
1978年近畿車輛製、幕張電車区配属。後に大船電車区に移動。事故復旧器材を積込み救援車、入換、牽引車として使用。最後は長野への253系廃車輸送でブレーキ読替装置を活用、EF64の次位つきパンタグラフを上げずに運用。帰途は単独運転となりパンタグラフを使用するため、No1・2パンタグラフを三鷹電車区発生品のPS23に交換している。途中から253系単独回送となりお役御免となって、2011年EF64に牽かれ143-4・6と長野へ向かった。 '10.2.2 鎌倉車輛センター P:高澤一昭

1978年近畿車輛製、幕張電車区配属。後に大船電車区に移動。事故復旧器材を積込み救援車、入換、牽引車として使用。最後は長野への253系廃車輸送でブレーキ読替装置を活用、EF64の次位つきパンタグラフを上げずに運用。帰途は単独運転となりパンタグラフを使用するため、No1・2パンタグラフを三鷹電車区発生品のPS23に交換している。途中から253系単独回送となりお役御免となって、2011年EF64に牽かれ143-4・6と長野へ向かった。 '10.2.2 鎌倉車輛センター P:高澤一昭

1966年モハ72250を種車に、大井工場で改装しクモヤ90001となる。写真は廃車後大船工場で機械扱いで使用中のものです。側窓3段を2段に改装され趣きが変った。長く田町電車区在籍、大船電車区に移り1987年廃車。 '88.1.11 大船工場 P:高澤一昭

1989年2月美濃太田車両区に新製配備された寒地向け便所無しセミクロスシート車である。後に伊勢車両区に転属し活躍の場を紀勢本線・参宮線・名松線に移す。2015年8月キハ25系2次車に置き換え、2015年10月29日ミャンマーに譲渡のため笠寺に回送された。写真は熊野古道伊勢路近くをキハ11-110を先頭に走る332Cである。温暖な気候に育つ苔が夕陽を浴び緑に輝いていた。 紀勢本線 栃原−川添 '10.3.14 P:楢井勝行

キハ40-2030として1979年11月亀山機関区に新製配備された。1986年3月伊勢機関区に転属、1990年2月エンジンをC-DMF14HZ(カミンズ350PS)に換装し冷房化改造されキハ40-5030に改番、2000年2月番号整理のためキハ40-3001に改番された。2015年12月1日運用離脱、12月3日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '11.6.18 紀勢本線 徳和−多気 P:楢井勝行

国鉄一般貨車のトップナンバーは、所在確認ができないので、偶然の出会いによることが多い。豊橋鉄道の電機を撮るべく歩行中に発見したもの。国鉄長物車で最後の新製車、150輌作られJR各社に継承されたものもある。 '82.12.1 東海道本線 豊橋 P:高澤一昭

1939(昭和14)年、日本車輌で製造され北海道に配置されるも短期間で青森に転属。1968(昭和43)年、紀伊田辺に転属し、一時は亀山にも在籍した。紀勢本線無煙化後は山陰に移り、1974(昭和49)年秋に浜田で廃車となった。現在は大阪府茨木市内で保存されている。 '74.3 山陰本線 出雲市 P:清原正明

1955年日本車輌蕨製造。田町電車区配属、横須賀線で運用され1960年4月20日大船電車区開設により転属した。1968年6月スカ線113系化により新前橋へ転属し、1978年6月廃車。大船工場(解体施工)に送られたが、工場では横須賀線を代表した車輛であり、保守も担当していたので残せないものかと、長く解体せずにいたが願い叶わず民営化前に処分されたと聞く。 '79.11.30 大船工場 P:高澤一昭

1972年東急車輌製造。津田沼配置すぐに幕張電車区に移動。183系普通車は出入台を増設し片側2か所とした。23年間房総地区で活躍し、1995年廃車。写真は大船工場出場車の試1292S、試運転列車で字幕はふだん見られないものを表示してもらったもの。 '79.11.4 横須賀線 横須賀 P:高澤一昭

DD51・500番代の極寒地向け仕様は耐雪ブレーキ・スノープラウ・旋回窓・ホース類の凍結防止用加熱装置・つらら切り兼前面窓プロテクターなどを装備し、特に北海道で使用された本区分には前照灯をボンネット最先端上に増設したいわゆる「三つ目」と呼ばれた車輌が存在する。冬季降雪時の視界確保のためで、うち5輌に施工された。本機はなぜか増設した前照灯の片側のアングルが低く取り付けられているのが特徴で、1970年8月に五稜郭機関区に新製配置され、1986年3月いっぱいで退役した。 '82.10.17 函館本線 桂川ー森 P:熊谷孝志
