鉄道ホビダス

2013年9月アーカイブ

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2800系に代わり1976年に製造された阪急京都本線用特急車6300系の第4編成で Tc6353-M6803-M'6903-T6853-T6863-M6813-M'6913-Tc6453 から成る。車端に寄せられた両開き扉、ずらりと並んだ2連下降窓に転換クロスシート、クリームの屋根に前面ステンレス飾り帯、端整な姿で十三〜大宮を無停車で疾走した。両先頭車には大宮駅ドアカットを注意喚起する大きなステッカーが貼られている。JR西日本発足以降、新快速の攻勢により京都本線特急は停車駅が増え2扉の6300系は乗降に手間取りダイヤの乱れを招いた。2003年には3扉の9300系(扉間のみ転換クロスシート)が登場、特急を追われた6300系は2008年より引退が始まった。6353Fは中間車4輌を廃車し、嵐山線用 Tc6353-M6803-M'6903-Tc6453 となり本線から姿を消した。 '78.3 阪急電鉄 京都本線 大山崎-長岡天神 P:楢井勝行

小田急電鉄 10000形

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'87〜'89年に11車体連接(9M2T)を4本44両が製造された小田急伝統の前面展望室構造のロマンスカーとして登場。また開業60周年を迎えるにあたっての次世代車両の発想のもとに開発され、前面展望スペース以外をハイデッカー構造としたの最大のモデルチェンジ゙で、前面以外でも車輌からの眺望を良くしたものとした。このためこのコンセプトを意味する愛称として、Hi-SEとした。車体色もイメージチェンジを狙いパールホワイト地にワインレッド系濃淡二色とし、従来車両もこれらに準じて塗り替えられた。また'88年度第31回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞した。
性能は7000形同様で、東芝製電動カム軸式直並列指定制御、1C4M制御方式。主電動機は直流直巻式で出力140kWを採用。制動システムは全電気指令式MBS-Dを踏襲した。車内は背ズリ高さが50m/m高上した座席だが、回転式ながらノンリクライニングとなった。展望室付近の傾斜角度を48→37°と階上の運転台部分も前方に迫出した構造で前頭部が一体感のあるスピード感あるものとなった。
登場以来ロマンスカーの主力として活躍するも、'00年に国土交通省による交通バリアフリー法対応が困難な車体構造故、次代の特急車輌へ道を譲ることとなり'05年に二編成が廃車、長野電鉄に編成短縮の上譲渡。 残る編成も後進に道を譲り'12年3月一杯で引退、消滅。 '10.1.8 小田急読売ランド前-百合ヶ丘 P:梶村昭仁

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'86年登場の旧型AL更新車。同時に本線系で登場の3300系と同様に3900系及び3850系の走り装置、電装品等を流用して製造されたが、車体形状については当時の瀬戸線用6600系に準じており、側面左右非対称形状で二段式アルミサッシ(上段下降、下段上昇式)が採用されているが天地寸法がやや拡大されたサイズとなり、時節柄、冷房装置も各車2台が搭載されていた。この時に2両編成(Mc+Tc)2本、4輌が登場。冷房搭載もあり補助電源装置は新製のGTOインバーターを搭載。後に登場する二次車とは形態が異なる試作的なスタイルであった。
暫くは本線系とは孤立していることもあり、順当な活躍をしていたが、走行機器が吊掛式による老朽化と保守の手間が掛るとことと、瀬戸線の第二次近代化による、6600系以来の新形式車投入により、'11年3月に4輌とも廃車。 '09.6.1 瀬戸線 喜多山-小幡 P:梶村昭仁

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'59年から長きに亘り製造されて来た1000形の後期型または最終形態とも云うべき車輌がこの五次車。基本性能は当初から変らないものの旅客サービス上のマイナーチェンジが大きな変更点で、まずは新製時から冷房装置を搭載して登場。メーカーにより形式に相違があるものの、屋根上集中式で出力36,000kcal/hを1台搭載。台車はこの次車からTH1000型ダイレクトマウント式エアサス台車を採用。主電動機は登場初年度('71)製造車18輌以外、72年度製造車から90kWにパワーアップした。
最終的に'78年までのこの次車136輌が1000形として打ち止めとなった。番号形態は編成輌数に準拠して付番されていたため複雑になっており、8輌固定は1251〜、4輌固定('74年登場)は1301〜、6輌固定が1351〜となっていたが、'78年最終増備の8輌固定は1243〜1250という四次車と間の空番を埋める形となった。
細かい改良は年次で採用されるも基本形態は変わらずに都営直通乗入れ運用から線内普通運用までこなすオールマイティーさを変らずに発揮して活躍。後年は次世代車輌が登場する中で新形式に主力の座を渡して普通運用中心に細々と活躍、最終的に残っていた車輌が、'10年6月一杯で引退、事業用車輌代用で残っていた車輌も'11年2月までに廃車となり、京急の一時期を代表した形式も消滅した。 '09.9.14 京急本線 京急鶴見-花月園前 P:梶村昭仁

名古屋鉄道 6600系

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'78年に瀬戸線近代化として1500V昇圧化と、栄町への地下新線での乗入れの際、Mc+Tc2輌編成が6本製造された。車体は鋼製で18m級両開扉3ドアー車体で基本性能は本線系6000系と同様で、三菱製ABFM抵抗制御方式で直流直巻主電動機出力150kW。ただし当初は非冷房車輌で屋根上に外気導入式ラインデリアー換気式、側窓も独特の二段式ユニット窓を採用(上段下降下段固定式)、車内も当初は中央扉を挟んだ集団離反式固定横型座席であったが、'88年以降、縦型座席化改造。また'85、'89年に分け3編成ずつ7000系廃車車輌から流用(TAC-15T2:AU12S類似)で冷房改造が行われた。また前面床下部に大型排障器が装着されたのが6000系との相違点である意味特徴となっていた。瀬戸線近代化の立役者として活躍するも、新形式による車種統一化による新たな近代化により、'13年3月に引退、消滅。 '88.8.25 尾張瀬戸-瀬戸市役所前 P:梶村昭仁

小田急電鉄 20000形

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'55年まで遡る小田急による御殿場線乗入れ特別優等列車のうち、'68年の御殿場線電化後に3000形SE車による電車連絡急行が運行されていたが、'91年3月改正から特急に格上げ、JR東海との相互乗入協定により登場した形式。従来のロマンンスカーとは一線を画したスタイルとなり2300形以来の全ボギー車(20m車体)による7輌固定編成、編成中間に2輌のダブルデッカー(二階部はスーパーシート=グリーン車)、10000形譲りの客室内がハイデッカー構造を採用。運転台は通常の床上式となったが客室より低い位置となる為前面眺望は抜群であった。性能は10000形と同様、抵抗制御方式で制動システムも全電気指令式MBS-D方式。また対JRとの保安装置切換マスコンにあるキー操作により自動的に切り換えられるシステムとなっていた。車体が20m級のボギー式のためとハイデッカー床構造もあり、空調は床下搭載が基本となり9000kcal/hのCU45形を4台搭載、ダブルデッカー車はCU45形を2台のほか屋根上に18,000kcal/hのCU702を1台、また運転台用として3000kcal/hのCU25を床下に搭載。主電動機出力が140kWにより、4M3Tの7輌編成となっておりJRの車輌(371系)より、T車の比率が大きくなっている。台車はアルストムリンク式の軸箱式エアサス台車(FS546、FS046)。「あさぎり」を中心に一部「はこね」等にも使用される等活躍するも、特急施策の方針転換と車輌老朽化と共に10000形同様、ハイデッカー構造が交通バリアフリー法に抵触することが問題となり、置換えが計画され、まず'11年3月改正で車内販売が廃止、翌年の'12年3月改正で、20余年続いた相互乗入れが廃止、小田急は新形式車輌による、'91年以前のSE車時代同様の御殿場までの片乗入に変更の上、引退。2編成製造されたうち、1本が廃車、1本は保留車となっている。 '10.4.26 小田原線 小田急読売ランド前-百合ヶ丘 P:梶村昭仁

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北海道地区に配置された500番代は半重連型と全重連型とを区別するため、区名札の隣に「半」「重」の識別札を挿入していた。1001以降は、500番代が799まで達したため貨物用800番代との重複を避け1001へ飛び番となったグループである。JRに継承されたものはこのグループが多く、釣り合い引き通し管を装備し、重連運転時に次位の補機まで単弁が作動するように改良された区分である。一部の半重連型で釣り合い引き通し管を新設し、全重連型に改造されたものも存在した。本機は1972年11月21日に五稜郭機関区に新製配置され、長らく道内各地で活躍し、JR移行後は北斗星色にリニューアルされ、2008年4月1日現在は函館運輸所にて廃車後、ミャンマーに譲渡された。 '82.10.17 函館本線 森-桂川 P: 熊谷孝志

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1971年5月に落成、旭川に新製配置され、後に五稜郭に転属主に急行ニセコの先頭に立つなど活躍した、民営化前の1986年11月に長岡運転所に転属、晩年は磐越西線の人気者となり、レイルファンの熱い視線を浴びる。2002年2月に惜しくも引退し、廃車解体されている。最後まで補助灯を付けていた唯一の1輌である。 '98.5.8 徳沢-上野尻 P:安田好一

日立電鉄 モハ10

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戦時中に激増した工員輸送のため、1943年に日立で2輌(9、10)新造した14m級電車。この時代の小型電車としてはやや腰高なもののまとまった形態をしている。両エンドとも非貫通だったが、後に2輌とも片側だけ貫通化(この2輌で貫通編成を組むためか、逆エンドずつを貫通化)された。地下鉄用台車を流用したらしくイコライザに集電シュー取付台座をもっている。営団地下鉄から2000系を導入後も旧型車では最後まで残り、1997年廃車になった。 '90.7.9 大甕 P:小西和之

167系

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'65年に165系一般急行用電車をベースに155・159系と同様に修学旅行用として製造された系式。車体色は御馴染みの朱色と黄色の塗り分けを採用。165系と外観上の相違点は側扉が幅700㎜と同時に戸袋窓がなくなったの識別ポイントで、モハ166(M')車のパンタグラフ搭載部が低屋根構造となったが、性能は同一で直並列制御の抵抗制御方式でMT54(主電動機出力120kW)、ノッチ戻し機能付きCS15A制御器、DT32A及びTR69Aのエアサス台車を装備。しかし登場後暫くして東海道新幹線に修学旅行輸送が移行したこともあり、晩年は臨時列車用途となっていて、'77年以降冷房改造で搭載。車内も当初から二人掛け横型座席仕様であった。後年はJR東日本に35輌、JR西日本に16輌(旧国鉄時代にTc1両が事故廃車)が引継がれ、JR東日本の車輌は4輌編成9本のうち、大半がアコモ改造が実施され、車体塗色も再度替る等活躍(写真の編成)、またJR西日本の車輌は終始、湘南色を堅持し、165系と混結使用で臨時急行等に活躍。JR西日本継承車輌が'01年まで、JR東日本継承車輌が'03年まで廃車となり、系式消滅となった。 '01.11.23 東海道本線 金谷-島田 P:梶村昭仁

近畿日本鉄道 3000系

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'79年に計画されていた京都市交通局地下鉄線(現在の烏丸線)との相互乗入対応用の先行試作車としてTc+M+Mc+Tcの4輌一編成が登場した。車体は近鉄車両として唯一無二のオールステンレス車体を採用。外観は'68年にやはり試験車として登場していた8000系(六次車)のアルミ車体同様、角ばったスタイルが特徴的だった。性能は回生ブレーキ付電機子チョッパー制御を採用、主電動機出力も直流直巻式で165kWと従来車輌よりパワーアップが図られた。また制動も電気指令式を採用し運転台機器も将来の新様式の見本的な位置付けが採用されていたが、実際に相互乗入仕様はVVVVFインバーター制御、アルミ車体となり完全な試作的な異端車となった。'91年以降他車併合可能なように制動、機器が8600系と同等となり同時に中間のMc車の運転台が撤去され事実上の4輌固定編成となった。京都線の普通運用を中心に2輌を増結して優等列車にも運用されていたが、'10年以降制御機器の不具合により不稼働状態となり、使用している電機子などの部品の入手困難で修繕不能となり、一系式小輌数の試作車輌とあって、'12年6月にひっそり廃車となった。 '08.12.7 京都線 近鉄向島-近鉄小倉 P:梶村昭仁

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