鉄道ホビダス

2016年6月アーカイブ

クモハ103-11+102-1201 

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大船工場の牽引車101系の後を継いだ103系のユニットです。営業線ではみることがない組合せです。廃車解体をしていた工場ならではの苦心作。Mc103-11(中原 1993.7 )、Mc'102-1201(松戸 1993.4)の廃車を利用。前照灯増設、Mc'前面貫通扉下部に点検窓新設した。車輪が死重として載っていた。1994年の写真ではパンが定位置にあるが、1996年の写真では前位に移設されていて、101系同じとなり入換えが便利になった。 1996.5.24 大船工場 P:髙澤一昭

DD51 893

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1974年12月佐倉機関区に新製配備、後に愛知機関区に転属となる。2002年12月A更新工事、そして廃車は2016年3月である。写真は2089レ紀勢貨物を牽引するDD51 893号機、大内山駅で特急南紀2号と交換した後、唸りを上げて通称「大内山大カーブ」を登って行った。 '11.11.30 紀勢本線 大内山--梅ヶ谷 P:楢井勝行

78675

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1925(大正14)年に川崎で製造、記録では神戸に新製配置とある。1930(昭和5)年には新見に配属(その後糸崎に移動)されていたようだ。1938(昭和13)年夏に糸崎から三次に転属の記録があり、三次区の8620形では最古参のグループになる。芸備線や福塩線で活躍し、最後は三次〜福山間の貨物列車牽引、三次駅構内の入換えなどに用いられた。1970(昭和45)年秋、和歌山に転属したが、1972(昭和47)年春に廃車となり、現在は和歌山県五條市で静態保存されている。 '70.4 芸備線 三次 P:清原正明
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キハ48-6502

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寒地向け便所なしのキハ48-1516として1979年7月美濃太田機関区に新製配備される。1988年7月冷房化改造(床下搭載型)される。1998年8月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-6502に改番された。1999年伊勢車両区に転属、活躍の場を紀勢本線と参宮線に移す。2011年12月に国鉄色になり人気を博した。2015年12月1日運用離脱、12月3日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '11.7.21 参宮線 多気−外城田 P:楢井勝行

伊勢鉄道 イセ1形

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伊勢鉄道は旧国鉄伊勢線を引き継いで1987年3月27日第三セクターとして設立した。イセⅠ形は伊勢鉄道開業用に新設されたもので、富士重工業が開発した気動車で3輌在籍し車体は15.5m、前面は非貫通構造で運転席は中央に配置されていた。老朽化のため、2004年12月31日限りで運用を終了し、全車が廃車となりミャンマーに輸出された。   '89.8.12 伊勢鉄道 四日市 P:長岡行夫

DD51 1027

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1972年12月新製、熊本機関区に配備される。1980年11月東新潟機関区に転属、ツララ切・旋回窓が装備された。国鉄分割民営化時、JR貨物東新潟機関区所属となる。2010年9月吹田機関区に転属、城東貨物線で運用されるが2011年3月のダイヤ改正で城東貨物線電機化により余剰となる。2011年3月下旬〜4月中旬、古巣東新潟機関区に貸し出され、東日本大震災で寸断された東北本線に換わり磐越西線経由で運転された石油輸送貨物を牽引する。2011年9月、吹田機関区より門司機関区に転属するも殆ど稼働せず長期に渡り留置された。そして2014年4月の岡見貨物正式廃止をもって廃車となった。 '11.4.9 磐越西線 喜多方−山都 P:楢井勝行

DD16 303

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飯山線及び大糸線用として、0番代の機関車を改造し両端に脱着式単線用ラッセルヘッドを新たに製作し脱着可能なタイブとして、1979年から1983年に4両(301号機から304号機)が誕生した。除雪作業の際はDE15形同様に、ラッセルヘッドから機関車本体を遠隔操作で可能な改造も行われた。なお最後まで活躍していた304号機も2015年に廃車となった。 '88.5 小海線 中込 P:長岡行夫

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Mc101-158 (1962)→1015 M`c100-106(1961)→1015 1977年武蔵野線用として改造。後スカ線小運転用に塗装を変更、準備したが、使用されず大船工場で入換、駅への入出場車の控車として晩年を過ごした。車輛の向きが上下逆でした。検査ピットへの押込み入換のため、Mc101-1015の前位にパンタグラフを新設し、常時使用したが面立ちが変わりました。のち塗装変更したが、この塗りが懐かしい。 クモハ101-1015 '88.2.2 大船工場 P:髙澤一昭

上田交通 モハ5370形

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1954(昭和29)年と1955(昭和30)年に旧信濃鉄道(現・大糸線)の木造車体の社形(買収)国電を買い受け、モハ5260形5262および5263として入線した。5262は1500V仕様で傍陽線に、5263は別所線用として750Vと1500Vの複電圧仕様として配属された。1960(昭和35)年に老朽化した木造車体を更新するため、東急碑文谷工場で小田急電鉄クハ1651形電車の車体を換装し、モハ5370形5371および5372となった。換装工事に際しては、小田急から流用した車体を両運転台化のうえ、両端の客用扉を窓一つ分中央に寄せると共に、木造車であったために厚みのある台枠を隠すため、車体裾部を延長し、裾の長いスタイルとなった。改造後の2輌は別所線に集結し、定員の多いことから朝夕の混雑時に使用され、総括制御が可能であったため混雑時には制御車のクハ290形を連結して運用されたが、別所線の1500V昇圧となる前日の1986(昭和61)年9月30日まで運用されたのち、昇圧当日の10月1日付で廃車となった。 '83.3.30 中塩田 P:前 直也

ケ12

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1952年10月、ケ1の代替として、コキ5500の台車、自連を再用しケ10形として長野工場で誕生した計重車。駅や工場の橋はかり装置の検査に使用した。ケ1の実積から各種改良を施した。JR東日本に継承され1995年廃車。大船工場の秤は軌条も敷設されていたが、電車解体の鉄くずを積んだ大型トレーラーの計量に使われた。『Rail Magazine』No238参照 '79.11.21 大船工場 P:髙澤一昭

岩手開発鉄道 キハ301

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1952(昭和27)年に新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で夕張鉄道キハ200形として新製された国鉄のキハ07形とほぼ同一設計の半鋼製車体の気動車で、キハ201とキハ202の2両のうちの1両である。夕張鉄道の旅客営業廃止によって1975(昭和50)年にキハ202が岩手開発鉄道に譲渡され、その際に僚車であるキハ201の部品を組み合わせて岩手開発鉄道キハ301となった。夕張鉄道時代に機関と変速機の間に流体継手が使用された珍しい構造に改造され、その後エンジンをDMH17Cに換装し、暖房を温水及び排気暖房からウェバスト式暖房に改造して暖房能力が増強されている。外観上は側面中央の扉を埋めて2扉化するとともに、動台車側一部のみロングシートとしてセミクロスシートから転換クロスシートに変更し、さらに開閉窓のアルミサッシ化と固定窓のHゴム化、扉のプレスドア化やタイフォンの正面中央窓上への移設などの改造を受けている。岩手開発鉄道では主力のキハ202に比べて大型であったが、機械式であるために予備車的な扱いであり、暖房設備がキハ202より強いことから、キハ202の検査時以外は厳冬期に若干使用される程度であった。岩手開発鉄道でも2度目の旅客営業廃止に遭遇し、廃車後は個人に売却されたものの引渡しがされず、2001(平成13)年7月に解体された。 '88.9.7 盛機関区 P:前 直也

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第41回 交通図書賞 奨励賞受賞

相模鉄道 クハ3504

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国鉄から事故焼失車、モハ63056の払い下げを受け、1952年修復。1965年3010形に機器を譲り廃車。右側の築堤は貨物線(厚木線)である。複線は小田急線、広い田んぼは今、小田急の一大車輛基地に変貌した。 '61.11.12 海老名 P:髙澤一昭

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