鉄道ホビダス

2017年5月アーカイブ

キハ48-3812

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寒地向け便所付きキハ48-529として1979年12月美濃太田機関区に新製配備された。1989年3月冷房化改造(床下搭載型)される。1989年3月〜1990年3月は伊勢運輸区に所属した。1991年3月エンジンをC-DMF14HZ(カミンズ350PS)に換装しキハ48-3529に改番、1992年10年名古屋車両区に転属し武豊線で運用されるが1999年キハ75形に置換えられて美濃大田車両区に戻った。1999年12月ワンマン化されキハ48-3812に改番された。そして2011年4月国鉄色に変更され注目を集めた。2014年12月伊勢車両区に転属、最後の活躍をする。2016年3月26日ダイヤ改正にて運用離脱、2016年3月29日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '08.3.10 高山本線 猪谷 P:楢井勝行


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1989年に1輌のみ増備された、富士重工製の軽快気動車である。保有していたイセI形とは前面が貫通型となり運転席も中央から左端へ設置された。2003年には新規車輌(イセⅢ形)投入に伴い、2005年9月30日に営業終了しミャンマーへ輸出された。 '03.8.11 関西本線 四日市 P:長岡行夫

キハ11 10

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1989年1月伊勢運輸区に新製配備されたキハ11暖地向け便所無しセミクロスシート車である。当初の運用区間は紀勢本線(亀山〜多気)・参宮線・名松線であった。1999年3月に便所付きキハ11-300番台が増備、これとペアを組んで紀勢本線多気以南〜新宮にも運用されることとなった。2016年3月26日ダイヤ改正にて運用離脱、2016年3月28日ミャンマーに譲渡のため笠寺に回送された。写真はキハ11-10を先頭にした325Dである。以前は中間2輌にキハ11-300番台が入る編成であったが2011年3月11日ダイヤ改正にて鋼製車とステンレス車が交互に並ぶ編成になった。 '12.5.20  紀勢本線 阿曽--伊勢柏崎 P:楢井 勝行

D51 524 

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1940(昭和15)年に浜松工場で新製され、金沢に配置された。戦時中に広島、1960(昭和35)年に新見と移動し、伯備線の無煙化後は浜田へ転属して1975(昭和50)年1月に廃車となった。 '73.6 新見機関区 P:清原正明

ソ30

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1965年に蒸気機関からディーゼル機関に変った後の姿。炭水車はなくなり、塗色が明るくなり、控車もチキ1761に替わった。1966年ソ88配属により秋田機関区に移り、JR化前に廃車と聞く。 '66.5.13  新鶴見機関区 P:高澤 一昭


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1957年に、チキ2形10号(1927年製)の車体を鋼体化して誕生。箱根登山鉄道で唯一の東洋工機製車体であった。製造当初、足回りはブラウンボベリー製のシュリーレン台車を使用していたが、1985年に東急車輛製TS330-Aに交換、カルダン駆動化された。また、2001年には室内更新が実施されている。老朽化ならびに新型アレグラ号3100形の増備に伴い、2017年2月12日のさよなら運転を最後に引退した。引退に先立って2016年9月から昭和20年代後半の塗装に復刻され、最後の活躍を見せた。引退後の数か月間は入生田検車区に留置されておりその姿を見ることができたが、2017年5月7日に廃車回送が実施され(写真)、その後強羅からトレーラーによって搬出された。 '17.5.7 箱根登山鉄道 入生田−箱根湯本 P:大橋史明

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ED16 15

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1931(昭和6)年三菱造船、三菱電機製造、国府津機関区配置。すぐに水上に移動、上越線で使用後、八王子→西国立→八王子→西国立と移り、中央本線、青梅線、南武線で活躍。後年は石灰石輸送が中心となった。全機18輌が集結した西国立機関区は1963年4月、立川機関区と改称。1978(昭和53)年除籍。山梨県南アルプス市の保存。写真は腕木式信号機の頃で、そのワイヤーが見える。同一貨車の編成美と強風が吹くと白煙(?)をあげての走行を思い出す。 青梅線 古里 '62.11.26 P:高澤一昭


583系N1・N2編成

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1970〜72年製造で最後まで残ったJR東日本秋田車両センター所属の583系交直両用寝台電車。編成はN1とN2に分かれているが、実際の運用は6輌編成で行われていた。2017年4月8日に団体臨時列車として秋田〜弘前間2往復の運用を最後に惜しまれながら引退した。 '174.8 奥羽本線 白沢〜陣場 P:西田 達哉

キハ45

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本州向け1機関搭載の片運転台車で、各番台合わせて98輌が製造された。暖地向けの0番代は1966年から寒地向けの500番代は1967年から製造され全国で活躍しJRにも継承された。しかし平成元年から各社で急速に廃車され1995年には形式消滅となった。八高線では主力のキハ35系等に混ざって見ることができたが、活躍期間は数年と短かった。 '88.4 八高線 東飯能ー高麗川 P:長岡行夫

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