鉄道ホビダス

国鉄・客車の最近の記事

ドリームカー

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急行「まりも」の座席指定車のグレードアップを図るため、1988年、オハ14 503・505・507・508・510の5輌に対し、キロ182形のグレードアップにより発生したグリーン車用リクライニングシートに交換して誕生した。急行「まりも」は、1993年3月PDC化により廃止されるが、その後、ドリームカーは急行「はまなす」に転用され、本年3月まで使用された。 '91.8 釧路運転所 P:佐々木 裕治

マヤ34 1

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1959年高速軌道試験車として、東急車輛で新製。品川客車区配置。各種試験に供された。1967年北海道転属に伴い各種改造を受け車番が2501となった。写真は1959年5月14日、茅ヶ崎で発生の貨物列車脱線転覆事故の調査試験と思われる。1987年民営化前に廃車された。 '59.7.21 東海道本線 茅ヶ崎 P:髙澤一昭

コヤ901

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コヤ901は、新幹線の車体を在来線経由でモデル線鴨宮基地まで輸送時の支障物の有無を検測する限界測定車として誕生。オロ31の台枠を延長、心皿間隔を新幹線車輌と同じ長さしたが、前後に張出し部があり(全長24.5m)運転の際は長物車の連結が不可欠。検測時は3か所の縦枠に矢羽根を装着する。ブレーキ管引通しのみのため、貨車であれば + マークが付くが、コヤの(コ)は客車の証なので、なかったように思う。1961年大船工場改造、品客配属。JR東に継承され1990年廃車。写真は定検のため、大船工場配給列車に連結されたチ、コヤ、チのユニット。  '80.6.4 根岸線 本郷台 P:髙澤一昭

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1973年から1976年に47輌製造された2段式B寝台の緩急車である。写真はJR西日本受け持ちの日本海4号、最後尾のオハネフ25 0番代は銀帯に折り戸の原形車である。減便となるダイヤ改正4日前の姿であるがファンの姿もなく静かに大阪に向かっていった。この2008年3月15日ダイヤ改正にて寝台急行銀河も廃止となりJR西日本所属のオハネフ25 0番代は運用を消失、廃車となった。 '08.3.11 北陸本線 加賀温泉 P:楢井勝行

オハ51 41

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51形客車は、50系客車の北海道用のグループで、客室の窓を小型の一段上昇式二重窓とし、車軸発電機をベルト駆動からギア駆動に変更する等の酷寒地対策が施されている。1978年から1982年にかけてオハ51形62輌(オハ511〜62)、緩急車のオハフ51形68輌(オハフ511〜68)の合計130輌が製造された。このうちオハ51 41は、札幌圏のラッシュ対策として車体中央に客用扉が増設された。車体中央に客用扉と客室との仕切り扉を増設して3扉化し、客室を前後2室に分けた他、増設扉周辺の座席をロングシートに変更していた。改造は、改造は1輌でのみで、3扉化は711系電車の一部で施工され、この形態は721系に踏襲された。オハ51 41は1994年(平成6年)に廃車された。 '94.9 岩見沢 P:佐々木裕治


キハ1601(キハ160形)

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日高本線用の気道車として、踏切脱線事故で大破したキハ130形気道車の補充用に、1997年3月新潟鉄工場で製造された。キハ130形とともに使用されたが、日高本線の気道車には1999年度までにキハ40-350番代が導入された。唯1輌のキハ160は、2007年動力系の大規模改造が施工され、電動機とディーゼル機関を併用したモーター・アシスト・ハイブリット動力の試験車" ITT " (Innovative Technology Train) に改造された。2008年に開催された「洞爺湖サミットで」は、室蘭本線東室蘭-室蘭間でデモンストレーション走行を行った。2013年12月に廃車された。 '09.10.10 苗穂工場 P:佐々木裕治

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1983年に登場した12系客車改造の和式6輌編成で、国鉄高崎管理局(現在の高崎支社)が保有していた。登場当時の外観塗装は青を基調に太い白帯であったが、1987年にぶどう色を基調に白帯・窓回りには金色塗装に、それに合わせてEF64 1001号機を牽引指定機としてぶどう色と白帯に変更された。その後老朽化により1999年9月にD51 498牽引によるさよなら運転が行われた。 '98.6.8 八高線 明覚-越生 P:長岡行夫

マヤ10 2001

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1967年 日本車輌製の車輌性能試験車。屋根上にAU12形冷房装置と低屋根部分にパンタグラフが取り付けられている。1987年に廃車となっている。 '79.8.5 池袋 P:中静政信

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1987年3月に国鉄民営化目前に14系種車を大宮工場、東急車輌にて改造、4号車オロ12715を組成、若者向け鉄道旅行ターゲット目的でなおかつ斬新なデザインの欧風客車として登場。1987年〜1990年4月までミスレインボーが乗務、団体列車他繁忙期には多客臨「レインボー会津路」、「シュプールレインボー信越」などにも運転された専用指定機も併せて登場老朽化のため、12系和式客車江戸とともに2000年3月31日で引退後解体されている。 '97.7 信越本線 群馬八幡-安中 P:安田好一

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12系客車を種車に改造した和式客車で、外観は欧州デザインを採用した6輌編成のお座敷列車である。改造工場は大宮及び郡山工場で行われ、1987年1月に落成し仙台鉄道管理局配属された。国鉄分割民営化後はJR東日本に承継され活躍していたが、車輌の老朽化に伴い2000年11月に廃車となった。 '90.1 東北本線 矢板-片岡 P:長岡 行夫

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1983年8月に東京南鉄道管理局に欧風客車「サロンエクスプレス東京」がデビュー。品川客車区に配置されジョイフルトレインの草分け的存在となった。団体列車の他繁忙期には「サロンエクスプレス踊り子」などにも起用され、民営化後はJR東日本に継承、品川運転所配置となり後に尾久客車区へ転属した。1997年1月に「サロンエクスプレス東京」としての営業運転を終え、和式客車ゆとりへ生まれ変わった。塗装はそのままで活躍したが、2008年3月に車輌の老朽化が著しく引退、JR東日本の客車ジョイフルトレインは消滅した。中間車は解体され、展望車のスロフ14 701・702の2輌はいまも尾久車両センターに保留車として留置されている。鉄道友の会が授与するブルーリボン賞(27回/1984年)を受賞。 '07.3.25 東北本線 片岡-蒲須坂 P:安田好一

オハネ14 501(500番代)

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14系500番代は、10系寝台車の老朽化対応とサービス向上を図るため、S57.11改正で余剰となった14系客車(オハネ14形17輌、スハネフ14形8輌)に暖房強化、客用扉の引戸化など北海道向けの改造を施し、昭和58年から道内の夜行急行に使用された。1993年3月急行「まりも」を特急「おおぞら」へ格上し183系気動車化を図る際、オハネ14
501・502・504の3輌が、ブレーキ管の改造や車内設備のグレードアップ、気動車に準じた灰白色ベースへの塗装変更など気動車と併結できるよう改造された。他のオハネ14は北斗星用の寝台車に改造され24系に編入されている。オハネ14 501は、昭和46年第3次債務負担により新潟鉄工所で製造されたオハネ14 66で、尾久に配置されていた。札幌運転所に転属後1983年1月旭川工場で北海道向けに改造、さらに1993年2月苗穂工場で気動車併結対応へ改造し、主に夜行特急「おおぞら(後のまりも)」で使用されたが、まりも廃止を前に2007年11月廃車された。  '93.3 釧路 P:佐々木裕治

オユ10 2500番代

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10系客車に準じた軽量構造で製造された最初の郵政省所有の郵便車。そのうち2501〜2514番車は北海道向けとして製造されたグループで、1965〜1966年に汽車製造、新潟鉄工所、日本車輌などで14輌が製造された。乗務員室窓の二重窓、温気暖房装置等の北海道向け設備を装備した以外は一般型と同一であるが、首都圏〜北海道の青函航送で使用する(東北地区を走行)ため当初から電気暖房付となっている。1974年、一般型3輌が非冷房のまま北海道向け改造を施工、本系列2515〜2517番に編入されているが、後に1976〜78年に冷房取付改造したため本系列2521〜2537に改番された。1984年まで首都圏(隅田川)〜北海道間の青函航送で使用されたが、運用廃止後は間もなく全車廃車となり番代消滅した。 '82.12.8 函館本線 函館-五稜郭 P:熊谷孝志

オハニ61 135

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オハニ61は昭和20年代の後半、大正時代に製造された木造客車の台枠などを流用して誕生した、60系に属する座席と荷物室とを備えた合造車。同系列の類似車としては、郵便室を追加したオハユニ61などがあった。写真の135号は、荷物室側の車端に後方監視窓の無い初期製造グループにあたる。再度の改造でマニ60、スユニ61となった車輌もある。 '76.11 山陰本線 米子 P:清原正明

オハフ64

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オハフ64は、オハフ61を種車として1969年に国鉄後藤工場で2輌改造された。同じく中間車のオハ64(オハ61改造)5輌とともに和田岬線専用として活躍した。通勤時間帯の混雑対策と乗車時間が短いことから便所・洗面所・座席を撤去し、車体中程にロングシートを設置されていた。がらんとした車内につり革がずらりと下がる光景が見られた。またホーム側の車体中央に外吊り式のドアが取り付けられていた。国鉄民営化でJR西日本に継承されたが、1990年に気動車に置き換えられ廃車された。 '81.8.3 和田岬 P:藤村巌雄

スハネフ14 0番代

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14系寝台客車のディーゼル発電機付き緩急車として1971年に54輌製造。「さくら」「みずほ」など主に分割併合寝台列車に使用された。新製時は幅70㎝の3段式ベッドだったが後に2段式ベッドに改造された。1983年道内向け改造された8輌が北海道に渡っている。夜行列車の衰退により1992年から廃車が始まり2010年3月「北陸」の廃止により運用がなくなった。現在はごく一部の保留車・保存車が残るのみである。 '07.12.16 東北本線 大宮 P:楢井勝行

オル32 1

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昭和6年製のスハ32系客車初期型(二重屋根)のスハニ31 71を改造(1963年)して誕生した配給車。合計6輌あったオル32形は5輌が便所を残した100番代で、便所撤去の0番代はこの1輌のみ。形式は配給車だが、貨物列車に連結して道内各地をまわる移動販売車として使われていたようで、荷物ドア部には客のために手すりとステップを設置、側面には大きな運用表を掲出していた。1981年廃車。 '70.7.22 室蘭本線 洞爺 P:小西和之

オロネ25 6

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'76〜'78年に掛けて12輌が、24系25形寝台客車の特別寝台車輌(A寝台)用として製造された。このオロネ25形の基幹形式である0番代車輌で、A個室寝台(ルーメット)用としては、20系オロネ20形以来の登場であった。寝台は枕木方向に配置され定員は14名。車輌の1-3位側に通路部、2-4位側が寝台区画となっており、寝台側窓は774×865㎜の小窓がずらりと並ぶスタイルで通路側は一般車と同様の大窓(1180×890㎜)であった。当時、久方振りの個室寝台車でもあり内装のデコラ等には木目プリント模様を奢る等それらしい設備であったが、一部の人にして「独房」と仇名されたされたことも。写真の-6は「はやぶさ」「富士」等の使用により'76年9月に品川区へ新製配置。以後、東海道〜九州間のブルトレ列車に充当。民営化後はJR九州の熊本区へ転配となり引続き使用されるも、ブルトレ統廃合の中、'05年に「はやぶさ」と併合運転の関係から、14系15形化改造され、オロネ15形3000代(-3006)となり、形式変更となり、オロネ25 6としては、消滅した。 '88.2.4 東京 P:梶村昭仁

12系800番代「旅路」

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国鉄広島鉄道管理局から1981年に誕生した和式客車である。12系客車より改造されており、両端の車両はスロフ12形800番代、中間の車輌はオロ12形800番代である。改造は幡生工場で行われた。中間車のうち1輌(3号車)は半室がカーペット敷きとなっており、ここから他の車輌への放送も可能であった。塗色については、改造落成当初は12系標準色のままであったが、1987年3月に赤を基調に幕板と車体裾部に金帯を通したものに変更された。1994年10月の広島アジア大会開催を機に、設備をリニューアルすることになった。工期短縮のため、改造は吹田、鷹取、幡生の各工場で2輌ずつ行われた。これにより前後車輌がパノラマ仕様となった。中国地区の団体運用、大阪ー広島を結ぶ夜行の多客臨「ハリウッドエクスプレス」等で活躍も見せたが、2007年9月30日の「さよなら旅路」号をもって引退となった。 '02.7.12 山陽本線 大畠-神代 P:泉谷 純

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老朽化したマニ60形・マニ36形など旧形車の置き換えとして開発された荷物車で、50系客車を基本に1977年より1982年の間で236輌が製作された。外観塗色は青15号で全車が蒸気暖房装置を備え、番号は2000番代が付けられた。1986年に鉄道荷物輸送が廃止されたことで本来の荷物車としての用途はなくなり、大量に廃車となったが「MOTOトレイン」用や救援車代用として配置されていた車輌も、2010年11月度に車籍が抹消された。 '87.11 東海道本線 品川 P:長岡行夫

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1985年に幡生車両所で改造された12系欧風客車。落成後は岡山運転所での配置となった。また専用機関車としてEF65 123が客車と同じ塗装で登場した。1993年12月には延命工事時実施、塗装も一新され、「ユウユウサロン岡山」に改称された。その後、2002年にEF65 123が廃車に、2011年2月には客車がラストラン運転により引退をした。写真は、初代の塗装時代、通常DD51牽引での入場が多い阪和線にEF65 123がスルー牽引した時のもの。 '91.8.6 阪和線 杉本町-浅香 P:泉谷 純

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1988年、JR西日本が主に「シュプール号」に用いることを目的に改造された。車体塗装の変更以外に車内は種車の簡易リクライニングシートから、背面テーブル付、角度の大きいリクライニングシートを備え付けられた。「シュプール号」の運用減少後は、「ムーンライト九州」や団臨での使用が多かったが、2009年10月には全車が廃車となった。なお、オハフ15は展望室付の車輌として活躍していた。画像は「ユウユウサロン岡山」専用機であるEF65 123に牽引される同車輌使用の団臨。 '01.2.15 山陽本線 岩国-大竹 '01.2.15 P:泉谷 純

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1981年4月に12系改造で登場した和式客車。所属は竜華客貨車区、後に客貨車区廃止に伴い和歌山電車区へ転属。1989年に「いきいきサロンきのくに」として改造された。その後宮原運転所へ転属。2007年11月に廃車となった。 '91.3.10 土讃線 琴平ー塩入 P:泉谷 純

12系「なごやか」

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'81年5月に登場した12系客車改造の和式6輌編成で、旧東京北鉄道管理局(後に東京支社尾久客車区)に所属していた。当初は愛称名がなく「オク座」とも呼ばれ、外観は一般の12系と同じであったが、後に白と赤の斜めストライプが加えられ愛称名も付いた。'92年には外観のデザインが大幅に変更されたが、'97年に485系改造和式電車に置換えられ廃車となった。 '88.3.6 東北線 与野-大宮 P:長岡行夫

オヤ36 2051

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オヤ36 2051架線観測用試験車。オハ35を種車として1973年国鉄盛岡工場で改造された。パンタグラフが取り付けられ屋根上には観測用窓、照明装置が設置されていた。盛岡客貨車区に配置されて使用されていたが、JR東日本に継承されることなく1987年に廃車となった。 '78.3 盛岡客貨車区(許可を得て撮影) P:藤村巌雄

12系「白樺」

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1983年に登場した12系客車改造の6輌編成で長野鉄道管理局(後に長野支社)が保有していた。客車には中部6県の県花にちなんだ愛称名が付けられ、外観塗装はクリーム色を基調に黄緑であったが、濃い緑を経てその後も塗装変更を続けて最終的には深緑を基調とし金・赤帯の姿に変えた。車輌の老朽化により1995年に誕生した「浪漫」へと置き換えられ廃車された。 '90.11.1 磐越西線 徳沢-上野尻 P:長岡行夫

スヤ42 3

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スヤ42 3保健車。スハ43形を種車として秋田の土崎工場で改造された。職員の定期健康診断、巡回診療など行なうため車内にはレントゲン室や医療用検査機器が設置されていた。国鉄民営化前の1986年に廃車となった。 '85.6 東北本線 野辺地 P:藤村巌雄

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'81年に12系客車改造の6輌編成で尾久客車区に所属していた。当初は愛称名がなく「オク座」とも呼ばれ、外観も一般の12系と同じ塗装であった。後に白と赤のストライプ塗装となり愛称名が付き、'92年には青・白の塗装変更され活躍したが、'97年に485系改造の「華」に置換られ廃車となった。 '95.11.26 磐越西線 山都─喜多方 P:長岡行夫

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1981年に登場した12系客車改造の和式列車の6輌編成で、愛称はなくファンなどは「カヌ座」と呼んでいた。1985年に内装が洋風仕様のサロンカー「サロン佐渡」を新たに追加して7輌編成となり、1996年には車両外観色を深緑色に金帯に変更し活躍いたが、老朽化に伴い2002年廃止された。 '01.6.11 磐越西線 日出谷─豊美 P:長岡行夫

カニ25 1

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24系客車新製後、九州向けの寝台車の分割時の電源車として、カニ22形電源車を種車に1975年に九州小倉工場で2輌が改造された。寝台特急「明星」「あかつき」などに使用されたが、分散型電源車の14系に変更されて1984年に形式消滅した。 '82.9.14 鹿児島運転所 P:藤村巌雄

12系800番代

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'86年に登場した12系客車改造の6輌編成で盛岡支社(旧鉄道管理局)が保有していた。室内は和風仕様で東北地方を中心に団臨に活躍していたが、老朽化により2002年に廃車となりJR東日本所属の12系改造客車は消滅した。夕闇迫る会津の地を三つ目のDD51 745がライトを点けながらやって来た。 '00.10.30 上野尻-野沢 P:長岡行夫

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3軸ボギーTR71を履く木造ダブルルーフ救援車で、国鉄(当時は鉄道省)が1925年に製造したスハ29300形がその前身である。スハ29300形はまだ列車愛称がなかった時代の特急3レ、4レ専用として20輌製造された大型ボギー車、それまでの17m車に代わって20mの車体をもち、列車全体で方向転換することを前提に3等ながら1方向を向いた固定クロスシートを装備した優等客車で、等間隔で並ぶ600mm幅の窓にその名残をとどめる。しかし就役直後に事故時の安全性の問題から鋼製車体を標準とするように方針変更されたため優等列車での活躍はごく短期間で終わり、その後はローカル列車で細々と働いていた。戦後まで生き残った車輌もこのような救援車などに改造されてほとんど動くことはなく、このスエ29 902もまもなく姿を消した。 '59.9.24 奈良機関区 P:小西和之

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1981年に登場した12系客車改造の和式列車の6輌編成で、愛称はなくファンなどは「カヌ座」と呼んでいた。1985年に内装が洋風仕様のサロンカー「サロン佐渡」を新たに追加して7輌編成となり、1996年には車輌外観色を深緑色に金帯に変更し活躍いたが、老朽化に伴い2002年廃止された。 '01.6.11 磐越西線 日出谷-豊美 P:長岡行夫

国鉄オハ35 2396

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オハ35客車は戦前から戦後にかけて1,300両あまりも量産されたため製造も長期にわたり、戦前製丸妻の前期型から平妻の後期型までいろいろと形態の変化があるが、その中でも目を引くのが戦前に20輌たらず製造されたノーシルノーヘッダー車だろう。輌数が多いので多くのメーカーが製造に参加したが、ノーシルノーヘッダー車は試作的な意味合いが強かったためか、いずれも国鉄工場で製造された。写真の2396は窓上端にRをつけてあるのが特徴的だが、よく見ると出入口上端にも小さなRがつけてある。シル・ヘッダーつきの車輌にはさまれているとその特異な形態が目立った。この写真は北陸本線からの大阪行き長距離ローカル列車で運用されていたときのもの。 '64.7 京都 P:小西和之

12系800番代「江戸」

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国鉄時代の1986年に12系客車を改造した6輌編成の列車で、東京支社が保有し、2000年に老朽化に伴い廃車された。 '88.3 川越線 川越電車区 P:長岡行夫

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'82年にお座敷列車サワ座としてデビュー後、'93年末にリニュアールを実施し編成両端に展望室を設置した。新たに名称を「わくわく団らん」と命名し北陸地方を中心に活躍した。所属は金沢支社で老朽化に伴い'07年に廃車となった。 '02.7.28 信越本線 二本木-関山 P:長岡行夫

12系800番代 やすらぎ

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12系客車をベースに国鉄大宮工場で改造され、JR誕生寸前の1987年3月に製作された。所属は先行で配属された「くつろぎ」と同じく、高崎地区を中心とした団体列車として活躍し、'01年3月で廃車後はわたらせ鉄道に一部譲渡された。 '00.4.23 明覚-越生 P:長岡行夫

ナハネフ22 25

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ブルートレインを全編成寝台化の一環で普通座席緩急車ナハフ20を置換えB寝台とするために新製されたB寝台緩急車。1964〜1970年にかけて26輌が作られた。ナハフ20から車体を乗せ換えてB寝台に改造されたものはナハネフ22 500番代となっている。ナハフ20の車体を利用してB寝台に改造されたものはナハネフ20である。写真は呉線電化開業の10日前に撮影したもので、この日は電蒸運転どころかEF58の単機牽引。最後部に新製されたピカピカのナハネフ22 25が連結されていた。同車は'70年8月26日車製で新製配置は広島である。 '70.9.19 広島 P:山本 栄

オユ10 2582

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郵政省所有の郵便車で、製造初年は1957(昭和32)年。車内には区分け室がある。1972年頃から順次冷房化され低屋根となった。写真の2582は一般型から電暖の取り付けと耐寒改造を行なったもので2550番代に属す。写真は急行「きたぐに」に組み込まれているところ。 '81.7.27 青森 P:大河原 健

オハネ14形700番代

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'72年登場の14系寝台客車において、低迷していた寝台需要の底上げを狙い、国鉄が小グループ向けをターゲットに'84〜'85年にオハネ14形0代から6輌を改造。改造は大宮工。従来の寝台区画と通路部に仕切壁・仕切扉(引扉)を設け、2段式寝台4人用コンパートメント方式とした(8区画/輌)愛称名カルテット。基本的な車体構造には変化がなく、わずかに通路側窓から仕切壁が覗かれる程度。当初は側折扉上に愛称名が表記。料金区分上、B寝台2段式4人用に規定されるため、定員以下であっても4人用区分料金が必要であった。JR化後も運用されるも寝台需要低迷化と統廃合により、'97年11月以降編成から外され、'98年までに全廃、番代消滅となった。 '87.12.21 東京 P:梶村昭仁

オロネ14形0番代

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'72年に寝台列車さくら・みずほ等の14系化に伴い登場した寝台特別(A寝台)車輌用客車。全14輌が日車で製造。14系は行先分割列車用途として分散電源方式を採用。車内は20系オロネ21形同様に通路を中央に左右に寝台(上下二段式:7区画/輌)を配した開放(プルマン)式。1.2位側便洗面所、3.4位側に車掌・喫煙・更衣室等にデッキという配置。20系より近代化され上段寝台のセット・解体がワンタッチスイッチにより自動化、作業の効率化が図られた。当初は品川・向日町区に配置、九州夜行を中心に運用されるも、'82年以降車種間改造等により、最終的にオリジナルで残ったのは5輌のみ。熊クマに配置の老舗、さくら・みずほ等に運用されるも夜行列車統廃合の波を受け、'99年12月までに運用離脱、後廃車となり番代消滅。 '87.12.21 東京 P:梶村 昭仁

スユ44

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スニ40形、ワキ8000形に準じた車体構造の郵政省所有のパレット輸送専用郵便車で、1971〜1978年にかけて12輌が製造された。全車汐留客貨車区配置。1986年の鉄道郵便廃止に伴い、1987年廃車となった。 '86.4.7 大阪 P:小林秀章

スエ71 4

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1960年(昭和35年)から1967年(昭和42年)にかけて鋼製20m戦災復旧車70系を救援車に改造した。スエ71 4は1948(昭和23)年オハ71 112として作られ、マニ74 3を経て1962(昭和37)年スエ71 4となった。1987年(昭和62年)に形式消滅。 '86.11.24 竜華信号場 P:小森克禎

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スエ38 8 救援車

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1959(昭和34)年に旧型客車の下回りを利用して車体更新により誕生したカニ38 1を、1969(昭和44)年に改造したものである。カニ38 1は、種車のマロネ37 341(1929年製造時)を、カニ改造時に“巻上げシャッター式荷物扉”を両側に5か所ずつ備えた10系軽量客車似の車体に更新した1形式1輌の珍車であり、主に東海道筋で使用された。救援車に改造後は、佐倉客貨車区に配置されていたが、1981(昭和56)年同区廃止時に廃車となった。 '74.6 総武本線 佐倉 P:長谷川武利

ホヌ30 7

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1925(大正15)年、東海道本線小田原電化の際に、小倉、苗穂の二工場で15輌製造された初の鋼製暖房車。当初はホヌ20200形。1927(昭和3)年の改番でホヌ6800形となり、1949(昭和24)年、ホヌ30形となった。ホヌ30 7は苗穂工場製で、ホヌ30 4、ホヌ30 5とともに、晩年は水郡線のDD13牽引の旅客列車に連結されていた。1972(昭和47)年、水戸で廃車となっている。 ’70.3.22 水戸機関区 P:志水 茂

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24系寝台用客車の食堂車。1975(昭和50)年3月ダイヤ改正で、「はやぶさ」「富士」「出雲」の24系寝台客車化による食堂車不足を解消するため、14系のオシ14形から5輌が改造(写真105の種車はオシ14 14)。外観的には14系時代と比較して白帯→銀帯(塗帯)化程度で大きな改造は行われなかった。JR化後も活躍するも食堂車廃止により99年に編成から外され廃車、形式消滅となった。 ’88.2.4 東京 P:梶村昭仁

マヤ34 2501

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マヤ34は1959(昭和34)年から1981(昭和56)年にかけて10輌製造された軌道検測用客車。車体は10系客車と構造的には似かよったものとなっているが、車体長は17m。マヤ34 2501は1967(昭和42)年マヤ34 1に耐寒装備を施し北海道用としたもの。この車輌のみJRに引き継がれず廃車となった。旭川駅富良野線のホームから撮影。 ’86.6 P:徳田 潤

オヤ41 1

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1968年(昭和43年)にマロネ40を改造して誕生した工事用宿泊車。区分室1室の仕切りを取りはらったうえで車輌中央部に談話室を設けたほかは、寝台はほぼそのままの配置で使われた。ただし、ベッドは畳敷き。オヤ41 1は元マロネ40 7。'87年に廃車となった。  '76.8.28 東海道本線 三島 P:原 将人

オロハネ10 503

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日本では少ない中央扉の1・2等合造寝台車(当初は非冷房でナロハネ10)で、ロネ側はプルマン式。1958(昭和33)年に誕生し、1〜5は中央東西線の準急「アルプス」「きそ」に連結された。信越本線の準急「妙高」などに使われた6〜9は北海道に転属後、耐寒改造工事を受けて501〜504に改番(のちに2が追加され505)。冷房化はロネが1964年、ハネが1969年。北海道では準急「石北」(のちの「大雪」)「たるまえ」、「利尻」などに投入された。本州では急行「さんべ」に5年間ほど使われ、北海道では1977年以降「利尻」と「大雪」から外され、1979年に全廃を迎えた。 '75.9.18 札幌運転区 P:内藤健作

オハフ33 1

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オハ35系の緩急車。1939〜1948(昭和14〜23)年にかけて606両製造された。その後、など他形式(オハ35、スハ43など)から122両が改造され編入。オハフ33 1は’39年製造。戦前に製作された1〜346までのグループは丸屋根が特徴。台車はTR23。 ’78.8 紀勢本線 新宮 P:松尾彦孝

スエ71 84

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1960年代半ばまでは木造客車改造の救援車が各地で使用されていたが、老朽化が著しく、その置き換え用として20m旧戦災復旧車70系を改造したのがスエ71形。改造は1960〜67(昭和35〜42)年に行われ、103輌が製造された。70系は客車の他、電車の復旧車もあり、それらを種車としているため、スエ71形も丸屋根、切妻、半切妻、半流線形などさまざまなタイプが見られる。1987(昭和62)年までに全車廃車となった。スエ71 84は100ともに高崎に配置されていた。 ’75.5.5 横川機関区 P:原 将人

オハフ61 686

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木造客車鋼体化の60系客車。オハフ61 686の種車はオユニ26 302。昭和30年、宇都宮車輌(のち富士重工に吸収)改造。廃車は昭和61年だから、一族の中ではかなりの長生きであった。高松で発車待ちの土讃線列車。蒸気暖房の漏れるスチームが暖かそうだ。 '80.4.13 高松駅 P:宮村昭男

オハニ30 14

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1928(昭和3)年製。亜幹線用で重に使用された17m級、3等座席、荷物室の合造車。31系に属しリベット接合、ダブルルーフの鋼製車。64輌製造され、当初の形式はオハニ47200。'64.11.13 亀山 P:笹本健次

マユ31 2001

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1932(昭和7)年に藤永田造船で製造された20m級鋼製郵便車で、台車はTR23を履く。車体ほぼ中央に休息室と便所が備わり、郵袋室と区分棚は前後に分かれてレイアウトされている。前位側の両開き扉が1200㎜幅なのに対し、後位側が1900㎜と異なる点も特徴。本形式以後の郵便車はすべてシングルルーフとなった。'66年 水戸 P;笹本健次

スハシ38 6

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1960年代までは2等車主体の急行列車にも食堂車は不可欠で、その要請から2等座席と合造の食堂車が誕生した。このスハシ38 6はスロシ38形の格下げによって誕生したマハ(シ)49を再改造したもので、食堂定員は18名。3軸のTR73形台車を履く。写真は急行「石狩」に組み込まれた姿。'64年 函館 P:笹本健次

オル31 214

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オハ31形を職用客車(配給車)に改造したもの。前位側には流しやストーブ、後位側には区分棚などが設けられていた。1967年7月16日 甲府 P:笹本健次

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