ、2010年10月の記念列車を最後に運用離脱、引退となった。 '08.6.27 天神大牟田線 雑餉隈-西鉄春日原 P:梶村昭仁

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1985年に幡生車両所で改造された12系欧風客車。落成後は岡山運転所での配置となった。また専用機関車としてEF65 123が客車と同じ塗装で登場した。1993年12月には延命工事時実施、塗装も一新され、「ユウユウサロン岡山」に改称された。その後、2002年にEF65 123が廃車に、2011年2月には客車がラストラン運転により引退をした。写真は、初代の塗装時代、通常DD51牽引での入場が多い阪和線にEF65 123がスルー牽引した時のもの。 '91.8.6 阪和線 杉本町-浅香 P:泉谷 純

近畿日本鉄道 モ1421

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焼損したモ2204の復旧車として1460系に準じた車体が載せられ1964年に登場した。車体の異なる2250系と混結され名古屋線急行等で活躍した。写真では抵抗器などの床下機器が隠れてしまっているのが残念である。1983年にモワ601に改番され鮮魚列車に用いられた。1989年後継の1481系に道を譲り廃車された。 '77.8 近鉄山田線 松阪-東松阪 P:楢井勝行

近江鉄道 LE-10形

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昭和61年(1986)に導入された、富士重工製2軸LE-Carで4輛在籍した。八日市-貴生川間のワンマン化・内燃化によるコスト削減が目的だった。近江鉄道としては初の冷房車であったが、輸送力が小さく、コスト削減効果も上がらなかったことから、平成4年(1992)以降前記区間の電車運転が復活された。平成8年(1996)10月以降運用を外れ、平成9年(1997)には休車扱いとなった。平成16年(2004)7月、全車が除籍され、現在はLE-13のみが近江鉄道ミュージアムに展示されている。 '91.5.30 近江鉄道 彦根工場 P:北村 拓

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1988年、JR西日本が主に「シュプール号」に用いることを目的に改造された。車体塗装の変更以外に車内は種車の簡易リクライニングシートから、背面テーブル付、角度の大きいリクライニングシートを備え付けられた。「シュプール号」の運用減少後は、「ムーンライト九州」や団臨での使用が多かったが、2009年10月には全車が廃車となった。なお、オハフ15は展望室付の車輌として活躍していた。画像は「ユウユウサロン岡山」専用機であるEF65 123に牽引される同車輌使用の団臨。 '01.2.15 山陽本線 岩国-大竹 '01.2.15 P:泉谷 純

EF65 56

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昭和40年に汽車製造/東洋電機にて製造された。2次量産車グループに属し、新製配置は新鶴見機関区である。94年に茶色塗装機であった9号機が廃車後、その後の全般検査時に同機が茶色塗装に変更された。平成13年11月に運用離脱し、廃車は平成15年3月である。 '96.4.13 外房線 蘇我 P:菅谷和之

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1962年から登場の3000系車輌のうち、1967年に登場の第10〜13編成から従来の抵抗制御・発電制動から、複巻界磁FR方式電力回生制動(後、界磁チョッパー化)に変更となり主電動機出力が増強(100→120kw)され、歯車比も大きくされた。車体形状は1963年製造の第3編成からの18.5m級1300mm幅両開側引扉(ST式)を踏襲。従来からのマイナーチェンジ箇所として、中間電動車の台車がパイオニア式からTS801Aに変更(後にTc車もTS821Aに履き替え)。3000系最後の非冷房車グループであったが1970、1972年に掛けて先頭車が8000kcal×4台の分散式、中間車が30000kcalの集中式で冷房改造(従来からの丸型ファンデリアー併用)。続けて1972〜1973年に渋谷寄に1Mのデハ3100を挿入して5輌編成化。1995年に1000系登場後、前面に大型排障器取付けが始まり印象が変わってきたが大きな変化もなく活躍したが、1000系列に統一のため、2000、2003〜2004年に廃車。なお前面のパステルカラーは、サーモンピンク(10F)、ライトグリーン(11F)、ライラック(12F)、ベージュ(13F)の4色であったが、1000系化後にこの13Fに採用のベージュ色が黄色味を増やしたオレンジベージュに変色したため、この前面カラーも思い出となった。 '02.4.6 井の頭線 富士見ヶ丘-高井戸 P:梶村昭仁

EF65 519

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「F型」の一輌で、1966(昭和41)年2月23日に東京芝浦電気で新製。高速貨物列車に活躍したがその期間は短く、EF66の登場によりその座を奪われた。吹田第二機関区→新鶴見区→広島区→米原区→吹田第二区→沼津区と転属し,その後は高崎第二区→民営化後はJR貨物高崎区に配置。2000(平成12)年12月6日に廃車。一時、上越乗り入れを行なっておりその際に、つらら切りやホイッスルカバーがなどの耐寒耐雪装備を施したが、寒冷地には適合せずその後東海道・山陽筋に戻って一般型のEF65と共用された。写真の列車はEF65 518と重連で14系を牽引した「沼津機関区100周年記念号」である。会場の沼津機関区には全国から機関車が集結。過去最大級の機関車展示会となった。 '86.8.10 静岡 P:泉谷 純

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1981年4月に12系改造で登場した和式客車。所属は竜華客貨車区、後に客貨車区廃止に伴い和歌山電車区へ転属。1989年に「いきいきサロンきのくに」として改造された。その後宮原運転所へ転属。2007年11月に廃車となった。 '91.3.10 土讃線 琴平ー塩入 P:泉谷 純

キハ22 200番代

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北海道の酷寒地向けの耐寒仕様車として新設計された車両で、1958年から製造開始され北海道及び東北地方に配属された。1963年より製作された200番代は、0番台同様に両運転台で二重窓であったが、室内灯には蛍光灯が採用され、外観色は朱色4号を基本に窓周りをクリーム4号でデユーした。後に1970年代後半からは朱色5号(首都圏色)で活躍したが、1995年までに全廃となった。  '91.8.11 室蘭本線 礼文-小幌 P:長岡行夫

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1959年に登場、当初は近鉄特急のシンボルとして名阪特急で活躍した。後年は後輩のエースカー、スナックカーに追われ阪伊名伊系統に就くことが多かった。A編成は5編成用意され、2丁パンダが装備されるモ10100が流線型先頭車という最もビスタカーらしい形態で人気があった。1977年当時、山田線では阪伊特急に充当されていた。1977年から1979年に廃車され惜しまれながらその姿を消した。 '77.8 近鉄山田線 松阪 P:楢井勝行

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1969年に増備の3000系車輌のうち、前年に京王線で登場していた5000系冷房車の実績を踏まえて第14・15編成の2編成が井の頭線初の冷房車として登場。性能は'67年登場の第13編成までと同様回生車であるが、屋上に4500kcalの分散式を6台搭載、M2車床下に130kVA電動発電機を搭載、従来の7kVA(予備MG)はTc1に移設されるなど、床下配置に変化が生じた。この時期しばらくはこの2編成が唯一の冷房車であったが、1971年からのデハ3100形組込5連化で他編成も1973年まで冷房改造され3000系列は1975年の旧型車置換えで再増備されるまでに全編成が冷房車となった。1994年以降前面の排障器取付け等印象が変るところがあったものの2004年廃車まで活躍。なお、14Fはスカイブルー、15Fがブルーグリーンのと、偶然にも冷房付を意識しなかったと思うが、涼味ある前面色であった。 '04.1.14 井の頭公園〜三鷹台 P:梶村昭仁

EF60 503

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1963年11月、製造。車体は汽車製造大阪工場、電装は東洋電機。新製配置は東京機関区。1964年、EF58・C62からブルートレイン牽引の座を引き継いだが、翌65年には早くEF65Pにとって代わられた。以後は浜松、八王子、竜華と移り、地味な貨物輸送に従事。1975年ごろには塗装も一般色に戻されている。動態保存を前提として車籍を残しJR西日本に引き継がれ、宮原総合運転所に保管されていたが、一度も営業用に使用されることなく2008年11月に解体された。写真は広島駅に到着した下り「富士」。 '65.5.4 広島 P:中川弘一

EF62 54

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昭和44年に汽車製造/東洋電機にて製造された。第2次量産グループに属し、台車はDT124形、軸配置は異例のC-Cとなった。信越本線横川〜軽井沢間廃止に伴い廃車になる。現在は、碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。 '96.12.23 高崎機関区 P:菅谷和之

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荷重15tの2軸有蓋車。1958年から1960年に5,710両が製作された。側扉はワム90000系列の1700mmから両開き2300mmに拡大されフォークリフトによる荷役作業を容易にした。1984年2月1日のダイヤ改正で使用停止となり、後、全社廃車された.写真は釧路車両管理所で配給者代用として使用されていたもの。生憎の天気だったが、再度、訪れることが出来なかった。 '83.2.19 釧路車両管理所 P:上田隆浩

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