鉄道ホビダス

2017年1月アーカイブ

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1985年7月より運転を開始した"リゾート21"の2次車としてR-2編成が1986年7月に新製された。1次車同様一部機器と電動機を廃車となった100系から流用している。後に増備された3次車〜5次車とともに伊豆急行の看板列車として活躍した。塩害による車体の老朽化によりステンレス車体の8000系(元東急電鉄)に置き換え、2006年3月に1次車が引退、2009年5月に2次車R-2編成も引退した。尚、当初は1次車R-1編成〜4次車R-4編成がこの写真の海側赤色/山側青色の塗装であった。しかしR-1編成は一代目"黒船電車"、R-3編成は"リゾートドルフィン号"(2017年2月4日よりキンメダイをイメージした地域プロモーション電車)、R-4編成は二代目"黒船電車"と塗装変更されている。これに対しR-2編成は新製時から引退時まで終始オリジナル塗装を貫いたことが特筆される。'08.3.29 東海道本線 熱海 P:楢井勝行

ホハ12

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元は東武伊香保軌道線の単車で、移籍後、客車化、ボギー化が施工。妻部分に電車の面影と、外吊りのドアが珍しく感じました。くたびれた状態ですが、車輪が光っていますので現役でした。1960年4月25日新軽井沢ー上州三原間が廃線となり廃車となりました。 '60.3.17 新軽井沢 P:高澤一昭


関東鉄道キハ100形

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関東鉄道キハ100形は、1997年の水海道〜下館間のワンマン運転化に伴い、キハ300形を改造して登場。キハ101〜104の計4輌が登場した。1998年にキハ2200形が導入されたことによりキハ103と104はワンマン運転関連機器が撤去され、元のキハ300形に改番された。その後はキハ101とキハ102の2両が活躍を続けて、キハ101は朱色1色、キハ102は常総筑波鉄道時代の白と紺色のツートンカラーで運転していたが、2013年12月を最後に運用から離脱、長期間留置されていたが、2017年1月に開催されたイベントを最後に引退した。引退後は茨城県筑西市にある「ヒロサワシティ」で保存されることになった。 '17.1.8 関東鉄道 常総線 水海道車両基地 P:福田智志

ヒ721

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ヒ600は各種2軸車から用途にあわせて改造されたため、さまざまの形状の車輌があります。ヒ721は大船駅常備で、工場に常駐していました。駅から工場への入換(客車・貨車)は推進運転のようになるため、ヒ721を先頭に付け前方の看視します。ヒ721には空気笛、ワイパー車掌弁がついていました。2002年形式消滅。 '71.5 大船工場 P:高澤 一昭

119系0番代

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飯田線に残る旧型国電を置き換えるため水色の車体に灰色のテープを巻き1982年に登場した。3扉セミクロスシートでクハに便所を装備するため近郊型区分の119系を名乗るが、裾絞りのない非冷房2800mm幅車体、1M方式、加速性能重視のMT55モーターと歯車比6.07、一部発生機器流用など105系との共通項が多い。1986年11月、2輌編成8本が塗装変更と冷房化(AU75と廃車発生品70kVAMG)され東海道本線静岡地区の「するがシャトル」に転じた。しかし東海道本線に高速性能が劣る119系は不向きで僅か2年で飯田線に戻った。JR発足後は白いJR東海カラーに変更、非ワンマン車である0番代は飯田線南部で運用されたが2012年3月に213系5000番台と313系3000番代に置き換えられ引退した。写真はクモハ119-11とクハ118-7で組成されたE12編成である。 '08.3.29 飯田線 中部天竜 P:楢井勝行

ワム50000

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1940(昭和15)年から製造された半鋼製二軸有蓋貨車。戦後の増備を含めて3600輌余りが製造され、1963(昭和38)年からその大部分が二段リンク化改造を受けた。ワム80000形式の増備で廃車が始まり、分割民営化前の1985(昭和60)年に形式消滅した。 '76.3 新見機関区 P:清原正明

ソ30

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米国製ソ20を基に1936年日立製造、品川機関区配属、1937年10月7日新鶴見機関区転属した。事故復旧、復旧名目で映画撮影の協力などもこなした。巻重量主巻65t補巻15t、巻上げ高さ(主)5.5m(補)7.7m自走速度4.5km/h。1965年全検時蒸気機関からディーゼル機関に変更された。 '63.7.2 新鶴見機関区 P:高澤 一昭

モハ183-1・モハ182-1

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1972年東急車輛製造。津田沼配置すぐに幕張電車区に移動。主回路機器を183に集約したため182はサハのように向う側が見える。20年ちかくを房総特急として海辺を走り、92年松本運転所に移り山線を走り1997年除籍。 '79.11.7 大船工場 P:高澤 一昭

115系 W2編成

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クハ115-108+モハ114-827+モヤ115-6(元モハ115-103)+クハ115-207 から成る豊田車両センター所属の訓練車である。白熱灯ライトケースを流用したシールドビーム化改造、隅部にRの付いた2段上昇窓、パンタグラフ部の低屋根、など115系初期車の特徴を残す貴重な車輌であった。2014年1月、長野総合車両センターに回送され廃車となった。 '12.7.17 東北本線 宇都宮 P:楢井勝行

クハ183-1

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1972年東急車輛製造。津田沼配置すぐに幕張電車区に移動。183系普通車は出入台を増設し片側2か所とした。23年間房総地区を走まわり、1995年廃車。写真は大船工場出場車の「試1292S」試運転列車で字幕はふだん見られないものを表示してもらったもの。 '79.11.14 横須賀線 横須賀 P:高澤 一昭

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