鉄道ホビダス

2009年12月16日アーカイブ

江若鉄道 ワ7

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江若鉄道ラストラン前日に三井寺下区を訪れたとき、片隅の赤錆びた留置線に数輌の貨車が「休車」とペンキ書きされて置かれていた。その中で唯一の木製有蓋車がワ7。この貨車は10t積みで、1931年鉄道省から譲渡されたもの。使われなくなって久しいと思われる留置線は、隣接する民家の物干し場となっていたが、洗濯物に隠れて見えないバネ受けはシュー式である。 '69.10.31 江若鉄道 三井寺下 P:小西和之

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2008年12月27日の営業を最後に廃止となってしまったが、日本初の跨座敷モノレールであった日立製アルヴェーグ式の車輌である。1962年3月の登場でアルミ合金車体・非ボギーの2軸車・3輌ユニット等2年後に登場した東京モノレールの100形との共通点も多いが、こちらの前頭部は非貫通タイプでデザインは強烈な印象である。先頭車RMR100形、中間車RMR200形の3輌編成が2本製造され最後まで非冷房であった。101(先頭車)、201(中間車)がモンキーパーク動物園駅に保存、102(先頭車)が日立製作所笠戸事業所に保存、103(先頭車)がスパリゾート湯の華アイランドで展望台として使用中である。 '63.3 名古屋鉄道 犬山 P:長谷川武利

キハ53-500

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1986年(昭和61年)、片運転台のキハ56に廃車になったキハ27・56から切断した運転台を接合し、両運転台化改造して501〜510の10輌が誕生した。北海道には強力型気動車がなく、地方路線では1輌で充分な乗客の路線でも冗長性確保の観点から、低出力1動力1軸駆動のキハ22・40等を2輌編成以上で運転しており不経済であった。道内のローカル線は大幅な赤字路線で、民営化を控え改善策として、2動力2軸駆動のキハ56を両運転台化改造し1輌で運転できるようにした。当初は急行「大雪」「ノサップ」や宗谷北線等で使用されていたが、キハ54が投入されると普通列車専用となった。JR化後も深名線や札沼線で使用されたが、老朽化のため1996年までに全車廃車された。 '95.5.20 深名線 幌加内 P:佐々木裕治

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