鉄道ホビダス

2016年3月アーカイブ

JR東日本 415系 K530編成

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上野・小山寄り クハ411-1607 モハ414-1507+モハ415-1507 クハ411-1507 原ノ町寄り から成る415系1500番代4連車である。1986年12月製造、勝田車両センターに配備され長らく常磐線上野口中距離電車として運用された。2007年3月、E531系配備により上野口より撤退、水戸線と友部以北のみの運用となった。2014年12月よりE531系附属編成の新製配備が再開、K530編成は余剰となり2015年7月廃車された。 '07.12.16 水戸線 小山 P:楢井勝行

EF57 1

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1940(昭和15)年10月 日立製造。沼津機関区配置。外形はEF56 8〜12と同じ。主電動機がMT38となり出力アップされた。2〜15は戦艦のような車体だった、EF57 1を初めて見たとき、EF56が来たと思い、ナンバー見るとEF57 1とあり、初めて異端車であることがわかった。
国府津、浜松、高崎二、長岡二と回り、60年から宇都宮にあって東北本線を終のすみかとした。1978年2月除籍。 '66.1 東北本線 上野〜尾久 P:髙澤一昭

熊本電気鉄道 5102A

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地方私鉄の近代化に貢献した東急5000系。熊本電鉄にも先頭車6輌(1981年2両・1985年4両)が譲渡され主力車両として活躍した。このうち5輌は両運転台に改造されている。1995年より冷房車の6000形(元都営三田線6000系)に置き換えられ、上熊本−北熊本の折り返し運転用として5101A・5102Aの2輌が残った。写真は上熊本側が切妻運転台の5102A、その姿はまさに「平面ガエル」の愛称がピッタリであった。2015年3月、後継の01形(元東京メトロ銀座線01系)に置き換えられ廃車解体された。残る北熊本側が切妻運転台の5101Aも2016年2月に引退、この車輌基地で動態保存されることになった。 '10.2.13 北熊本駅構内車輌基地 P:楢井勝行


京成電鉄AE100形

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京成AE100形は1990年に2代目「スカイライナー」として登場した。最初の2編成は初代「スカイライナー」AE形の8輌編成化に伴う車輌不足を解消するために導入され、その後初代AE形を置き換えるために1993年までに7編成が導入された。将来の都営浅草線への直通運転を考慮し前面に貫通扉が設置され、京成電鉄では初めてとなるVVVFインバータ制御装置を採用した。2010年の成田スカイアクセス開業まで長らく「スカイライナー」及び「モーニングライナー」、「イブニングライナー」で活躍をしてきたが、成田スカイアクセス開業後は「スカイライナー」は全列車2代目AE形に交代、その後は「シティライナー」として活躍を続けてきたが、「シティライナー」の利用客が減少してきたことから「シティライナー」は順次減便し、AE100形の廃車が始まった。2015年12月のダイヤ改正で「シティライナー」の定期運用が廃止され、AE100形の定期運用が消滅した。その後2016年1月の土休日に成田山初詣に伴う多客に対応するために臨時「シティライナー」が運転され、運転終了後の動向が注目されたが、2月21日と28日に開
催された「さよならAE100形引退記念ツアー」を最後に全車引退、26年間の活躍に幕を閉じた。なおAE100形は西馬込車輌基地で開催された「都営フェスタ」で2回都営浅草線に入線したが、いずれも深夜の回送列車であり、結局営業列車で都営浅草線を走ることは一度もないまま引退した。 '15.2.28 京成電鉄 京成関屋〜堀切菖蒲園 P:福田智志

近畿日本鉄道 モ1400形

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1939(昭和14)年大阪電気軌道(大軌)が投入した日本車輌製の制御電動車デボ1400形(1400〜1415)、制御車クボ1500形(1500〜1504)は、大軌の系列会社である参宮急行の高性能急行用電車2200形(新)と共通設計の、20m3扉の半鋼製ロングシート通勤車である。1944(昭和19)年、近畿日本鉄道となってからはモ1400形・ク1500形と形式名が変更された。1960年代になり片運転台に改造、そのさいに前照灯2灯化が行われている。1976(昭和51)年までに全車引退。モ1400形・ク1500形合わせて11輌が荷物用電動貨車に改造されたが1983(昭和58)年までに廃車となっている。 '71〜72頃 近畿日本鉄道 上本町 P:瀬戸正教

マヤ34 1

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1959年高速軌道試験車として、東急車輛で新製。品川客車区配置。各種試験に供された。1967年北海道転属に伴い各種改造を受け車番が2501となった。写真は1959年5月14日、茅ヶ崎で発生の貨物列車脱線転覆事故の調査試験と思われる。1987年民営化前に廃車された。 '59.7.21 東海道本線 茅ヶ崎 P:髙澤一昭

キユニ19 3

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1953(昭和28)年、電気式キハ44200(中間車)として登場。1956(昭和31)年から翌年にかけて液体化され、称号改正でキハ 19となった。後に片側運転台を設け、荷物車(キニ16)に改造。さらに再改造で郵便荷物合造車(キユニ19)となる。キユニ19 3が1982年に廃車となり、形式消滅した。 '71.12 伯備線 新見 P:清原正明

銚子電鉄 デハ1000形

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銚子電鉄デハ1000形は、元営団地下鉄2000形を改造した車輌で1996年に2輌導入された。デハ1001は元2046、デハ1002は元2040で、両運転台化改造、パンタグラフの取り付け改造を行なった。導入当時は従来車と同じ銚子電鉄オリジナル塗装で運転していた。2007年 に2両とも塗装が変更され、デハ1001は2012年5月までゲーム「桃太郎電鉄」20周年記念ラッピング電車として運転、一方デハ1002は 2011年9月までマンガ「鉄子の旅」の原作者考案の特別塗装として運転されていた。その後デハ1002は2011年11月から丸ノ内線カラー、 デハ1001は2012年8月から銀座線カラーとなり、懐かしい営団地下鉄時代のカラーが久しぶりに復活した。2010年に導入された2000形 とともに活躍を続けていたが、老朽化には勝てず、2015年1月にデハ1002が引退、2016年2月にデハ1001が引退し、元営団地下鉄2000形は全車営業運転から引退した。 '16.2.27 仲ノ町車庫 P:福田智志

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