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大さん橋通を跨ぐ列車。高架は大さん橋のゲート代わりになっていた。 1989年6月 P:高橋一嘉

yes1731.jpg新港橋梁を過ぎたところから線路は高架に昇り、街並みの裏側を海岸沿いに進みます。県庁に近く、今は「象の鼻パーク」として整備されたあたりですが、当時はクラシカルなキッコーマンビルや倉庫などによって街並みと海岸線は隔てられていました。大さん橋の通りを跨ぐと、線路はいよいよ山下公園に入ります。
上の写真の場所の現在。税関横からここまでは旧臨港線の高架が歩道となって残っている。高架橋の文字が剥がされているのはなぜだろう。 2017年11月 P:高橋一嘉

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山下公園の噴水広場前を行く。左手奥がホテルニューグランド。山下公園を見下ろす車窓風景はなかなかなもので、期間限定で終わらすには惜しいものであった。 1989年6月 P:高橋一嘉

yes1732.jpg線路はホテルニューグランドを右手に、氷川丸を左手にと、横浜を代表する光景を見下ろしながらまっすぐ進み、マリンタワーの横あたりが終点の山下公園駅でした。線路は高架線上の1線のみでぷっつり途切れており、両側にホームがあって乗車・降車に分かれていたように思います。今ならばここから先、埠頭までの線路はどうなったのだろうと見に行くところですが、残念ながら私はここから先には行っていません。ただ、当時の記憶では、ここから先の高架はすでに撤去されていたように思います。
上の写真の場所の現在。この28年で高架橋はなくなったが、建築物は高層化が進みんで景観はすっかり変わってしまった。 2017年11月 P:高橋一嘉

yes8934.jpgyes1734.jpg終点、山下公園駅(左)とその跡地の現在(右)。高架は跡形もなく消え、木が植えられ育ったことで、そこに線路があったことはうかがい知れない。 左)1989年6月 右)2017年11月 P:高橋一嘉

yes8933.jpgこの、税関手前付近から山下埠頭までの通称"山下臨港線"は、戦後、米軍に接収された瑞穂埠頭の代替えとして整備された山下埠頭への連絡のために建設された路線ですが、当初地平で計画されたものが高架に変更されるなど、紆余曲折があったそうで、完成したのは1965(昭和40)年になってからでした。これが完成すると街並みと山下公園の間に"壁"ができてしまうとあって、建設当時は地元の文人を巻き込んだ景観論争が巻き起こったそうです。
開通しても限られた貨物列車が通るのみでしたから、もっとも列車が頻繁に運転されたのは、廃止後の、この横浜博での気動車運転だったのは、皮肉なことです。
結局、貨物線としての実働は20年余りで終わり、その後の横浜博での運転からも28年余が経っていますから、もう現役期間を上回る年月が経ったことになります。山下公園内の高架は撤去されてずいぶん経ち、今は痕跡もほとんどありませんから、もうあそこに線路があったこと自体、知らない人も多いかも知れません。
マリンタワー横にあった山下公園駅。当時は撮影しながら歩いて桜木町まで戻ったが、今となってはみなとみらい線の元町・中華街駅のすぐ近くとなっている。 1989年6月 P:高橋一嘉

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