鉄道ホビダス

2012年12月アーカイブ

EF65 1019

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1970年(昭和45年)大阪万博輸送用、呉線電化用として落成し広島機関区に配置、万博輸送後は貨物列車等の牽引に国鉄民営化前の1986年11月に田端運転所配置に1987年3月にレッドチェリーに車体側面斜めに白でEF65をレタリングの塗装に変身、同区配置のEF81 95も同じ塗装になりスーパーエクスプレスレインボー専用機として君臨し、ファンの注目の的になり、操配用として活躍、残念ながら惜しくも1997年12月31日に運用離脱、後継機として2代目をEF65 1118に譲り1998年9月1日に廃車。 '97.11.8 両毛線 小山-思川 P:安田好一

189系 "彩野"

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2002年12月松本運転所の183系189系はE257系に置き換えられ波動輸送用としてJR東日本各地の運転所に転属した。クハ189-2、モハ189-45、モハ188-45、モハ189-43、モハ188-43、クハ189-511は日光をイメージした赤(二社一寺や神橋)と黄(キスゲや紅葉)を基調とした塗装に変更、車内は化粧板交換(木目調)と座席モケット張替(緑基調)が行われ、「彩野」と命名され小山電車区に配属された。2006年3月大宮総合車両センターに転属しスペーシア(初期)色に準じた塗装変更及び東武鉄道保安装置搭載し東武直通特急予備車となった。但し車内設備で劣る「彩野」(シートピッチ910mm、対して東武100系・485系改造車はシートピッチ1100mm)は八王子横浜延長運転の臨時特急以外は主に臨時快速に充当された。2011年6月253系1000番代に置き換えられ廃車となった。 '08.1.12 成田線 成田 P: 楢井勝行

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日本で初めて鉄道車輌でグッドデザイン賞を受賞。現在でも同車は現役であるが、現在は近鉄けいはんな線(旧:東大阪線)の延伸開業のため増備された7020系が登場したために仕様を7020系にあわせて行先表示幕のLDE化などが行われて外観が若干変わっているが、撮影当時は改造工事を行っている最中で写真の車輌は原形のままである。この時は不発弾処理の関係で中央線の一部区間が運休となり生駒ー森ノ宮での区間運転の列車が運転された。近鉄7000系では非常に珍しい「森ノ宮」の行先表示幕を掲示している姿である。 '05.5.3 大阪市営地下鉄中央線 緑橋 P:中川健成

EF65 1038

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1970(昭和45)年9月12日落成、川崎重工+富士電機製造、宇都宮新製配置。後に田端→新鶴見→JR貨物新鶴見→高崎→岡山へと転属する。昭和44年度第4次債務機で、大型パンタグラフ・国鉄色を維持し通風口が残る貴重な1両であったが、2009(平成21)年3月31日に廃車となった。 '08.2.17 北方貨物線 吹田(信)-塚本(信) P:中司朔良

キハ35 901

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'63年に900番代として登場した10輌(901-910)は、外板・骨組み・台枠に至る全てがステンレスを用いた車輌である。新製配属当初は無塗装で銀色の地肌であったが、後に安全対策上から、視認性を高める目的で前面に朱色4号の帯が入り、さらに末期には車体が朱色5号に変わり、一般車輌と同様の首都圏色に塗装された。運用は車輌数も少なく他のキハ35系と混用され、最後まで留置されていた904も'95年11月に廃車となった。 '84.10  八高線 寄居-折原 P:長岡行夫

クハ481-322

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ボンネット型クハ481-0番代・100番代、貫通型クハ481-200番代に続き、1974年非貫通型ク481-300番代が登場した。
クハ481-322は1975年2月新製、金沢運転所に配備され北陸本線各特急で活躍、1986年11月向日町運転所に転属した。写真は京キトA04編成として「雷鳥」で運用されていた頃の一枚である。堂々とした9輌編成、しかも敦賀〜京都間は湖西線を高速走行するためモハ484のパンダグラフを2つ上げている。まるで最盛期の国鉄特急を彷彿させる姿であった。この後、2009年10月福知山運転所に転属、交流機器を使用停止しクハ183-7711となり最後の活躍を行い、2010年11月に廃車された。 '08.3.9 北陸本線 敦賀 P:楢井勝行

クハ111‐6310

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113系1000番代ではJR西日本で唯一の車輌。昭和44年5月に東急車輌(大阪)で新造され最初の配属は大船。横須賀線・総武快速線でデビューを果たしたが、CTC導入に伴い日根野へ転属となったのは昭和54年12月のことで関西圏に転属されたのはこの1輌だけである。1992年に最高時速110kmへ対応すべく高速化改造。晩年はヘッドライトをシールドビームに、フロントガラスを金属押さえに改修が行われている。2004年4月に廃車。  '00.1 和歌山 P:竹内喜和

EF58 89

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1956(昭和31)年の東海道線電化前の8月に日立製作所水戸工場で落成後、東京機関区に配置、後に宮原機関区に転属、青大将塗装となる。東海道本線全線電化開業日「つばめ」の上り一番列車を牽引。高崎、宇都宮に転属、前面窓上につらら切が取り付けられた。1984年廃車予定だったが、EEF58 109号機の代わりに全般検査で復活、茶色塗装でそのままJR東日本田端運転所に継承されEF58 61と2大スターとして1998年1月まで活躍。この半年後は老朽化と絶縁不良で休車となり翌年廃車され、現在さいたま市の鉄道博物館で保存されている。 '98.1.25 両毛線 駒形-伊勢崎 P: 安田好一

キハ23 0番代

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1機関搭載の両運転台車で、'66年から'69年にかけて暖地用の0番代33輌、寒地用500番代21輌の計54輌が製造された。国鉄時代は1輌も廃車されることなく、すべての車輌がJRに継承された。車輌は両運転台でもあることから、ワンマン改造や車両更新工事施工などにより比較的長く使用された。しかし2000年前後には大半が廃車を迎え、保留状態であった1号機も2009年に廃車となり全廃となった。 '94.5.2 北陸本線 富山 P:長岡行夫

キハ52 102

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1962年から製造されたキハ52後期型100番代の1輌。2基のエンジンは水平シリンダーDMH17Hに変更された。キハ52-102は1963年1月松本に新製配備された。その後中込、小海、長野、新津へと転属した。古めかしい車体は白/青の新潟一次色になり、エンジンもカミンズ製に換装されたため、とても昭和30年代後半に製造された車輌とは思えぬ軽やかな走りをしていた。新津運輸区にキハE120が配備されるとキハ52は余剰となり、2009年3月定期運用から離脱した。長期間保留された後2011年8月廃車となりフィリピンに輸出された。 '08.3.30 米坂線 今泉 P:楢井勝行

119系5300番代

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非冷房で製造された119系0番代をJR東海発足後冷房化ワンマン化したものが119系5300番台である。写真はクモハ119-5321とクハ118-5313で組成されたR3編成である。1983年5月クモハ119-21とクハ118-13として新製、飯田線に配備され旧型国電を置き換えた。1990年8月DC-DCコンバーターとインバーター式C-AU711Dクーラーにより冷房化され119系5000番台となった。車番は5000足されクモハ119-5021とクハ118-5013に改番された。2000年7月ワンマン化改造され119系5300番代となった。車番は300足されクモハ119-5321とクハ118-5313に改番された。このおり車体中央扉片側の戸袋窓が扉開閉スイッチ取付のため埋められている。ワンマン車は天竜峡以北で活躍したが2012年3月引退した。 '08.3.29 中央本線 辰野 P:楢井勝行

タサ3000

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古めかしいアーチバー台車(TR20)を履く中型タンク車で、画像の3035号は日米開戦前の1940(昭和15)年に製造された。撮影した当時、備後庄原駅では地元の蔵元が製造する原酒(日本酒)が桶買い先にタンク車で出荷されおり、この車両輌も積み込まれたのであろう。 '72.12 芸備線 備後庄原 P:清原正明

EF 65 506

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1965年に新製されたEF65 500番台P形1次車の内の一両。東京機関区に配備され当初寝台特急の牽引などで活躍したが、後に新鶴見、高崎第二と移動を重ね最終的には高崎機関区に配備されJR貨物の機関車となる。1991年に延命を目的に、EF65 500番台として、またJR貨物の機関車として初めてとなる更新工事を受け、国鉄色から貨物色への塗装変更が行われた。その後は貨物列車の牽引などを主に運用されていたが、2008年3月17日、単5882レで倉賀野に回送され廃車となった。 '08.2.10  南武支線 八丁畷 P:柳川航平

キハ58 714

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1966年日車にて新製、長ナノ配置。72年名ミオへ転属し86年名ナコへ再異動。数多あるキハ58の中でも、意外と記録写真に残っていない車輌です。なぜなら廃車までに2回改番されているから。前位デッキ上の押込型通風器で気付く人も多いと思いますが、89年に「かすが」用に0系新幹線発生品の座席を取り付け、東海色に塗色変更のうえ5714番となっています。「みえ」用のカミンズエンジン改造車が5000番台で登場すると、91年に重複を避け3001番へ再度改番。この車はDMH17HエンジンとDT22台車のまま2001年廃車となりました。また、撮影時は亀の子タイプのAU13冷房装置であったが、後年小判形AU13に交換されました。 '75年頃 名古屋 P:新美伸広

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