鉄道ホビダス

2013年4月アーカイブ

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1957年2月日本車輌にて特急車2000系第1編成「A編成」が製造された。セミモノコックの軽量車体・WN駆動・HSC-D・回転クロスシートなど最新鋭の技術が投入されている。1989年に冷房化、1999年に台車・制御機器を営団3000系の廃車発生品に交換、2007年2月に登場時のマルーン色に塗装変更された。長らく長野電鉄の看板列車として活躍したが、元小田急HiSEの1000系「ゆけむり」・元JR東日本N'EXの2100系「スノーモンキー」により余剰となり2011年3月運用から外れた。須坂駅構内に留置の後、2012年3月限りで廃線となった屋代線信濃川田駅跡に移され保管されている。 '11.1.22 長野電鉄 長野線 信濃竹原-夜間瀬 P:楢井勝行

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豊橋方 7011-7162-7061-7012 岐阜方 からなる最後まで生き残った7000系パノラマカーである。1962年6月6連で登場、1984年8月中間車2輌が廃車され4連となる。1987年2月特急専用車として整備され白帯が巻かれた。1999年一般車に格下げ、白帯が無くなった。2008年7月、写真の7011Fに乗車し前面展望やベージュ/茶色ツートンの転換クロスシートと戸袋部のソファーのようなロングシートを楽しんだ。後に2008年10月、7011Fは再度白帯が巻かれる。2008年末に7000系の定期運行が終了、しかし7011Fのみ2009年8月末までイベント列車として運行され花道を飾った。 '08.7.27  名古屋鉄道 名古屋本線 須ヶ口 P:楢井勝行

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近鉄特急最大勢力を誇り数々の編成バリエーションを持つ新スナックカー12200系。1969年12月製造の モ12222+ク12322 はスナックコーナーなしの2輌編成である。1988年最高速度120km/h化、1990年12月更新改造(室内化粧板変更:木目調→白色、座席モケット張替え:ワインレッド→オレンジ、自動幕式前面行先表示器取付など)を受けた。2006年に再度座席モケット張替え(オレンジ→薄紫)が行われたが、老朽化により2011年7月廃車解体された。写真は下枠交差型パンダグラフに交換された12200系4連を従え名伊乙特急の先頭に立つ12222Fである。各M車2基ずつ上げたパンダグラフが壮観であった。 '10.4.28 近畿日本鉄道 山田線 松阪 P:楢井勝行

クハ489-501

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FE63と連結するための自動連結器とジャンパ栓を装備した横軽強調運転用クハ489-500番台のトップナンバーである。1971年製造、スカートに配置されたタイフォンが特徴である。横軽を越える「白山」で運用、長野新幹線開業後は上越線経由の「能登」に転用された。2010年3月「能登」廃止により定期運用を失うが、2011年3月までは臨時列車などで運用、その後廃車となり石川県小松市で保存されることとなった。 '08.1.5 上越線 越後湯沢 P:楢井勝行

関東鉄道 キハ350形

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1987年〜1992年国鉄事業清算団とJR東日本からキハ35を19輌とキハ36を5輌購入、ドアステップの埋め込み・キハ35のトイレ撤去・塗装変更を行いキハ350形351〜3523の23輌が1988年より常総線に投入され同線の旧型車を置き換えた。1989年から全車に冷房化改造、1983年〜1996年10輌にエンジン交換(DMF13HZ:230PS)と変速機交換(DF115A)、が行われた。自社発注の新型車配備により1997年から引退が始まり2011年10月に運用から退いた。17輌は廃車であるが6輌は休車となっている。写真は最後まで現役であった 3511(元キハ35-187)+358(元キハ35-113) である。引退前の2か月間惜別のヘッドマークが取り付けられた。 '11.10.8 常総線 黒子-大田郷 P:楢井勝行

オハニ61 135

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オハニ61は昭和20年代の後半、大正時代に製造された木造客車の台枠などを流用して誕生した、60系に属する座席と荷物室とを備えた合造車。同系列の類似車としては、郵便室を追加したオハユニ61などがあった。写真の135号は、荷物室側の車端に後方監視窓の無い初期製造グループにあたる。再度の改造でマニ60、スユニ61となった車輌もある。 '76.11 山陰本線 米子 P:清原正明

クハ419-4

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クハネ581-15として1968年6月青森運転所に新製配備、1970年9月南福岡電車区、1975年3月向日町運転所、と転属する。1985年2月、国鉄小倉工場にて近郊型電車へと改造され419系米原方先頭車クハ419-4となり北陸本線で活躍する。この写真は前面貫通扉閉鎖改造される直前の姿である。2011年3月、521系の増備により引退した。 '08.3.8 北陸本線 武生 P:楢井勝行

近畿日本鉄道 3000系

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1979年3月から運行が開始された近鉄では最初で最後となるステンレスカーで電算機号はSC。京都地下鉄烏丸線への乗り入れに対応すべく低発熱のサイリスタチョッパ制御を導入。これも近鉄では最初で最後の採用例となった。運転操作はデスクトップタイプの前後操作式2ハンドルで行ない、ブレーキ指令は常用制動が電気指令式、非常制動が制動管減圧式による。しかしながらブレーキシステムの互換性がないため1991年に在来各形式と共通のHSC-R電磁直通ブレーキに改造され、運転台も8600系と同様の構成に変更された。サイリスタチョッパ制御のデメリットである沿線地上設備の誘導障害の対応から奈良線には乗り入れできず、専ら京都線と橿原線・奈良線の大和西大寺〜奈良間・天理線に運用が限定されていた。結局コストパフォーマンスに貢献できず4両だけの製作にとどまり、ダイヤが限定されるなど運用やメンテナンスなど多くの制約があるため2012年に廃車解体された。車齢33年と関西の電車としては短命であった。 '10.6.19 近鉄橿原線 橿原神宮前 P:竹内喜和

クロ481-2001

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1978年9月サロ489-1001として金沢運転所に新製配備。1989年3月には3列座席のパノラマグリーン車クロ481-2001に改造され白い「スーパー雷鳥」、2001年3月からは青い「しらさぎ」で活躍する。2003年10月、京都総合運転所に転属、国鉄色となり「雷鳥」に復帰した。しかし2011年3月「雷鳥」が廃止、クロ481-2001も運用を失い2011年8月に廃車となった。写真は廃止直前、京都駅を出発する「雷鳥8号」。小松から京都まで、このクロ481-2001に乗車した。車内は別れを惜しむファンで一杯だった。 '11.3.4 東海道本線 京都 P:楢井勝行

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1968年に新潟鐵工所で製造された両運転台の自社発注車、先頭部は切妻非貫通、側面は、出入りドアは2箇所、窓は上段固定で下段上昇式となっていた。終点の岩手石橋行きは朝、夕に1往復、途中の日頃市まで朝1往復と、朝に乗車するには盛で宿泊しなければならなかった。1992年4月に旅客営業が廃止になり、しばらく盛駅構内に留置されていたが2002年に解体された。 '92.3  岩手開発鉄道 岩手石橋 P:藤村岩雄

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1964年8月日本車輌にて特急車2000系第4編成「D編成」が製造された。先に登場した3本はコイルバネ台車であったがこの編成は空気バネ台車を履いている。1989年に冷房化、2007年8月には二代目の塗装である「りんご色」に復元されており人気を博した。元小田急HiSEの1000系「ゆけむり」・元JR東日本N'EXの2100系「スノーモンキー」の登場により活躍の場が狭まったが、2000系4本の中では最も最後まで現役に留まり2012年3月の屋代線廃止最終営業列車をもって引退した。2012年6月からは小布施駅構内の「ながでん電車のひろば」にて展示保存されている。 '10.12.16 長野電鉄長野線 善光寺下-本郷 P:楢井勝行

新幹線100系 K編成

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2002年〜2003年、100系V編成を改造し6輌編成・4列座席とした「K編成」10本が登場し山陽区間の「こだま」に投入された。2010年7月には3本が白地に青帯の旧塗装に戻され人気を博した。8輌編成化された500系や700系レールスターが山陽区間の「こだま」に転用されるのに伴い2012年3月に引退した。写真は新大阪駅20番線に停車中のK57編成、グレーのJR西日本色と足回りを隠す柵が残念だった。しかし隣の20番線にN700系「のぞみ」が入線、登場時期が20年も異なると技術が進化し車体デザインも大きく変わることを実感出来た。 '11.3.4 新大阪 P:楢井勝行

キハ181系

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非電化の山岳幹線にも特急を走らせるため、DML30系500PSエンジンを搭載した大出力特急気動車キハ181系が1968年〜1972年に158輌が製造された。「つばさ」「しなの」「やくも」などの本州山岳幹線特急、四国初の特急「しおかぜ」「南風」に投入された。相次ぐ山岳幹線の電化により山陰特急などに活躍の場を移し短編成化が進められた。国鉄分割民営化時、JR西日本に94輌、JR四国に44輌引き継がれた。JR化以降、高性能な振り子式特急気動車や使用線区の電化によりその数を減らし、JR四国からは1993年に撤退、JR西日本でも2010年11月「はまかぜ」2010年12月「かにカニはまかぜ」が最後の使用列車となった。グレーのJR西日本カラーを纏い短編成で走る「はまかぜ」に対し、7輌編成の「かにカニはまかぜ」は国鉄色ではないが、堂々とした特急の風格を漂わせていた。 '09.1.18 山陰本線 豊岡 P:楢井勝行

JR西日本183系

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1990年より数度に渡り、485系から交流機器の撤去した183系700・800番代、交流機器を使用停止とした183系200番代が登場した。クロハ183組込の国鉄色6連 B編成、1-2座席配置のクロ183組込のライトグレー塗装4連 A編成、クモハ183組込のライトグレー塗装3連 C編成 が存在した。A編成・C編成 は併結され7連、途中分割の「きのさき」「たんば」「まいづる」、福知山での増結解放など幅広い運用で活躍した。老朽化のため新製287系や紀勢西線より捻出された381系アコモ車に置き換えられ、A編成・C編成 は2011年3月、B編成 は2013年3月に引退した。A編成・C編成 併結7連の「北近畿」と B編成 6連「きのさき」が交換する風景、この「きのさき」の国鉄色 B65編成 は、2013年3月末に運転された団体列車183系ラストラン「なつかしの北近畿」号に充当され花道を飾った。 '09.1.8 山陰本線 豊岡 P:楢井勝行

485系 K60編成

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大阪〜新潟の「雷鳥」でロングラン運用の上沼垂運転区「T5」9輌編成が、2001年3月の「雷鳥」「北越」運転区間分離により余剰となりモハユニット1組・サロを抜いて波動輸送用「T19」6輌編成になった。2002年12月、勝田車両センターに転属し「K60編成」となり臨時列車や団体列車で活躍した。両先頭車が運転台上部2灯式前照灯・外ハメ式尾灯のクハ485-1504・1505、全車ともシートピッチ拡大・床嵩上げ・側窓上部拡大したグレードアップ改造車であることが特筆される。2003年12月には通称「白イルカ」色に塗装変更された。同僚の「K40編成」と併結されることも多く、白い485系の10輌編成は圧巻であった。常磐線特急全列車のE657系化が目前に迫った2013年1月、E653系にその任を譲り「K60編成」は同僚「K40編成」と共に廃車となった。 '09.12.13 東北本線 宇都宮 P:楢井勝行

阿武隈急行 キハ22

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第3セクター阿武隈急行は国鉄丸森線から路線を受け継いで開業1986年4月1日開業するにあたって、国鉄より大湊線・八戸線などで使用されていた5輌のキハ22(48・152・159・160・162)を借り入れて運行された。1988年の全線電化開業の際に5輌ともJRに返却されている。写真は開業の前日に撮影したもので開業式典の準備が整っていた。 '86.3.31 丸森 P:藤村巌雄

207系900番代

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JR東日本の207系は国鉄末期にVVVFインバータ制御の試作車として製造されました。量産化の期待もありましたが、当時は電装品の価格が非常に高く、この1編成のみで増備はされませんでした。2009年12月5日のさよなら運転を最後に引退。 '09.8.24 常磐線 金町 P: 平賀 匡

京キト 485系A9編成

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485系A9編成は京都総合車両所最後の485系原型貫通扉を持つクハ481-228が含まれていた編成である。1号車のクロハ481-2303は1975年2月27日川重製。金沢生え抜きのクハ481-327を3列グリーン車に改造・塗色変更。2・3号車はモハ485-252+モハ484-611のユニットであり、1975年11月13日日立製。4号車は少数派のサハ481-702で、モハ485-228を電装解除した車輌。5・6号車はモハ485-76+モハ484-76は1972年6月川重製の初期型モハユニットで青森新製配置、後に仙台→向日町へと転属する。7・8号車はモハ485-141+モハ484-244のユニットで、1972年12月川重製。向日町新製配置以来の生え抜き。9号車のクハ481-228はオリジナルの貫通型先頭車で、1972年12月川重製。「雷鳥」で活躍後は183系BB68編成になり、6連に減車の上「北近畿」などで活躍したが、2010年9月30日に廃車となった。 '06.11.5 東海道本線 岸辺 P:中司 朔良

485系 京キト A5編成

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2001年3月、北陸特急の看板を681系683系「サンダーバード」に譲った485系「雷鳥」は大阪〜金沢の運転となり9輌編成になった。京キトA5編成は残存する「雷鳥」用485系の中でも特徴のある編成で、金沢方先頭車9号車はクハ489-702、8号車モハ488-211、7号車モハ489-26、自由席の6/5号車はAU12キノコ型クーラーのモハ484/485-90であった。雪の山並みを背景に夕暮れ迫る敦賀駅にパンダグラフを全器上げて入線する姿は国鉄特急全盛期を彷彿させてくれた。ダイヤ改正の度に本数を減らしていった「雷鳥」であったが、2010年3月には6輌編成に短縮され僅か1往復に減少、さらに2011年3月には廃止となった。京キトA5編成は2010年3月に定期運用を離れ団体列車等で運行された後、その秋に廃車となった。 '08.3.9 北陸本線 敦賀 P:楢井勝行

クモハ123-1

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1978年クモニ143-1として登場、1986年荷物輸送の廃止に伴いクモハ123-1に改造、「ミニエコー」の愛称を与えられ中央本線旧線 辰野-塩尻 の区間列車に投入された。1990年ワンマン化、1995年冷房化、と改造を繰り重ねた。車内は長いロングシートと近畿車輛・改造担当区の4枚の銘板が名物であった。松本側運転台の下部には更にJR東日本と加えた5枚の銘板が飾れており、これを撮影するファンの姿をよく見られた。2013年3月ダイヤ改正で引退、E127系に置き換えられた。 '08.3.29 中央本線 塩尻 P:楢井勝行

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