鉄道ホビダス

2017年2月アーカイブ

キハ28 2329

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1964(昭和39)年に帝国車輛でキハ28 329として製造され、広島に配置。冷房化工事に伴い、2000番代2329となる。2007年6月に芸備線の急行列車が廃止され、岡山に転属した際に本来の急行色に戻され、イベント列車等で活躍した。現在は僚機キハ58 563と共に旧津山機関区の扇形庫で保存されている。 '92.5 広島運転所 P:清原正明

東京都交通局 10-300R形

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都営10-300R形は2005年に登場した都営新宿線の車輌、10-300形が全車新製であるのに対して、10-300R形は先頭車のみ新製し、中間車は比較的経年の浅い10-000形を組み込むことで導入コストの低減を図った。10-300R形は10-310〜360の計6本が登場し、10-000形や10-300形とともに都営新宿線及び京王線で活躍をしていたが、2015年度より廃車が始まり、最後まで運転していた10-330編成が2017年2月14日で営業運転から引退し、10-300R形は全車引退した。特に先頭車はわずか十年余で廃車という短命の車となった。 '17.2.5 京王相模原線 京王よみうりランド P:福田智志

DD12 5

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1945年GE製。米陸軍の8593電気式ディゼル機関車で国鉄に貸与され米軍基地周辺の駅の入換に使用された。1956年国鉄への車籍変更によりDD12 5となり東京周辺の入換に使用され、1972年久里浜支区で廃車となった。 '65.5.11 東海道本線 藤沢 P:高澤一昭

D51 518

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1940(昭和15)年に国鉄浜松工場で製造。戦後間もなく広島に配属され、山陽本線や呉線などで活躍、晩年は入換用のステップを取り付けている。広島地区の無煙化後は厚狭に転じ、1973年に廃車となった。 '70.8 広島運転所 蟹屋派出 P:清原正明

クモハ14806

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1930〜32年に製造されたモハ32うち、モハ32015が形式称号改正でモハ14015なり、のち身延線運用車は低屋根化改造を行った。'59年の形式称号改正でクモハ14806となった。身延線のほか甲府地区ローカル運用も
担いました。1971年廃車。 '63.3.3 中央本線 塩山 P:高澤一昭

キハ48-5817

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寒地向け便所付きキハ48-542として1980年6月美濃太田機関区に新製配備された。1990年6月冷房化改造(床下搭載型)される。1995年11月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-5518に改番された。1999年伊勢車両区に転属、2000年3月ワンマン化されキハ48-5817に改番された。2016年3月26日ダイヤ改正にて運用離脱、2016年3月29日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '13.6.9 紀勢本線 栃原 P:楢井勝行

横浜市電 420

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大阪から横浜を訪問したとき大桟橋通りを走る多くの市電が単車であるのにを見て驚きました。しかも420は羽目板を黄色に塗った木造なのには二度驚きました。4系統の花園橋付近での撮影です。1926年横浜船渠で400型の増備車としてBrill79E2台車、空気ブレーキ付で製造された400型の増備車です。その後も鋼製化されることなくボギー車に伍して1966年3月まで働きました。両端の腰板のスカート部が他の400型と異なりテーパーがなく角形に切り落とされています。魚雷型ベンチレーターも取り外され、戦時中に窓の保護棒が供出され、戦後付けられた広告板も用済みとなり引退まぎわの老兵でした。 '65.4.5 花園橋 P:飯田 勝

江ノ電 551・501

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1956年東洋工機車体新製、足回り等は再利用品。今迄にない欧風の車体、両開きドア、かわいいセミクロスシートなどのほかテープによる沿線観光案内も行われ、まさに観光地の電車でした。後Zパン、パンタグラフ化、車体更新し片開きドア、正面5枚窓化、'89に台車の交換が行われた。20形に機器を譲り2002年惜しまれながら廃車となった。 '61.5.3 鎌倉高校前ー峰ヶ原(信) P:高澤 一昭

キハ48 5 

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1982年にキハ48 4〜6ほか5輌が敦賀に新製配置されたが、1989年に5輌とも小郡に移動。その後、2003年度に5・6・1003が岡山に移動し、津山・吉備線で活躍した。両端片開きドアを生かして急行「つやま」専用車両に抜擢されたが、しかし、2009年3月改正で急行「つやま」は廃止、デッキ付きでワンマン化されなかったことが災いし、これら3輌も急行「つやま」廃止と運命を共にした。ちなみにキハ48はセミクロス車のため"遜色急行"と呼ばれていた。 '09.3.7 津山線 法界院ー備前原 P:中村和幸

キハ48-6812

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寒地向け便所無しキハ48-1529として1980年12月美濃太田機関区に新製配備された。1989年6月冷房化改造(床下搭載型)、1992年10年名古屋車両区に転属し武豊線で運用される。1996年8月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装しキハ48-6512に改番、1999年キハ75形に置換えられて美濃大田車両区に戻った。1999年12月ワンマン化されキハ48-6812に改番された。そして2011年6月国鉄色に変更され人気の的となった。2015年7月伊勢車両区に転属、最後の活躍をする。2016年3月26日ダイヤ改正にて運用離脱、2016年3月29日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '11.7.21 参宮線 二見浦 P:楢井勝行

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