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2008年3月アーカイブ

都電8000形

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止後何輌かの保存予定車があったようだ、写真の8000形もその1台で錦糸町車庫裏の公園に台車と共に置かれていたが、心無い者によりガラスと言うガラスは全て割られて、ついに正式に保存されることもなく解体された。8000形は総数131輌あり幾つかのバリエーションがあった、初期型は系統版が鉄製の物を使用するタイプで、後期形は行灯(アンドン)式に変更された、この行灯式の車輌は正面番号が中心よりやや左に寄っていた、また製造所によりワイパー付近の造作やユニット窓(日車製)、方向幕の左右上部に変化があった、またほとんどど見えないが台車は通常D21であるが約10輌はD25を使用されたようである。8000形は軽量車体コストダウンされた車両であるが殆どの線区で見られた、耐用年数10~12年と設定されていたため、一部を除き車庫の廃止と運命を共にした。 '72年 東京都墨田区 P:田中健吉

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富士急 5200形

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富士急行5200形は、運輸省規格型で昭24年製の小田急1900系を昭和52年に2連4本を購入した、小田急を出る際に、モーターや主要機器を4000系の5連化の際に譲り、富士急の3600形の機器を使用した。妻面は規格型では少ない広幅貫通路を持っていた。昭和59年に同じ小田急から来た2200形と入れ替わり引退した。 '79.4 富士急行 P:深山剛志

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東京メトロ東西線5000系

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東京メトロ5000系は1964年の東西線開業時に登場した車輌。登場当時は3輌編成でだったが路線の延長や乗客の増加に伴い、7輌、10輌と順次増えてきた。5000系は3000系に次ぐステンレス車体で登場し、1967年には東京メトロで初めてのアルミ車体が製造された。東西線のほか千代田線でも活躍をしてきたが、05系の導入と07系の転属により、2007年3月で東西線から引退、ステンレス車体は消滅した。東西線からの引退を記念して2007年1月に深川検車区にて引退記念イベントが行なわれた。現在5000系は千代田支線にアルミ車が3輌編成2本のみ残っている。 '07.1.27 東京メトロ東西線 深川検車区 P:福田智志

EF80 4

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1962年10月1日、常磐線勝田~高萩電化を機に導入された交直両用機関車。試作ED92 1を基本に設計されたが牽引力を増強、F型となった。1台車電源方式とし、制御機器の簡略化するなどして軽量化されている。1962~67年まで製造され前期型1~50、後期型51~63に分けられる。前期型は田端に、後期型は内郷機関区(勝田電車区)に配属された。4号機は1962年8月7日日立製作所製、1981年9月に廃車となっている。撮影時4号機は運用離脱し休車状態となっていたように記憶している。 '81.8 田端機関区 P:大河原 健

JR東日本200系F編成

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東北・上越新幹線開業当時から活躍してきた200系。その中でも最も原形に近い姿だったのが12輌編成のF編成である。F編成は9号車にビュフェが連結されており、独特の窓の並びが特徴だった。一部の編成は100系に準じた前面となっていた編成も存在していた。しかし老朽化と次世代車輌の導入により、廃車が進み、最後まで残っていたF19編成も2007年5月に廃車回送され、200系の未更新車は消滅した。なおこの編成が廃車になった後、200系の国鉄色は一時期消滅したが、東北・上越新幹線開業25周年を記念してリニューアル車のK47編成が2007年6月に国鉄色に戻され、再び200系の国鉄色が復活した。 '07.5.9 東北新幹線 大宮 P:福田智志

近鉄モ2200(旧)2扉車

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昭和5年、参宮急行開業に際し製造された2200(旧)は当時としては破格のわが国における歴史的長距離高速電車であるが、ラッシュ時の混雑緩和対策として昭和35年より3扉化改造されるものが出てきた。当初はセミクロスシートであったが、昭和40年頃の改造車はロングシートとなった。このような改造の嵐の中、往時の面影を残した2扉車の素晴らしい姿は標準軌に改軌した名古屋線に多く活躍し、大阪線では滅多にお目にかからない存在であった。写真の2203も撮影直後に改造され、2220や2205が大阪線にしばらく残ったが昭和44年までに全車が3扉に改造され、昭和49年に(旧)は引退した。 '65.5.3 近鉄大阪線 安堂─河内国分 P:永野晴樹

北総開発鉄道7000形

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7000形は北総線開業当時から活躍した車輌で、前面の特徴からゲンコツ電車として親しまれた。登場当時は6輌編成だったが、第2期開業と都営浅草線直通開始により8輌編成化された。北総線のみならず京成や都営浅草線、さらに京急線にも乗りれ、幅広い活躍を見せていたが、新型車輌7500形に置き換えられて、2007年3月に引退した。 '07.3.4 品川 P:福田智志

クハ111-571

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'88年2~6月、房総各線列車増発に伴う短編成化用の先頭車として、クハ115-0番代から改造(写真の種車は元クハ115-66)。一見オリジナルに見えるが側扉に半自動用の取手が残り、戸閉機械もTK8のままの為、開扉時に引残り(1,100mm幅分)はそのまま。車内も余り変わらず、運転台機器(MC37→MC22又はMC54化、ブレーキのAG38A化等)の変更、偶数向車両故にCP搭載。また編成相手のTc車も同様の改造で登場。特段の番代という訳では無く、改造当時の0番代のラストナンバー以降に付番。偶数向-570~-574、奇数向-271~-275の各5両として全10輌が登場。冷改されることなく'93年1月~7月に掛けて全廃。 '88.5.22 千葉 P:梶村 昭仁

南海電鉄モハ11009系

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昇圧前の南海本線を代表する特急・急行用電車。昭和29年に登場したカルダン車モハ11001形の増備車として昭和31年、正面二枚窓、張り上げ屋根にモデルチェンジのうえ、中間電動車モハ11100も新たに加え、登場した。当初は4連だったがまもなく5連化されてパンタグラフを5個振りかざし、勇ましい姿で疾走した。昭和48年の昇圧に際して6連4編成に組みなおし、1001系冷房車として活躍したが、特急サザンの登場により引退した。昇圧改造されなかった電車のうち、先頭車6両は京福福井に身売り、モハ3000形となり近年まで活躍した。写真の先頭車モハ11013は京福福井に転属している。 '66.12 南海本線浜寺公園 P:永野晴樹

小田急2200形

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昭和29年に小田急電鉄初の新性能車として登場した2200形は2連8本が増備された。その後の小田急電鉄の車輌の礎となった。5000形等大型車が進み、晩年は同じABFM車と3連6輌で各駅停車に従事していたが、ほとんどの場合中間に組み込まれこの特徴ある前面はなかなかお目に掛かれなかった。昭和59年に引退したが、1編成が富士急に譲渡され平成8年まで活躍した。 '81.4 小田急多摩線 新百合ヶ丘 P:深山剛志

小田急電鉄デハ2220形

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デハ2220形は2200形の増備として、4輌固定のオールM編成で登場、高性能を発揮した。トイレもつけていた通勤用としては内装も優れたものであった。後にHE車2400系の大量増備に伴い、2220形はHE車と6連が組めるように中間車にも運転台を取り付け、2連化され、この時にトイレも撤去した。車両の大型化により富士急や新潟交通に身売りしたほか、台車の一部は伊予鉄道で見ることができる。 '68.5 向ヶ丘遊園~生田 P:永野晴樹

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