鉄道ホビダス

2007年10月アーカイブ

新幹線100系 X0編成

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1985(昭和60)年に新製された100系の試作編成X0は、同年10月1日より、営業運転に投入された。当初は東京〜博多1日1往復で、東京→博多「ひかり3号」、博多→東京「ひかり28号」という運用だった。写真は試運転の模様。注目の2階建て車輌は8号車168形で食堂車、9号車が149形でグリーン車(2階が開放室、1階が1人・2人・5人用の個室)になっていた。側面の赤いロゴは「New Sshinkansen」の頭文字をとって意匠化したもの。 ’85.5.15 岡山 P:松本テツヤ

営団地下鉄 500形

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1958(昭和33)年、300形・400形の増備車として400形を片運転台化したタイプで、奇数車が荻窪向き、偶数車が池袋向きになっていた、総数234輌の大世帯で方向幕横のルートサインがある初期型。ルートサインは昭和35年製の645号以降は廃止された。1988(昭和63)年、02系登場により順次置き換えが進み1995(平成7)年3月末日で本線上から姿を消し、'96年7月18日限りで分岐線の運用からも外れた。7日20日にさよならイベントが行われ丸ノ内線から赤い電車がなくなった。解体を免れた131輌は南米アルゼンチンのブエノスアイレスに渡った。 後楽園 P:田中健吉

京王電鉄1000形

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井の頭線初の高性能カルダン車として1957(昭和32)年に登場した。デハ1001〜1006、デハ1051〜1056の12輌で、1002、1004、1006、1051、1053、1055は1970年3月にMcからM車化された。'84年3月までに全車引退した。 '74年頃 京王帝都電鉄 井の頭線 下北沢─池の上 P:田中健吉

D51924

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1943(昭和18)年、川崎製。「門デフ」に改造され晩年は門司区に配属、日田彦山線で石灰石輸送に活躍。同機の「門デフ」は元デフを「種デフ」として使用したような前端上が斜めに切り欠かれた仕様で、九州配置のD51によく見られたタイプ。C59 124、C57 196なども同様式。D51 924は’73.11.30廃車となっている。 ’73.8.14 志井 P:田中一弘

D51 2

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1936(昭和11)年、川崎製。戦後は稲沢区(稲沢一区)に配属。写真は1971年4月25日に稲沢〜四日市間で運転された関西本線(名古屋口貨物列車)のさよなら列車を牽引の模様。1971(昭和46)年7月24日〜8月22日、長野機関区に貸し出され長野〜黒姫間の臨時列車「ファミリーD51」を牽引した。1971年12月廃車。現在、大阪交通科学博物館に保存されている。 '71.4.25 枇杷島 P:朝倉淳一

津軽鉄道オハ31

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鉄道省が1927(昭和2)年から1929(昭和4)年にかけて製造した17m級鋼製客車のスタンダード車種。津軽鉄道には26・51・75の3輌が譲渡され、「ストーブ列車」として長らく津軽平野を走っていたが、1983(昭和58)年、オハ46に置き換えられた。26号は現在鉄道博物館に復元保存されている。 ’82.8.1 津軽五所川原 P:松本テツヤ

銚子電鉄 ハフ1

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1923(大正12)年、銚子電鉄開業時に雨宮製作所で製作された2軸客車ハニ1・2の台枠を利用、1939(昭和14)車体を乗せかえてハフ1・2となった。1979(昭和53)年、廃車。 ’77.5.3 仲ノ町 P:一瀬祐一

オハ50 2500番代

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1990年(平成2)年五能線の「ノスタルジックビュートレイン」用に50系から改造。2500番代は展望デッキが設けられ側面窓も大型のものに改装。3000番代は増結指定席用となっていた。他に自由席用に塗色変更のみされた50系も4輌あった。'97年「リゾートしらかみ」運行開始を機に3000番代などは廃車、2500番代は高崎運転所に転属したイベント用に使用されたが'01年廃車解体された。 '91.8.15 奥羽本線 P:田中一弘

鹿児島交通 100形

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国鉄キハ07形と同形の自社発注車で、1952(昭和27)年に6輌製造された。機械式から液体式に改造されたが、総括制御はできない。101と105はキユニに改造された。1983年集中豪雨により普通となったまま1984年鉄道路線は廃止となった。 ’75.5 加世田 P:廣村典彦

C61 11

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1954(昭和24)年、三菱重工製でD51 1139(1944年製)から改造。写真は仙台区所属時代。当時、仙台には19輌のC61が配置され東北本線、常磐線で活躍していた。特に青森までの優等列車牽引に大活躍していた。1968.10.1青森区で廃車。 ’64.7.4 仙台 P:大山 正

C56 124

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1938(昭和13)年神戸三菱造船製。新製配置は麻里布機関区(岩国)。その後七尾機関区へ。七尾線時代は長く、形式入りナンバーで「SLブーム」の頃は人気を博した。七尾線DL化後は、木曽福島機関区へ。1975(昭和50)年3月廃車。現在、長野県明科町公民館前に保存されている。ナンバープレートは形式なしの物になっている。 ’74.2.10 七尾線 輪島 P:田中一弘

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高野線への直通運転に対応するため1958年(昭和33年)から1964年(昭和39年)にかけて、全電動車方式で4輌編成8本、計32輌が製造されました。南海高野線で初めてのカルダン駆動車です。なお南海本線初のカルダン車の11001系は弱め界磁率は50%ですが、ズームカーは、25%に向上し、登山区間の50‰の走行と平坦区間の99km/h(認可速度)と言う多様な運転が実現できたのです。写真は上町線の神ノ木駅から住吉東駅を見下ろして写したものと思います。発車直後の難波行き普通列車で、クーラーはなく、各車輌に1個ずつ4個のパンタを連ねて、各駅停車から急行までまさに『ズーム』な活躍をしていました。 '63.8 南海高野線・住吉東 P:柿浦和敏

C11 245

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1943年日本車両製。新津機関区にに新製配置、赤谷線など新潟地区で運用され、1973年より小牛田機関区に配置、石巻線で活躍する。デフ前縁に警戒色が塗られていた。現在、神奈川県藤沢市に静態保存されている。 '74.3.24 石巻 P:田中一弘

南海電鉄モハ12001系

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1954(昭和29)年、南海本線の優等列車用に登場した。既に高性能車の幕開けの時代、カルダン駆動のオールMcのモハ11001形(貫通形4連2編成)と共に200馬力の吊掛け式モーターを用いたモハ12001 形とクハ12801形による2Mc2Tcの1編成、合計3編成によって南海本線の特急・急行列車に華々しくデビューした。12001系は吊掛け式とは言え、電気制動も装備、オール転換クロスシートのデラックスな車内、ライトグリーンにダークグリーンの帯を巻いた斬新な塗装など、さらにこれらの新車の登場により、特急列車は難波〜和歌山市間を60分にスピードアップも実現するなど、数々の話題を提供した。カルダン式の11001系は後に正面2枚窓、張り上げ屋根の11009系が増備され、5連化されるなど発展したが、吊掛け式の12001系は4連1編成のまま、いち早く表舞台から引退した。しかし戦前からの名車2001系4連とは共通運用が組めるので、南海本線の急行・準急・普通列車などに活躍を続けた。1500Vへの昇圧が具体化し、12001系は11001系のサハ11801形として昇圧までの間11001系の編成長大化に貢献し、最後のご奉公をした。いずれにしても近鉄の2250系と共に吊掛け電車時代の最後を飾る豪華電車のひとつであったことは紛れもない事実である。 南海本線西線 玉出─粉浜 P:永野晴樹

大井川鐵道 モハ1105

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元岳南鉄道モハ1105で'81年入線。'60年汽車製造製。当時地方私鉄向け17m級車両として日本車輌が製造した標準車体を採用。岳南時代に木造、老朽半鋼製車更新の際に採用し汽車で同時製作した2両の内、1両をステンレス車体(スキンステンレス)で製造。2扉片開、側窓は上部がHゴム固定のバス窓採用。貫通扉付3枚窓。性能は吊掛式HL制御であったが、'71〜'74年にCS系制御器に換装。主に単車使用や他車増結用で活躍。後にワンマン化改造実施。'86年以降納涼展望電車クハ861牽引でも活躍。後冷房付譲渡車投入と機器老朽化等で休車状態に。'99年除籍となった。 '88.9.2 新金谷 P:梶村 昭仁

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1963(昭和38)年登場。西武所沢工場で車体新製。機器は自社手持ち部品を活用。西武551・601系をベースに伊豆箱根オリジナルスタイル(腰部2灯前照灯、張上屋根車体等)とした。性能は吊掛駆動、台車はDT10,TR11等の旧式。屋根上はMc車パンタグラフ以外、グロベンがズラリ並ぶ。車内はセミクロスシート。この第1編成のみ両端Mc車編成。車体は西武カラーでウオームベージュ+ローズレッドで後、前面部が旧国鉄特急車の様なデザインに。非冷房故旧西武701系譲受車や新車投入で余剰となり'91年除籍、Mc(2輌)のみ大井川鉄道へ譲渡。 ’89.3.2 駿豆線 三島二日町─大場 P:梶村昭仁

大井川鉄道 クハ861

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元名鉄3800系譲受車で編成を組んで居たモハ310(元モ3805)+クハ510(元ク2805)のクハ510を種車に'86年自社工場で改造した意欲作。側窓シル上部から幕板屋根鋼帯境界線までの外板と側扉を撤去、納涼展望電車と銘打ったオープンカーとしてリデビュー。車号は登場年度(86)にあやっかたもの。同社在籍電車との併結以外にSL客車列車との併結も考慮。夏場の臨時列車を中心に活躍。晩年は休車状態となり、'99年を以て除籍となった。 '88.9.2 大井川鐵道 新金谷 P:梶村昭仁

D51 134

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門司機関区のD51はほとんどが門鉄デフに改装されていましたが、134号機はオリジナルデフの端正な姿と共に、煙室扉の形式入りナンバープレートが印象的なD51でした。日田彦山線の香春や石原町からのセメント列車を牽いて活躍しましたが、その前は盛岡機関区所属で、東北本線で活躍していました。 ’70.11.23 日田彦山線 香春 P:永井修二

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