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2013年05月23日

RMライブラリー新刊は『野上電気鉄道』。

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▲貴志川沿いの深い谷を渡るデ13。長閑な沿線風景はその廃止までほとんど変わることはなかった'84.4.14 紀伊野上-動木 P:寺田裕一 (RMライブラリー『野上電気鉄道』より)
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RMライブラリー今月の新刊は寺田裕一さんによる『野上電気鉄道』をお届けします。野上電気鉄道というと、私たちの世代にとってはつい先日まで動いていたかのような感がありますが、廃止されたのは1994(平成6)年ですから、かれこれ19年も前のことになります。

1305123nrml166.jpgこの鉄道について改めて概要をご紹介しますと、紀勢本線海南駅近くの日方駅から東側の山間部、野上谷に沿って登山口駅までの11.4kmを結んでいた電気鉄道です。ちなみに紀勢本線(当初は紀勢西線)に接続する和歌山県下の地方鉄道は、いずれも紀勢西線の開業(大正13年)よりも先に開業していたことが特徴であり、野上電気鉄道の最初の区間も1916(大正5)年に開業しています。

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▲阪神・阪急からの譲渡車が入線する前はこんな個性豊かな車輌が活躍していた。左は善光寺白馬電鉄から江若鉄道を経由して入線したデハ22。右は目黒蒲田電鉄から譲渡されたデハ21。2枚とも昭和20年代後半に高橋 弘さんが撮影された貴重な写真。 (RMライブラリー『野上電気鉄道』より)
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開業後もさらに奥地への延伸が計画され、1928(昭和3)年には生石口(後の登山口)までが開業、さらなる延伸のための工事にも着手していましたが、もともと沿線人口は決して多くはなく、戦後の混乱期が過ぎ自動車交通が発達してくると、他の私鉄同様、苦しい経営を強いられることになります。昭和40年代には段階的な廃止が計画されるに至り、1973(昭和48)年、ついに一部区間の廃止申請が出されます。

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▲廃止申請を撤回した野上電鉄は富山地方鉄道からデ5010形を購入し、ステップを撤去するなどの改造を加え、主に昼間時の運用に充てた。 (RMライブラリー『野上電気鉄道』より)
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野上電鉄が他の多くの私鉄と違ったのは、ここで即廃止、とはならなかったことです。オイルショックによるガソリン不足の影響もあって、野上電鉄は欠損補助金制度を利用した存続を図ることになります。しかし、これ以降、野上電鉄の経営は欠損補助金に頼ったものとなり、そしてこの欠損補助金が打ち切られたことが鉄道廃止のみならず会社そのものの解散に直結することになりました。

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▲二代、三代と車輌番号の変遷が複雑なのも野上電鉄の特徴。中段は藤井信夫さんが撮影された阪急1形の車体を利用したモハ24(二代)。1957(昭和32)年に登場したが、1961(昭和36)年には早くも阪神601形の車体を利用したモハ24(三代)(写真下段)に機器を譲り姿を消した。 (RMライブラリー『野上電気鉄道』より)
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本書ではこれら開業から廃止に至る顛末を、輸送人員や貨物輸送量などの詳細データ、そして昭和50年代以降の臨場感あふれる乗車ルポとともに解説します。また各駅の紹介、変遷の複雑な車輌群についても、高橋 弘さん、藤井信夫さんからお借りした昭和20年代からの貴重な写真とともに紹介します。野上電鉄の魅力が満載の一冊、ぜひ、書架にお揃えください。
なお、続く6月刊は本シリーズではお馴染みの藤田吾郎さんによる『建築限界測定車-オイラン車のバリエーション-』をお届けする予定です。どうぞお楽しみに...。

※明日は不在のため小ブログは休載とさせていただきます。

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