
1943(昭和18)年に汽車会社で製造され、釜石に新製配備された。戦後、盛岡区を経て1949(昭和24)年に備後十日市(後の三次)に転属し、以来、芸備線などで長く活躍する。1971(昭和46)年3月に小郡へ転属、1972(昭和47)年6月に廃車となった。 '70.10 芸備線 備後落合 P:清原正明

1943(昭和18)年に汽車会社で製造され、釜石に新製配備された。戦後、盛岡区を経て1949(昭和24)年に備後十日市(後の三次)に転属し、以来、芸備線などで長く活躍する。1971(昭和46)年3月に小郡へ転属、1972(昭和47)年6月に廃車となった。 '70.10 芸備線 備後落合 P:清原正明

1959年鶴見線単行運転用として、クモハ11 201に運転室を増設して誕生。この運転室は半室でまさにファン向け、そして運転席後ろのワンマン座席は設計者の遊び心かもしれない。最後は大船電車区で大船工場に常駐して1986.2廃車。 '79.5.25 大船工場 P:高澤一昭
