鉄道ホビダス

2008年4月アーカイブ

E993系ACトレイン

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E993系ACトレインは、2002年4月に製造された試験車である。川越車両センターに配属され、埼京線や中央線などで試運転を行なった。また鉄道イベントにもよく展示されていた。各種試験を経て2006年7月に郡山に廃車回送、郡山車両センター一般公開時に最後の展示会が行なわれ、9月に解体された。 '03.12 尾久客車区 P:福田智志

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113系 福知山色(初代)

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1986年11月1日の国鉄福知山線電化区間延伸工事完成(宝塚-福知山間)の際に、既存の0番代車に耐寒改造などを施して登場した800番代には、独自の塗色が見られた。俗に’福知山色’と称され、新幹線の「ドクターイエロー」を想起させる「黄色5号の車体+青20号の帯」が異彩を放ったが約4年「ベージュ系の車体に緑色・茶色の細帯」といういわゆる「新福知山色」に変更され消滅(現在はこの塗色も消滅)。写真はJR化直後に新三田駅にて撮影。 '87.5 福知山線 新三田 P:清水祥史

近鉄モ200形

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この電車こそ近鉄のルーツである。1914(大正3)年、大阪上本町〜奈良間に開業した大阪電気軌道(大軌)の元デボ1形である。生駒トンネルを含む33‰の連続急勾配にそなえて約180馬力のモーターを2台装備、戦後はおもに橿原線や奈良電鉄に乗り入れ、最高速度も90km/h近いスピードで活躍した。最後まで手動ドアだったため、客扱いの少ない急行電車にも活躍、また以前はローカル鉄道だった大和鉄道や信貴生駒電鉄(後の近鉄田原本線及び生駒線)に貸し出された車輌もあった。1964(昭和39)年の新生駒トンネルの開通により、近鉄奈良線に900系や8000系大型車が登場するにおよび、およそ50年にわたる活躍の幕を閉じた。最後まで美しい木造車の姿を留めていたのは、さすが近鉄の保守が行き届いていたからであると思われる。現在も1輌が開業当時に近い姿に復元されて五位堂工場内に保存されている。 '64.12.31 大和西大寺車庫 P:永野晴樹

南海電鉄モハ1251形

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1937(昭和12)年から1938(昭和13)年にかけて高野線の50‰急勾配急曲線区間(当時高野下─極楽橋間は高野山電気鉄道)直通用に製造した15m級小型車である。これ以前の詳細は省くが、木造車の車体更新という名目で誕生した。当初の車輌はドア間が転換クロスシート、日除けにはベネッシャン式を用いる等、極めて優れた内装を誇った。高野山電鉄で実用化した回生制動を装備し、性能的にも際立った存在であった。戦時中被災したものは、戦災復旧車と称して、一段下降式窓の車体を新製、さらに戦後は同系の新製車も多数増備した。戦後展望車クハ1900を用いた特急こうや号用にスタイルの良い戦前型のモハ1251、52、54をオール転換クロスに整備の上、1952(昭和27)年より運転した(こうや号の運転開始は26年でロングシートのモハを用いた)。さらにズームカーの登場により、モハ1251形も弱め界磁率を52%に向上して高速運転にも対応した。写真は1970(昭和45)年夏、昇圧が具体化して旧型車の廃車が進展する中、ダークグリーン・ニス塗りの旧塗装の窓枠、二段シルやヘッダーにリベットを残した、奇跡とも思える未更新の1257を最後尾に、高野山に向けて発車する急行電車である。この約半年後にモハ1251形は引退した。 '70.7.15 南海難波 P:永野晴樹

長野電鉄0系(OSカー)

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1966(昭和41)年、ラッシュ時の混雑緩和対策として、20m級4扉の高性能車が出現、強化プラスティックを用いた正面の斬新なデザインと共にローレル賞を受賞するなど大きな話題となった。都合2編成4輌が登場し、さらに3扉の10形も1編成登場した。長野オリンピックを機会に営団日比谷線車輌を大量に譲り受け、0系は廃車となった。地方の私鉄が首都圏の大型通勤電車を譲り受けて用いる姿はさほど珍しくはないが、4ドアの本格的な大型通勤電車を「新製」したのは唯一ではないかと思われる。 '77.8 長野電鉄 柳原─村山 P:永野晴樹

岳南鉄道 5000系

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東海道線吉原から富士の裾野を180°回転し、東海道新幹線の高架下付近が終点となる9.2kmで沿線に製紙工場が多く貨物輸送主体の鉄道。'81年に東急旧5000系四編成を投入し在籍車輌をこれに統一。写真はデハ5002(元デハ5028)+クハ5102(元サハ5363)でクハは譲受の際はタネ車がすべて中間車からの改造車となった(クハ5103は元デハ5114)。特に大きな改造もなくオレンジ+白帯で東急時代に近いスタイルで活躍するも軽量車体の老朽化と冷房改造が出来ない構造のため、2004年までに旧京帝3000系改造車と代替、消滅した。 '89.9.2 神谷─岳南江尾 P:梶村昭仁

東京急行電鉄 デハ70形

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'42〜'46年にかけ川崎車輛で8輌が登場。軌道線用車輌としては全長14m級3扉の大型車輌。登場時はポール集電、両端2枚引扉(中央は1枚式)前面は中央が大きい3枚窓だった。後に集電装置がビューゲル→パンタと変遷、'67年以降全編成対象に2輌連結2人乗化改造。編成は基本的に71+72と云う番号順に組成。'78〜'82年に車体更新で前面が4枚窓化、両端扉が1枚引扉に。'89年以降シールドビーム2灯化、'94〜'96年にカルダン化等変遷するも非冷房故、後継の新車と交替。'99〜'00年までに全車引退。 '86.3.13 世田谷線 山下─宮の坂 P:梶村昭仁

富士急行3100形

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1956(昭和31)年、当時の富士山麓電鉄が製造した高性能車である。観光鉄道にふさわしく、セミクロスシート車で当時としては極めて斬新なデザインで、40‰の急勾配にそなえて電気制動も装備した。都合2編成4輌が登場したが後に増備した編成は踏切事故によるブレーキ損傷で暴走し脱線転覆大破して廃車となったが、残る1編成は10年ほど前まで活躍した。なお形式の3100は昭和31年にデビューした事に由来する。 '77.2.11 三つ峠─暮地(現・寿) P:永野晴樹

スユ44

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スニ40形、ワキ8000形に準じた車体構造の郵政省所有のパレット輸送専用郵便車で、1971〜1978年にかけて12輌が製造された。全車汐留客貨車区配置。1986年の鉄道郵便廃止に伴い、1987年廃車となった。 '86.4.7 大阪 P:小林秀章

京福電鉄デナ21形

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1928年の鞍馬電気鉄道山端〜市原開業時に121〜124が、翌1929年の鞍馬延長時に125・126が日本車両で製造された。勾配区間に入線するため発電ブレーキが装備されている。1964年に事故のため121・123の2輌が廃車となり、4輌は1978年にパンタ化され1994年まで使用された。上部にRのついた優美で穏やかな窓が印象的。ポール時代はポイント通過時、車掌が片手でポールの紐を引っ張って通過、たまに架線から外れて火花を飛ばしているのがスリリングだった。 '74.4.13 鞍馬線 貴船口 P:柿浦和敏

JR103系クハ103-1203

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旧営団地下鉄東西線乗り入れ用301系の増備用として103-1000番代を東西線仕様とした車輌で、7輌編成×5本、35輌が在籍、初期型1編成と窓枠をユニット化した後期型4編成からなる。103-1200番代は西船橋方から1号車がTc車となるため、7輌編成の三鷹寄りではクモハ102-1200となる。乗り入れ先の東西線10輌化に伴い編成替えが行われ、余剰と成った車輌は常磐快速線用として松戸区に転属し、同線で使用された後に廃車となっている。4号5号編成は地上線用サハを組み込み10輌化、3号編成は写真のように5輌化され多編成入場時の予備編成となって幌を付け異彩を放っていた。301系とも組むようになり、時折写真のような姿を見ることができたが(写真後ろ5輌は301系で車体側面の段差で分かる)、E231-800導入に伴い平成15年までに引退した。 '03年頃 西荻窪 P:田中健吉

小田急電鉄4000系

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2600形同様20m4扉車体を持ち、'66〜76年にHB・ABF系車輌の電機品(吊掛駆動)流用車を'85〜89年に廃車の2400形電機品を再流用し高性能・冷房化。吊掛当時3輌×9及5×13本92輌を4×8及6×10本に組替。冷房機は新製中の8000形のCU195形を4台搭載(冷房機カバーは個別形状)、車内送風装置は扇風機。補助電源装置はSIVへ換装。電動車の台車は特徴あるPⅢからTS-826へ変更。制動はHSCを流用(電制無)。高性能化以降他形式と併結の上、全線で運用されるも流用機器故、老朽化が進み新形式車の登場と相まって'03〜05年に運用離脱、形式消滅。 '99.1.17 小田原線 新百合ヶ丘─柿生 P:梶村昭仁

クロ381形50番代

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JR化後の特急「しなの」号フリークエンシーアップによる短編成化対応で不足する特別車輌(グリーン車)を普通車から格上改造した番代。全5輌が名古屋工で'87.10〜12に竣工。外観はグリーン車マークが側引扉横に付いた程度で替らず、車内がグリーン車用のリクライニングシート交換、但し窓とシートピッチが合っていなかった。写真の-52は'74年川重で新製の二次投入車で、元クハ381-13が種車。前面の二連ワイパが識別点。その後大きな改造もなく使用も、383系投入で引退、'97〜'98年にかけ番代消滅。 '89.3.24 名古屋 P:梶村昭仁

国鉄サロ110形1200番代

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'76年に登場'81年まで88輌が製造された113系用特別(グリーン)車輌。接客設備向上を目指し当時の特急普通車と同様の簡易リクライニングシート採用、台車もTR-69系採用。側窓完全二段上昇式ユニットサッシ、循環式汚物処理装置(一部準備工事)搭載。3-4位側に便洗面所、デッキを挟んで専務車掌室を配置(従来のサロ110形とは反位側)。当初は横須賀線から投入。順次東海道へも投入され老朽車両の置換えに増備。'78年の-1218〜は便所FRPユニット化及び蛍光灯化により便所窓が小型化されたのが外観上の変更点。写真の-1288はラストナンバーで'81年12月日車製。当初静岡転へ配置後、'86年11月ダイヤ改正時、国府津区へ。以降、東海道東京口で活躍するも、113系東海道東京口からの撤退と同時の'97〜'06年までに引退、番代消滅。 '88.6.19 東海道本線 東京 P:梶村昭仁

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モ151と同形の14m車、外観上の違いは平野線の連結運用のため連結器を装備していることぐらいである。1928(昭和3)年に10輌が川崎車輌で、1931(昭和6)年、田中車輌と大阪鉄工所で10輌製造された。重連総括制御可能で連結運転に活躍したが、1961(昭和36)年に連結運転を止め連結器も撤去された。写真は救助網⇒排障器に変わっているが、連結器、集電装置など原形をとどめていた頃の165号の併用軌道区間でのスナップ。 南海上町線 姫松付近 '63.8 P:柿浦和敏

阪神電鉄1形

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1927(昭和2)年、国道線開業時に導入されたボギー車で、総数は30輌。登場時より扉の開閉に連動するステップを備えていた。当初、全車2個モーターだったが、1943(昭和18)年、10輌を4個モーターに改造している。1950(昭和25)年には、全車トロリーポールからビューゲルに換装されている。1974年までに全車廃車となった。 '73.3.22 阪神北大阪線海老江 P:古村誠

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小田急2600形

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小田急2600形は1964年に登場した20m級4ドア車の元祖である。回生ブレーキを装備し、かつ車体幅を2,900mmまで拡げた経済性と輸送力を持たせた車両で、NHE(ニューハイエコノミカル)車という愛称で呼ばれた。登場当時は5輌編成だったが、後に6輌編成化されて、一部の編成は組み替えで8輌編成になった。なお8輌編成のうち1編成がVVVF制御の試験車となった。老朽化により、2004年6月のさよなら運転を最後に引退。2003年10月には登場当時の懐かしい旧塗装に戻され、ファンを喜ばせた。 '03.12 新百合ヶ丘 P:福田智志

北総開発鉄道7050形

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北総7050形は、1995年に京成3150形をリースして登場した車輌。元京急1000形の7150形を置き換えた。京成3150形は2001年に消滅し、最後の京成3150形グループが北総7050形だった。最後まで残った7081編成も2003年12月のさよなら運転を最後に消滅。京成3150形グループは完全に消滅した。 '03.12.23 北総開発鉄道 印西車両基地 P:福田智志

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キハユニ15 18

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1953年製造の液体式気動車(中間車)キハ44500形(→1957年キハ15形に称号改正)を1959年にキハユニ化改造したものである。18号は豊岡区に配置され1975年度まで活躍し1976年2月に廃車となった。 '74.4.20 宮津線天橋立 P:長谷川武利

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