鉄道ホビダス

2013年3月アーカイブ

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営団地下鉄東西線の5000系を置き換えるため1988年「05系」が登場した。001編成〜013編成はチョッパ制御・通常ドアの初期量産車、014編成はVVVF制御・ワイドドアの試作車、015編成〜018編成はチョッパ制御・ワイドドアの量産車、019編成〜024編成はVVVF制御・通常ドアの量産車である。025編成〜043編成はデザインが大きく変更され通称「05N系」と呼ばれている。写真の「05系」-011編成は4次車として1991年5月新製された。2010年5月より東西線の混雑緩和するためワイドドアの「15000系」13編成が投入された。これに伴い「05系」001編成〜013編成の初期量産車が2009年〜2011年にかけて運用を外れた。多くの編成は海外に譲渡されたが、011編成は、両先頭車2輌と中間車1輌は近畿車輌に送られ、残り中間車7輌は解体された。 '09.10.25 東葉高速鉄道 八千代中央 P:楢井勝行

大阪市交通局30系 3093

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1979(昭和54)年7月24日落成、アルナ車両製造。1994(平成6)年9月8日に冷房化改造を行う。谷町線で最後まで残ったステンレス車であったが、30000系32610Fの登場により2013(平成25)年3月1日運用離脱、後に解体された。 '13.2.18 大阪市交通局 谷町線 南森町 P:中司朔良

キハ58-563 キハ28-2329

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キハ58-563は1964年10月宮原機関区に新製配備、向日町経て広島に移った。キハ28-2329はキハ28-329として1964年2月広島機関区に新製配備、1969年5月冷房用電源を装備し車番が2329となった。両車とも白い専用塗装とバケットシート風固定クロスシートにグレードアップされ急行「みよし」で運用されていた。急行「みよし」廃止後、2007年10月国鉄急行色に復元され岡山に転属、臨時列車等で活躍した。2010年11月に引退、その後は旧津山蒸気機関車庫にて保存されている。写真は臨時快速「あまるべマリン号」に充当された両車を撮ったものである。旧餘部橋梁が描かれた大型ヘッドマークを装着していた。この列車に乗車しDMH17Hサウンドを聞きながら山陰海岸の風光明媚な車窓を楽しんだ。 '08.10.13 山陰本線 城崎 P:楢井勝行

DD16 301

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簡易線に残る蒸気機関車の置換え用としてDD51初期車から降ろされたDML61Sを800PSにデチューンして搭載したDD16が1971年から1975年に製造された。1972年3月、DD16 2が国鉄長野工場で製造、1979年4月単線用ラッセル式除雪ヘッドを取付可能とすべく改造されDD16 301となり、冬季は飯山線や大糸線の除雪に使用された。国鉄分割民営化後はJR東日本に引き継がれ、冬季以外は小海線等で運行されるイベント列車の牽引等でも活躍した。この写真は僚機DD16 11とともD51 498が牽引し黒姫に向かう「SL信越120周年号」の後部補機として長野駅7番線に入線する様子を撮ったものである。折り返しの「DL信越120周年号」はDD16重連が牽引し晴れ舞台を飾った。除雪用モーターカーの普及により余剰となり2010年8月廃車となった。 '08.11.22 長野 P::楢井勝行

京浜急行 デハ1382

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二代目1079-1080 として1978年3月製造、新造時より集中型クーラーを装備する。1000形としては最終年度増備車である。 2003年1月、新1000形増備に伴い車番を譲るため 1079-1080 → 1381-1382 へと改番した。その後中間車を他の編成に差し出し2輌編成となった 1329-1332 と連結され全て先頭車の「ブツ4」編成で運用された。2008年8月、他の編成より捻出された中間車 1352-1353 を組み込み 1381-1352-1353-1382 の4輌貫通固定編成となり特殊な「ブツ4」編成は解消された。晩年は主に大師線で運用されたが、2009年6月引退。惜しまれながら2011年2月解体された。 '09.5.13 大師線 産業道路 P:楢井勝行

新幹線100系 P編成

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1989年〜1991年100系V編成「グランドひかり」9本が登場、2階建て車輌4輌連ねて山陽区間を230km/hで運転した。2000年から2階建て車輌を外し短編成化され4輌編成はP編成、6輌編成はK編成と呼ばれ山陽区間の「こだま」で運用された。写真の先頭車121形5050番代は中間車125形3000番代に廃車されたTcの運転台を接合したものであり、運転台下のスカート造形に特徴があった。車内は4列座席化されており「こだま」のサービス向上に貢献した。P編成は2011年3月に引退、1年後の2012年3月にK編成も引退した。 '08.12.31 山陽新幹線 博多 P:楢井勝行

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1967年4月モハ112-169+モハ113-169として新製、高槻に配備された。1986年9月福知山線電化用に運転台を取り付けクモハ112-807+クモハ113-807に改造された。JR西日本に移行後に冷房化とワンマン化、1992年には高速化対応されクモハ112-5807+クモハ113-5807に改番した。この車輌は、種車が113系初期車のためグローブベンチレータ、ワンマン車識別用に追加されたクリーム色の帯、WAU202の屋根上ユニットと車内機器室設置のための側窓閉塞、などが特徴で福知山電車区の珍車軍団の一角を担っていた。この写真の撮影から僅か一ヵ月後、後継車223系5500番代の増備により2009年2月廃車となった。 '09.1.1 山陰本線 和田山 P:楢井勝行

クハ419-2

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クハネ581-12として1968年8月青森運転所に新製配備、1970年7月南福岡電車区、1975年3月向日町運転所、と転属する。1984年12月、国鉄小倉工場にて近郊型電車へと改造され419系米原方先頭車クハ419-2となる。金沢運転所に配属され北陸本線全線で活躍する。1996年3月に敦賀運転センターに転属、ここが終の棲家となった。2005年より始まった前面貫通扉閉鎖改造でクハ419-2だけは前面表示器・貫通扉が完全に埋められ、のっぺりとした顔になった。2011年3月521系に置き換えられ引退、2011年6月廃車となった。 '08.3.8 北陸本線 敦賀 P:楢井勝行

クハ111-5751

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湖西線開業用として半自動扉を装備した寒冷地仕向け113系700番代第一編成(東向き)クハ111-701+モハ113-701+モハ112-701+クハ111-751(西向き)が1974年4月新製された。1980年3月草津線電化に伴いその活動範囲を広げた。1992年2月高速化改造されクハ111-5701+モハ113-5701+モハ112-5701+クハ111-5751に改番、京キトL2編成となった。クハの金属押さえの前面窓やモハ112に増設された霜取りパンタグラフ以外は比較的原型を保っていた。ATS-Pを搭載することなく、クハ111-5701ともに2010年1月廃車となった。なお中間M車は京キトL7編成に転用された。 '09.1.16 東海道本線 草津 P:楢井勝行

京浜急行 デハ1332

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1329-1330-1331-1332 の4輌編成で1976年8月製造、新造時より集中型クーラーを装備する。1995年中間車 1330-1331 を他の編成に差し出し 1329-1332 の2輌編成となる。同じく2輌編成 1381-1382 と連結され全て先頭車の4輌編成で運用された。 2008年8月、他の編成より捻出された中間車を組み込み 1329-1354-1359-1332 と再度4輌編成となった。晩年は主に大師線で活躍したが老朽化に伴い2009年引退した。 '09.5.13 大師線 産業道路 P:楢井勝行

小田急20000形

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小田急新宿-御殿場を結ぶ連絡急行「あさぎり」SSE車3000形を置き換えるため、1991年3月にRSE車20000形2編成が登場、JR東海371系1編成と共に小田急新宿〜沼津を結ぶ特急「あさぎり」に投入された。ハイデッカー普通車5輌、2階1-2配列のスーパーシート(グリーン席)/1階セミコンパートメント普通席のダブルデッカー2輌、から成る7輌編成である。「あさぎり」以外にも「はこね」「あじがら」「ホームウェイ」、また371系の代走等八面六臂の活躍をした。バブル期の設計であるため車内設備や車窓からの眺望は優れていたが、ハイデッカーがゆえにバリアフリーに対応出来なかった。そのため「あさぎり」は2012年3月、運転区間を小田急新宿〜御殿場に短縮、小田急MSE車60000形6輌編成に置き換えられ、RSE車20000形は引退した。なお、371系はJR東海内の臨時列車などに転用されている。 '08.6.7 沼津 P:楢井勝行

EF66 901

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EF66 901は、1966年にEF90として川崎電機・川崎車輌で制作された試作機関車で高速貨物列車用機関車として各種試験が行われた。1968年に量産車が制作されると量産車改造が行われEF66 901となった。国鉄民営化でJR貨物に継承されて吹田機関区に配置された。1996年末に保留車となり2001年広島車両所で解体された。 '84.8 浜松機関区 P:藤村巌雄

キハ45 2

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1960年から1963年にかけて気動車の不足から生まれた客車改造の気動車キハ40形とキハ45形。オハ61改造の両運転台のものがキハ40で、オハフ62改造の片運転台のものがキハ45である。さらにオハフ61改造のエンジンなしの制御車キクハ45形、オハ62改造のエンジンなしの中間車キサハ45形が登場する。キハ40=3輌、キハ45=5輌、キクハ45形=3輌、キサハ45=3輌の総勢14輌は徳島に配置されたキクハ45以外はすべて北海道だった。写真のキハ45 2はオハフ62 6を種車としており、台車がDT22AとTR23改をはいている。写真は野幌で撮影したもので、夕張鉄道からの乗り換え客をのせて札幌に向かうのだろう。1966年の改番でキハ40はキハ08に、キハ45はキハ09になった。キクハ・キサハは改番以前に廃車となっている。 '65.11.7 函館本線 野幌 P:飯田 勝

オハフ64

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オハフ64は、オハフ61を種車として1969年に国鉄後藤工場で2輌改造された。同じく中間車のオハ64(オハ61改造)5輌とともに和田岬線専用として活躍した。通勤時間帯の混雑対策と乗車時間が短いことから便所・洗面所・座席を撤去し、車体中程にロングシートを設置されていた。がらんとした車内につり革がずらりと下がる光景が見られた。またホーム側の車体中央に外吊り式のドアが取り付けられていた。国鉄民営化でJR西日本に継承されたが、1990年に気動車に置き換えられ廃車された。 '81.8.3 和田岬 P:藤村巌雄

クモハ101 ワンマン改造車

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南武支線(尻手〜浜川崎間)のワンマン運転を行うために101系クモハ101、クハ100の2輌1ユニット3編成がワンマン改造された。当初は非冷房であったが、その後、冷房改造され、AU712型冷房装置、CS24型インバータ装置が屋根上に搭載された。本線から101系が消えていく中活躍を続けたが、2003年11月に定期運用を終えて廃車された。 '88.2  南武線 尻手 P:藤村巌雄

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