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専用線・機関車の最近の記事

西武鉄道 E41形

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国鉄からマヤ34 2004を借りて軌道検測。残雪の西武秩父線を行く。 '86 西武鉄道西武秩父線 横瀬―西武秩父 P:伊藤真悟

東洋活性白土 2号機

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東洋活性白土専用線は糸魚川駅に隣接した積替えホームと工場を結ぶ延長約800mの専用鉄道で、 軌間は2フィート(610mm)。2号機は1951年6月、協三工業製で重量6t。製造当初は762㎜で1956年610㎜に再整備され東洋活性白土に納入された。1982年(昭和57年) 10月、国道の拡幅工事のために同専用線は廃線となった。2号機は現在、フォッサマグナミュージアムに保存されている。 '79.5 東洋活性白土専用鉄道 P:濁川克宏

DD11 5

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元国鉄のDD11 5。1957年汽車製造会社大阪工場で製造(製番2760)され、呉に配置されて入換作業等に使用された。その後、1976年八戸通運への譲渡を経て、1984年には日本通運新旭川営業所へ再び譲渡された。転入後、山陽国策パルプ旭川工場の専用線でDD11 6(1981年、協三工業製、35t機)とともに使用された。工場では、ワム(後にコンテナ化)による紙出荷、硫酸・苛性ソーダ・石油類の受け入れを行っており、これらの貨物を新旭川駅で受け渡ししていた。一時期DD11 6の調子が悪く、DD11 5は予備機として配置されている。老朽化のため1990年頃DE15 2503に置き換えられ廃車された。なお、専用線も1997年9月廃止され、トラック輸送に切り替えられた。 '89.5 宗谷本線 新旭川 P:佐々木裕治

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五能線の八森駅構内には、明らかにポール集電と思われる架線が張られ、一度は視察したいものとは思っていたが、訪れたのは蒸機がなくなった後である。工場の受付にご挨拶した後見学させていただいた所、世にも奇怪なる電機を見て腰を抜かしそうになった。車体の4面がすべて異なる形態で、名板には昭和30年三菱とあった。滑車式のポールは当時でさえ日本で唯一の存在と認識。入換えにあたってはいちいちポール回しをせず、逆行の場合は逆さポールでの運転であった。電源は工場から取っていて電圧は300Vとうかがった。五能線の貨物営業はその後暫くして廃止されたので、その時に廃車されたものと思われる。この工場自体も廃止されて約20年前には更地と化していた。 '76.3 五能線八森駅付近 P:永野晴樹

帝国車輛 DB1

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当時私が所属していた鉄道友の会関西支部が主催した帝国車輛見学会で撮影したものです。10tぐらいの大きさでしょうか、サイドロッド駆動と床下前端にぶら下がっているエアタンクがチャーム・ポイントです。さすがに車輛メーカー、既製品ではなくて自家製オリジナルデザイン、1956年に作られたものです。塗装は残念、錆止め塗料の(ような?)ベンガラ色に白帯(元白帯?)でした。  '66.5.7 帝国車輛工場構内 P:坂内定比古

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1964年日立製の機関車。睫毛のような丸目ライトが特徴で可愛らしかった。晩年は専用線端で休んでいることが多かった。石灰石列車廃止後もしばらくシートを被されて保管されていたが、2010年3月惜しくも現地解体された。 '09.4.11 セントラル硝子宇部工場専用線 P:浜中裕史

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1973年三菱製の35t機関車。3軸というのが特徴で、2002年頃に岩国製紙からやってきた。以来主力機として活躍。石灰石貨物列車廃止後もしばらくシートを被されて保管されていたが、2010年3月惜しくも現地にて解体された。 '09.7.5 セントラル硝子宇部工場専用線 P:浜中裕史

KD1303

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この機関車は日立製作所で'69年に製作され夕張鉄道の貨物輸送に活躍していたが、'75年の廃止後は北炭清水沢専用線を経て釧路開発埠頭に譲渡された。夕張鉄道時代はボンネットには大型のツララ切を装備していたが移籍後は取り外され'99年の廃止まで活躍していた。 '95.10.12 釧路開発埠頭 P:長岡行夫

KD1301

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この機関車は1966年製の日本車輌製55tディーゼル機関車で、雄別鉄道のYD1301を1980年に譲受し1999年の鉄道廃止まで活躍していた。 '95.10.12 釧路開発埠頭 機関区 P:長岡行夫

神奈川臨海鉄道DD551

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神奈川臨海鉄道のDD551は、1963年汽車会社製の55t機である。国鉄DD13タイプで、ボンネットの上に鐘を装備していた。ヘッドライト横の汽車会社のエンブレムが美しかった。 '84.6.23 塩浜操車場 P:佐野 徹

第一セメント No.2

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奥多摩から青梅線・南武線経由で浜川崎に到着した石灰石は第一セメントの専用線にて工場へ運ばれていた。その専用線の入換用機関車No2は日立製で、貨車のような台車がアクセントで、撮影時にはすでに小松のエンジンに換装されていた。専用線は1998年8月に廃止されている。(許可を得て撮影) '84.7.14 第一セメント専用線 P:佐野 徹

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国見山鉱山専用線は、三重県南島町(当時・現南伊勢町)にあった貨物専用線で、1934年(昭和9年)開通。他の鉄道とは接続しておらず、大阪セメント(のちに大阪住友セメント)の採石場からの伊勢地川に沿って吉津港まで石灰石を輸送していた。1990年代初頭まで電化されていたが、後にDL化された後、ベルトコンベアーにとって代わられた。元南海のED5105形はオレンジ色に塗色変更され活躍していたが、この専用線での形式・機番はないようだった。 ’86.9.23 国見鉱山専用線 P:田中一弘

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住友セメント唐沢鉱山専用線は、東武鉄道佐野線の終点葛生から約1kmのところにある住友セメント栃木工場と鉱山を結ぶ約3.3kmの762mmゲージの専用線。1962年日立製作所製の10t機である。1974年、輸送力増強のために東洋工機の14.5t機を3輌新製したのにともない、10t機は背中合わせの重連使用されるようになった。一日、40〜50往復の鉱石列車が走る楽しい専用線だったが、あまりの輸送量でナローの専用線では運びきれなくなり、1980年に新輸送システムに更新されて廃止になってしまった。 ’77.8.30 P:宮村昭男

日本鋼管115号

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日本鋼管は川崎工場内に延長50キロ余り、鶴見工場内に延長200キロ余りの専用鉄道を擁し、歴代100輌近い蒸気機関車を使用してきた。しかし、1960年代は工場内はもとより、構外でカメラを向けても守衛が飛んでくる状態で、多くの古典機を呑み込んだいわば「宝石箱」は、その中を垣間見ることさえ許されなかった。そんな中で鶴見線浅野の構内はホームから鋼管の機関車を観察できる数少ないポイントであった。写真の115号は川崎工場所属機で、1941(昭和16)年川崎車輌製の25tCタンク機。
'66.11.6 浅野 P:笹本健次

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建設省北陸地方建設局立山砂防工事事務所の砂防工事用軌道(軌間2フィート=609㎜、千寿ケ原〜水谷間18km)の機関車。加藤製作所製ガソリン機関車が主流だった中で、酒井工作所から最初に導入したディーゼル機関車の1輌。メーカー形式C19形で、自重は5t。国土交通省の管轄となった現在では、北陸重機製DLにとって変わられた。'78.9.2 水谷出張所 P:名取紀之

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北陸本線の青海は電気化学工業の専用線で知られるが、かつてはデンカと逆の糸魚川方に分岐する日本石灰石開発の専用線も存在していた。延長5kmと規模も大きく、2輌の日立製35tBB機が青海駅と田海(とうみ)鉱山の間を行き来していたが、終点の構内入換用として使用されていたのが本機である。1957(昭和32)年三菱製のジャック軸駆動式のC型機で、自重は何と35t.。軸重12t近い、専用線としては異例の重量級DLであった。'80.7.18 田海鉱山 P:名取紀之

東京都港湾局D60-4

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東京都港湾局は晴海地区(越中島〜晴海・豊洲20.3km)と芝浦地区(芝浦〜日の出桟橋5.9km)に大規模な臨港線を擁していたが、ことに晴海線には私鉄・専用線のDLとしては最大級の60t機を揃えていた。そしてその中でもひときわ目をひいたのが1961(昭和36)年日立製のD60-4であった。神鋼造機製DMF31S機関を2基搭載している。1989年に路線そのものが廃止。'79.5.9 晴海機関区 P:名取紀之

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