鉄道ホビダス

2011年3月アーカイブ

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1955年日立製作所製。元留萌鉄道キハ1001で、1970年留萌鉄道休止にともなって1002、2004、2005とともに茨城交通に譲渡された。1001は1986年に廃車、1002は1989年に廃車となっている。 '70.3.21 勝田 P:大野 亨

大阪市交通局60系

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1969年の堺筋線開業時に製造された車両。当時は5両編成だったが,1979年に6両編成,途中,1989年には冷房改造が施され,1993年には8両編成に組み替えられた。しかし,66000系(66系)の増備により1992年から冷房改造を受けていない編成から順次廃車され,2003年に姿を消した。 '79.6.18 阪急電鉄 北千里線 山田 P:松本卓彦

オヤ36 2051

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オヤ36 2051架線観測用試験車。オハ35を種車として1973年国鉄盛岡工場で改造された。パンタグラフが取り付けられ屋根上には観測用窓、照明装置が設置されていた。盛岡客貨車区に配置されて使用されていたが、JR東日本に継承されることなく1987年に廃車となった。 '78.3 盛岡客貨車区(許可を得て撮影) P:藤村巌雄

DD51 506

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DD51 500番代から仕向地用に一般・寒地・寒地(北海道)仕様区分が行われ、又重連総括制御が可能となった。ただし501〜592を半重連・593〜799を全重連と呼ばれブレーキ制御が異なり、北海道の機関区などでは機関車の仕業札差入れに区分の札を表示している所も見られた。 '86.5.2 日出谷 P:長岡行夫

西武鉄道 101系

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西武の本格的な高性能車として'69年にデビュー。同年に開業の西武秩父線開業とも歩調を合わせた性能を有し、山岳区間から平坦線区間両用に使用可能な性能を持つ車輌ということから、「ASカー」と呼称された。このうち、'69〜'76年に製造された一次車から八次車278輌が写真のスタイルを持つ。性能は日立製MMC多段式電動カム軸制御の直並列抵抗制御で抑速発電制動付電磁直通制動(HSC-D)を採用。当時の狭軌線で最大級の150kw主電動機を採用。また、この形式から全車にダイレクトマウント方式のエアサス台車(FS372・FS072)を採用。車体色も従来の赤系からイエロー地に窓回りウオームベージュ色と一新。当初は非冷房だったが、'72年登場の四次車9本中6本が試作冷房車として登場。その成果を踏まえ、'74年登場の六次車(中間車のみ)以降、新製時から冷房車(CU72形集中式一台各車搭載)に。車体スタイルは701系に端を発するもので、長年の西武の顔的存在であった。晩年は更新改造、車体色のイエロー一色化、支線区運用にワンマン改造とバラエテイーに富んだものとなったが、'88年から他形式への機器転用から淘汰が始まり、新形式車輌の増備により'10年11月の多摩川線ワンマン改造車の運用が終了して、引退となった。 '82.7 池袋線 椎名町 P:梶村 昭仁

12系「白樺」

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1983年に登場した12系客車改造の6輌編成で長野鉄道管理局(後に長野支社)が保有していた。客車には中部6県の県花にちなんだ愛称名が付けられ、外観塗装はクリーム色を基調に黄緑であったが、濃い緑を経てその後も塗装変更を続けて最終的には深緑を基調とし金・赤帯の姿に変えた。車輌の老朽化により1995年に誕生した「浪漫」へと置き換えられ廃車された。 '90.11.1 磐越西線 徳沢-上野尻 P:長岡行夫

キハ24 1

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キハ24のトップナンバー車。機関1基の両運転台の気動車でキハ23の北海道酷寒地仕様の気動車。10輌のみ製造された少数車輌。キハ22とともに急行運用に使用された。国鉄民営化によりJR北海道に全車継承された。晩年は函館地区に集約されて函館本線、江差・松前線、瀬棚線等で活躍したが、1995年までに全車廃車となった。キハ24 1は、前面に車号が表記されていなかった。 '86.10 今金 P:藤村巌雄

クモヤ90802

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クモヤ90802は、中央本線などの断面の小さいトンネルに対応するために、クモヤ90からパンタグラフ部分の屋根を低くした改造車輌。奈良線の電化用の105系改造車と供に奈良電車区に転属となったが1987年に廃車となった。 '84.8.10 横須賀線逗子─東逗子 P:藤村巌雄

キハ65「エーデル鳥取」

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キハ65改造の展望車2輌を含む5輌編成で、1988年に登場し山陰本線の非電化区間(城崎温泉駅以西)を主に活躍した。その後エーデル運用消滅後も団体輸送や観光列車として運用されたが、老朽化により2010年に廃車された。車体塗装は白に水色のラインで展望部のみ赤色であった。 '90.8.15 山陰本線 滝山信号場 P:長岡行夫

DD51 812

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DD51 812号機は1970年7月2日に日立製作所水戸工場で製造されました。1970年7月4日に高崎第一機関区に配属となり、以降、八高線の貨物列車の牽引等に活躍。1987年4月1日にJR東日本に引継がれましたが、2001年1月10日に廃車となりました。最終走行距離は、1,094,404kmでした。 '81.9.27 拝島 P:鈴木岳人

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1970年代なかばから80年代なかばにかけて大雄山線の車両は17m国電型車両のモハ151型・クハ181型・サハ181型がすべてだった。これらには本来の17m国電から転入した車両と相模鉄道2000型を譲り受けた車両があり、モハ160番台を名乗る後者は相模鉄道時代に車体更新を受けて17m国電スタイルながら張り上げ屋根になっていた。首都圏に残った最後の17m国電で、形態の揃った美しい編成が吊り掛けサウンドを響かせていたが、事業用に残された165を除き、1996年に全廃。写真は163 + 164 + 185。 '90.11.1 飯田岡─相模沼田 P:小西和之

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