113系電車の制御付随車。'72年7月開業の総武線の増設別線である、錦糸町〜東京間地下新線用に同年4月から増備された、いわゆる1000'代といわれる番代。従来と比較して前照灯シールドビーム化、外嵌め式二段上昇式ユニットサッシ、タイフォン位置の変更等の外観の変更のみならず、保安装置がATC(-3形)化された事から、これらの対応用として大幅にモデルチェンジ。ブレーキ弁が非常抜取位置対応のME41C形、マスコンもMC54形に。またカプラもKE76形×3本から、KE70形+KE76形2本となった。写真の車輌は'74年度第二次民有車で'74年川重製、新製は大船区で以来、横須賀・総武線で活躍。民営化前の'86年に地上線の東海道線田町区に転属。湘南色、カプラをKE76×3本化。その後幕張区へ転属し、再度スカ色化され房総各線ローカル運用で活躍。田町区転属時に改造されていた、KE76形カプラ3本のまま、'06年廃車。 '87.12.6 東京 P:梶村昭仁
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2009年12月アーカイブ
DD17 1ロータリ除雪車はDD51 507をベースに1983年登場し会津地方で活躍。後に山形新幹線対応のために1991年、標準軌化改造を行い、新形式DD19 1となった。 '90.3 会津若松 P:長岡行夫
茨木市・高槻市駅付近連続立体化工事に伴うダイヤで、特急車輌が不足したことにより1編成のみ1983年に製造、翌年1月1日から営業運転に入る。俗に「6330系」とも呼ばれる。言うまでもなく6300系従来車がベースだが、内装のマイナーチェンジ、界磁チョッパ制御など、従来の6300系とは一線を画すものとなっている。9300系の増備によって運用離脱に追い込まれ、先ごろ廃車→解体の道をたどった。最近の阪急の車輌としては短命。 '08.11.11 阪急電鉄京都線 茨木市 P:松岡宣彦
耐寒・耐雪機能を備えた北海道初の国鉄在来線電車で、1M方式を採用した初の交流専用車。1967年(昭和42年)北海道電化に向け試作車2編成4両が製造され、先行して建設された手稲〜銭函間の試験線で、ED75 500とともに各種試験が実施された。クハ711-901+クモハ711-901(S-901編成)は汽車会社製で、側窓は2段式のユニット窓、客用扉は4枚折戸両開きで登場したが、量産化改造時に引き戸式に改造されている。制御方式は、電車で初めてサイリスタ位相制御が採用され、当時主流の抵抗制御方式とは異なり、ゆっくりではあるがスムーズに加速するのが特徴。量産車は、1M2Tの1ユニット3両編成とされ、S-901編成は、室蘭電化の際クモハを電動車扱いとし、追加製作したクハ711と3両編成に統一された。晩年、快速エアポートや旧塗装で函館本線電化30周年号として運転され花道を飾り、老朽化により1999年までに運用を終了した。現在JR苗穂工場に留置されている。 '97.4 苗穂-白石 P:佐々木裕治
大正15(1926)年、初代伊賀鉄道が電化するにあたって製造した半鋼製電動車で、1970年代半ばに名古屋線からの転入車に置換えられるまで、半世紀にわたって伊賀線の「ヌシ」として主力の座にあり続けた車両。ヘッドライトこそシールドビーム2灯に代えられているが車体にはほとんど手が加えられず、腰高のサイドにトラス棒、深い屋根にお椀型ベンチレータなど、大正末期の電車の姿を最後までよく残していた。写真は置換えも間近い1974年のものだが、荷物室はちゃんと残してあり、「手小荷物室」と表記されている。 '74.8.15 上野市 P:小西和之
江若鉄道ラストラン前日に三井寺下区を訪れたとき、片隅の赤錆びた留置線に数輌の貨車が「休車」とペンキ書きされて置かれていた。その中で唯一の木製有蓋車がワ7。この貨車は10t積みで、1931年鉄道省から譲渡されたもの。使われなくなって久しいと思われる留置線は、隣接する民家の物干し場となっていたが、洗濯物に隠れて見えないバネ受けはシュー式である。 '69.10.31 江若鉄道 三井寺下 P:小西和之
2008年12月27日の営業を最後に廃止となってしまったが、日本初の跨座敷モノレールであった日立製アルヴェーグ式の車輌である。1962年3月の登場でアルミ合金車体・非ボギーの2軸車・3輌ユニット等2年後に登場した東京モノレールの100形との共通点も多いが、こちらの前頭部は非貫通タイプでデザインは強烈な印象である。先頭車RMR100形、中間車RMR200形の3輌編成が2本製造され最後まで非冷房であった。101(先頭車)、201(中間車)がモンキーパーク動物園駅に保存、102(先頭車)が日立製作所笠戸事業所に保存、103(先頭車)がスパリゾート湯の華アイランドで展望台として使用中である。 '63.3 名古屋鉄道 犬山 P:長谷川武利
1986年(昭和61年)、片運転台のキハ56に廃車になったキハ27・56から切断した運転台を接合し、両運転台化改造して501〜510の10輌が誕生した。北海道には強力型気動車がなく、地方路線では1輌で充分な乗客の路線でも冗長性確保の観点から、低出力1動力1軸駆動のキハ22・40等を2輌編成以上で運転しており不経済であった。道内のローカル線は大幅な赤字路線で、民営化を控え改善策として、2動力2軸駆動のキハ56を両運転台化改造し1輌で運転できるようにした。当初は急行「大雪」「ノサップ」や宗谷北線等で使用されていたが、キハ54が投入されると普通列車専用となった。JR化後も深名線や札沼線で使用されたが、老朽化のため1996年までに全車廃車された。 '95.5.20 深名線 幌加内 P:佐々木裕治
当時慢性的な常磐線中距離電車の混雑緩和と着席増を目的として1991年に日本車輌にて1輌のみ試験的に製造された2階建て構造を有する415系の下り方制御車。定員は座席116人を含む合計156人。惜しくもその後の増備には至らず、2006年に廃車され区分消滅した。 '05.5.27 水戸 P:横山淳
■ご覧のみなさまへ
ブログ「消えた車輌写真館」をご覧いただきありがとうございます。季刊『国鉄時代』vol.20の編集作業のため、しばらく更新が滞っておりましたが、編集作業を終了し、アップを再開致します。今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。
『国鉄時代』vol.20 特集:C62(下)は49輌全機が特急を牽引したことを写真で実証した「C62栄光の軌跡」ほか、「呉線 そのよき時代」「配置・運用からみた山陽本線 中・西部のC62」、一般記事では「宮原区EF58の輝ける日々」など重量級の企画で12月21日発売です。
(担当:国鉄時代編集部 山下修司)
■国鉄時代 vol.1【復刻版】好評発売中!
■国鉄時代vol.19 特集:C62(上) 好評発売中!
東海道本線C62栄光の日々/氷雪のC62重連急行/運用から見た小樽築港機関区のC62/「ゆうづる」「十和田」…暁のハドソン街道/仙台機関区の7輌のC62
【特別付録DVD】
激闘C62重連急行〔カラー50分〕
関西本線加太越え〔カラー30分〕
定価2,100円(税込)
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全252ポイント収録 定価1,200円(税込)
特集:上越線の貨物列車/石北本線のDD51/国鉄色485系「雷鳥」/新幹線500系
お立ち台通信vol.1・vol.2・vol.3 好評発売中!
各定価1,200円(税込)
1930年製造のサハ48-14を1959年に制御車化改造したクハ47-72を、1963年に新潟地区ローカル用に3扉化,耐寒耐雪化工事を行ってクハ68としたのが本車で、同族には、-200,-211がいた。1979年1月頃に廃車になったものと思われる。 '74.12.17 信越本線 新潟 P:長谷川武利
'74年度第二次債務予算製造車から登場の113系0番代のマイナーチェンジ車でこの中間電動車モハ113形。形態的に'72年以降の1000'代、'74年製造700代に準じ、当初から冷房装置(集中式AU75形)搭載、側窓外付式二段上昇ユニットサッシュ採用や側行先自動幕、循環式汚物処理装置(TcとTのみ)等を準備工事(登場時)とした。なお、番号は0代の続番となっているため番代区分はない。従来と比べ、主制御器がCS12G形となり、継電器類の無接点化がさらに図られたタイプに。従来からの床下高圧引通しに加え、冷房化等による三相高圧配線が海側に追加となり、山側の低圧線もKE76形3本配線となった。写真の-268は'75年度第一次債務予算による、'76年川重で新製。大船区に投入。東海道首都圏地区で長らく活躍。その後、国府津区、田町区と行き来し、'99年11月まで活躍。 '88.1.4 東京 P:梶村昭仁
秩父鉄道3000系は自社発注の湘南型急行用車輌である300系を置き換えるために、1992年にJR東日本の165系を購入して誕生した。購入にあたっては、正面貫通路の廃止やヘッドライトの付け替えなど比較的大規模な改造が行なわれたが、全体的には原型車輌の雰囲気をとどめていた。
しかし老朽化が進行したことから2006年に西武鉄道から購入した6000系に置き換えらた。 '06.11.1 秩父鉄道 永田 P:鈴木岳人