鉄道ホビダス

2015年8月アーカイブ

EF61 4

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EF61 4は、昭和36年から製造開始されたEF61基本番代のうち、川崎車輌・川崎電機で製造されたグループに属する。EF61は基本番代・200番代ともに全車が廃車され、保存機は1輌もないが、この4号機は唯一、車体前頭部のカットボディが広島車両所に現存する。写真は、小荷物列車の先頭に立ち、雨のセノハチを登るEF614〔広〕。積載物の重量にもよったのだろうが、現車11輌だとEF58なら当時はEF61-200番代の補機を要したところ、EF61は補機なし単独牽引で登っていた。 '79.10.28 山陽本線 瀬野-八本松 P:中司純一

キハ11-108

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1989年2月新製、寒地向け便所無し車であるが伊勢車両区に配備された。当初の運用区間は、紀勢本線(亀山〜多気)・参宮線・名松線 であったが、1999年3月以降は増備された便所付きキハ11-300番代とペアを組んで紀勢本線多気以南〜新宮まで運用区間を増やした。2015年8月1日名古屋車両区に投入されたキハ25形2次車に置き換えられ運用を離脱、2015年8月5日ミャンマー譲渡のため笠寺に回送された。写真は撮影名所の築堤を走る鳥羽行きキハ11の2連、キハ11-108は先頭に立っている。 '11.3.5 参宮線 多気−外城田 P:楢井勝行

EF60 501 

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1963年10月4日 汽車、東洋製造。新製配置は東京区。九州特急用に製造され、EF58と交代したが、EF65 500が登場したため1965年9月浜松、八王子、高崎二、と移動し貨物列車で活躍したが、1986年1月廃車された。ブルトレ牽引2年弱、薄幸の501号だが碓氷峠鉄道文化むらに保存されていることはうれしい限り。写真は公式試運転新鶴見ー平塚を無事終え入区してきたところ。これをもって、会社から国鉄への入籍が本日めでたく完了した。 1963.10.4 新鶴見機関区 P:髙澤一昭

EF58 5

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ゴハチ1桁ナンバー機は、概ね1979〜1980年に廃車になっているが、1号機とこの5号機だけは、浜松区にあって、東海道・山陽本線の
ゴハチ終焉期まで、小荷物列車の先頭に立って活躍した。1947年日立製作所製。デッキ付車体から流線型車体への改造は比較的遅く1957年。その後一時東京機関区に配置されるが、1958年に浜松機関区に転属して以来、廃車まで一貫して同区所属であった。ゴハチの若番機は、前面窓がHゴム改造された機が多かったが、同機もその例に漏れず、現役当時のファンの人気はいま一つであった。 '79.10.29 山陽本線 瀬野-八本松 P:中司純一

キハ58 800番代

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キハ58 800番代は1962年から63年まで19輌が製作され修学旅行や一般用に使用された。塗色は修学旅行電車と同じ、朱色3号黄色5号。801〜808直方気動車区、809〜819は盛岡、山形、小牛田に配属された。写真は東急車輛製の801〜804の編成で公式試運転のもの。相模線は最高速度が当時は本線65㎞支線25㎞なので試運転には驚いたものである。 '62.2.18  相模線 寒川 P:髙澤一昭


キハユニ15 14

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1957年製の電気式気動車(キハ44000)から改造された郵便荷物合造車。加古川線で長く活躍し、晩年は岡山を経て、浜田で1979年に廃車となった。 '74.6 伯備線 新見 P:清原正明

EH10 11

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「マンモス」の愛称で親しまれたEH10。11号機は1955年東芝製。新製配置は稲沢第二機関区で、その後吹田第二機関区に転属、1981年に廃車となった。この機は晩年、パンタグラフが下枠交差式のPS22B型に換装されていた。また、牽引されているのは自動車運搬貨物車ク5000形。1966年から日本車輌・三菱重工にて900輌以上が製造され、専用特急貨物列車「アロー号」で名を馳せたが、1972年頃をピークに自動車輸送の需要が低迷、JR化に際して60輌程度が継承されたものの、1996年に運用を終了した。 '80.2.21 東海道本線 山科 P:中司純一

115系 新ニイY2編成

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弥彦寄り クモハ115-503+クモハ114-503 東三条寄り からなる新潟車両センター所属の弥彦線用ワンマン車(便所無し)である。1966年6月 モハ115-88+モハ114-88 として宇都宮運転所に新製配備された。1983年11月新造の運転台を取り付け クモハ115-503+クモハ114-503 に改造され広島運転所に配属された。1984年1月新潟運転所に転属、1988年ワンマン化改造、1993年冷房化(SIV給電によるAU712型クーラー2基搭載)改造された。2015年3月ダイヤ改正にて運用を離脱、2015年7月13日長野総合車両センターに廃車回送された。 '08.9.7 信越本線 東三条 P:楢井勝行


キハ40-6309

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キハ40-2113として1981年4月奈良運転所に新製配備された。国鉄民営分割時にはJR東海の伊勢機関区所属になった。1988年3月美濃太田機関区に転属、1991年6月冷房化改造(床下搭載機器型)、1998年2月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装しキハ40-6009に改番、さらに1999年12月ワンマン化改造されキハ40-6309に改番された。そして2011年6月には国鉄色塗装となった。2015年7月1日運用離脱、2015年7月29日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。写真は国鉄色キハ40重連で運転された快速「熊野古道伊勢路」号(上り)である。伊勢車両区に貸し出されたキハ40-6309が先頭に立っている。屋根上分散型クーラー搭載のキハ40-3005(熊野市寄り)と原型を保つキハ40-6309(多気寄り)との対比が興味深い。 '11.27 紀勢本線 阿曽−伊勢柏崎 P:楢井勝行

EF58 25

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1948年川崎車輌製。新製配置は東京機関区。1953年に流線型車体に改装。その後、宮原、浜松、下関と転属。再度浜松機関区に再配置され、小荷物列車の先頭に立った。廃車は1980年10月。1970年のゴハチ全盛期には、同機のような正面窓Hゴム・ビニロックフィルター改造機など見向きもしなかった「正統ゴハチファン」が多かったが、1980年代に入った「ゴハチ晩年」には、そんな贅沢も言えず、これら改造機にも、さかんにシャッターを切ったものだった。 '80.2.8 東海道本線 吹田-東淀川 P:中司純一


DD51 1116

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1974年日立製。米子、福知山、豊岡の各区を渡り歩いた山陰地方生え抜きの機で、2002年11月に廃車となった。写真は、阪神淡路大震災で東海道・山陽本線が不通の期間、姫路以東を播但・山陰・福知山線経由で迂回運転された「あかつき82号」を牽引している場面。 '95.3 福知山線 三田-道場 P:中司純一

キハ40-3005

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2015年7月15日運用離脱し2015年8月2日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送されたキハ40-3005。雑誌等で近年目にする姿は国鉄色に塗装変更されたものが多かった。長年の活躍に敬意を表し余り注目されていたかった頃の姿を紹介したい。326Dの先頭に立つJR東海色時代の白く洒落たキハ40-3005、この半年後に一躍人気者になるとは想像も出来なかった。 '10.12.19 紀勢本線 多気−相可 P:楢井勝行


EF65 513

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1965年10月川崎重工、川崎電機製。新製配置は東京区。EF65高速貨物用して登場したが、東京区ではブルートレイン牽引機として活躍。翌年4月吹田二区に転じ高速貨物に使用された。以後新鶴見、広島、吹田二、沼津、高崎二、高崎、JR貨物高崎と移動し2000年3月廃車となった。東京まであと小一時間上り最後のブルトレ2レを牽く500Fにとっては思い出の一枚。 '66.1.5 東海道本線 平塚ー茅ヶ崎 P:高澤一昭


D51 937

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1943年川崎重工兵庫工場製。新製配置は梅小路機関区。戦後は吹田一区、福知山区と山陰本線を中心に活躍し、1961年新見区に転属。終焉装置を付け伯備線で使用された。布原三重連の最終日には美しく整備されヘッドマークを付けての前々補機を務めた。1973年3月廃車。 '72.3.12 布原信号場-新見 P:山下修司


DD51 833

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1971(昭和46)年日立製作所水戸工場製。新製配置は吹田機関区で、40年の長きにわたり城東貨物線の中心に活躍。2011年3月、城東貨物線電化を機に美祢↔岡見(中国電力三隅火力発電所)間で運行されていた炭酸カルシウム・フライアッシュ輸送(通称:岡見貨物)に従事するため門司機関区に転属。しかし、直後、東日本大震災が発生、被災地への石油輸送のため東新潟機関区に貸出、磐越西線で約1か月使用されることになった。使命を果たし、門司機関区に帰還、岡見貨物を牽引していたが、2013年の山口県内での集中豪雨による災害により山口線が不通になり、そのまま岡見貨物も廃止となってしまった。同機は活躍の場を失い、2014年廃車となり解体されている。 '11.4.3 磐越西線 磐梯町-更科信号場 P:山下修司

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