1944年、日本車輌名古屋工場製。戦時仕様の四次型(1000番代)。中津川区より高知区に転属、四国のD51、11輌のうちの一輌である。松本区・長野区と配置され山岳線で活躍後、富山区・酒田区・長岡区と移り日本海縦貫線で使用された。その後、新庄区を経て、1971年新見区に転属し伯備線で運用につく。1973年4月の伯備線無煙化を機に浜田区に転出し、最晩年は山陰本線で活躍、1973年11月廃車。 1971.11 岡山機関区 P:山下修司
- TOP
- 随時アップ:消えた車輌写真館
- 2015年3月
2015年3月アーカイブ
1978年9月クハ481-1019として青森運転所に新製配備、1982年9月秋田運転区に転属、1992年7月青森運転所に復帰する。1993年10月半室グリーン席のクロハ481-1028に改造される。2003年1月上沼垂運転所に転属、K1編成1号車となり「ムーンライトえちご」で活躍、その廃止後は波動輸送や「北越」などで運用された。2014年3月北陸新幹線開業により用途を失い廃車となった。写真は「ムーンライトえちご」の間合い運用で快速「フェアーウェイ」に充当されていた姿である。 '08.12.30 東北本線 大宮 P:楢井勝行
新潟向き クハ481-346 モハ485-1088+モハ484-1088 モハ485-1057+モハ484-1057 クロハ481-1028 上野・直江津向き から成る、黒い連結器カバーが特徴の新潟車両センター所属車である。「ムーンライトえちご」や波動輸送で運用された。2014年6月に僚友のK2編成が廃車された後も「北越」などで活躍する。しかし2015年3月14日の北陸新幹線開業により遂にその用途をなくす。そして2015年3月19日に秋田総合車両センターへ廃車回送された。 '07.12.15 信越本線 新潟 P:楢井勝行
C11は一次型(1〜23)、二次型(24〜140)、三次型(141〜246)、四次型(247〜381)の4タイプに分かれる。307号機以降は戦後製。1935(昭和10)年3月、日立製作所笠戸工場製の80号機は二次型に属し、このタイプ以降は一次型と砂箱・蒸気溜めの位置が入れ替わり砂箱が第一缶胴、蒸気溜めが第二缶胴となった。水槽容量は一次型と同じく6.8㎥で水槽下面とキャブ下端のラインが一致している。同機は竣功後津山機関区に所属し、津山線・吉備線を中心に貨客牽引に活躍、1962年10月の岡山国体に際して運転されたお召列車の牽引機も務めている。1971年3月24日には津山線・吉備線無煙化のさよなら列車を牽引、1972年の交通博覧会に展示されたりして、しばらく岡山機関区に保管された後、1973年、会津若松運転所に転属、会津地方で使用され、1975年10月に廃車となった。日中線のさよなら列車も牽引。現在は岡山県津山市に保存されている。 '70.3.24 岡山機関区 P:山下修司
北向き(→N104 新宿・松本方) クハ182-102 モハ182-1032+モハ183-1032 モハ182-1054+モハ183-1054 クハ183-1527 南向き(→N104 長野・直江津方) から成る、大宮総合車両センター所属の波動輸送用車輌である。中間モハ4輌はグレードアップ車である。2013年7月に長野総合車両センターに転属、N104編成となった。主に多客期に運行される臨時「あずさ」「かいじ」で運用された。2015年3月初めに運用を離脱、廃車となった。 '08.1.5 高崎線 大宮 P:楢井勝行
1976年2月青森運転所に新製配備、1987年7月秋田運転所に転属、1992年7月青森運転所に戻る。2003年1月上沼垂運転所に転属、165系に替わり夜行快速「ムーンライトえちご」用K1編成6号車(赤い座席のレディースカー)となり活躍した。2009年3月に「ムーンライトえちご」は臨時化(のちに廃止)、その後は波動輸送や「北越」などに充当された。しかし2015年3月14日の北陸新幹線開業により運用を失い、2015年3月19日に秋田総合車両センターへ廃車回送された。これで仙台車両センター所属のクハ481-334(東武直通→あいづライナー)と共に最後のクハ481-300番代が現役から退いた。 '08.3.30 信越本線 新潟 P:楢井勝行
1986年9月サハ481-103を種車として改造、松本運転所に配備された。後位の乗降扉はステップ付き、前位乗降扉後ろの客室窓上に取り付けられた行先表示幕が特徴である。「あずさ」「かいじ」用183系として最後まで松本運転所に留まった。その後高崎車両センターに転属し波動輸送用となった。2006年3月大宮総合車両センターに転属、OM103編成6号車として長きに渡り波動輸送に活躍した。2013年7月長野総合車両センターに転属、2015年3月初めに運用を離脱し廃車となった。 '08.1.5 高崎線 大宮 P:楢井勝行
1958(昭和33)年、日立製作所水戸工場製。東京区・岡山区への貸し出しはあるものの一貫して宮原区に所属、1984(昭和59)年3月に廃車となっている。写真は20系団体臨時列車を牽引して岡山に停車している場面、ヘッドライトはシールドビーム2灯に改造されている。スノープラウ取付座があるのに前端梁にステップが設けられているのが特徴。 1983.8.2 岡山 P:三宅昭和
1944年川崎重工兵庫工場製。新製配置は下関区。糸崎区で終戦を迎え、鳥取区、浜田区(借入)、福知山区と山陰本線を中心に使用され、1972年3月、奈良運転所に転属。デフにC62 2のようなツバメのシルエットのマークを付られた。1973年4月に廃車。ツバメマークはD51 831に移設。'73.2.11 伊賀上野 P:山下修司
1940年日本車輌名古屋工場製。新製配置は米原。浜松区を経て敦賀区へ。戦後は北陸本線で活躍後、東北に転じ長町区、一ノ関管理所、青森区と、東北本線を中心に使用される。1968年10月の東北本線全線電化を機に奈良運転所に転属、関西本線で運用についた。奈良機関区のD51運用は竜華(操)〜亀山がメインだったが、臨時列車を牽引し大阪中心部の湊町や奈良線経由で京都にも顔を見せていた。写真は団体臨時旅客列車の12系を牽引し島ヶ原を発車する場面。1973年10月の関西本線無煙化で長門機関区に転属、晩年は山陰本線で使用され、1974年12月に廃車となっている。 1973.2.11 関西本線 島ヶ原 P:山下修司
立川寄り クモハ115-307 モハ114-335 クハ115-360 松本寄り からなる豊田車両センター所属車である。1975年2月三鷹電車区に新製配備、1986年10月豊田電車区に転属する。2014年12月6日、長野総合車両センター211系の運用拡大により豊田電車区115系は運用を失う。そして2014年12月10日、115系M4編成は長野総合車両センターに廃車回送された。写真は小淵沢駅中線にて他の115系M編成を従え6連の前に立つ115系M4編成である。内装はリニューアルされているがシートピッチ拡大前に製造された115系300番代の細窓を含んだ窓配置が特徴的である。 '08.10.11 中央本線 小淵沢 P:楢井勝行
下関から荷物列車を牽引してきたEF58 171が車庫内で憩う。傍らのDE10 1044号は芸備線の50系客車を牽引して到着。EF58 171は1958(昭和33)年汽車会社大阪工場製造。電装は東洋電機。竣功後、沼津機関区に配置、宮原→沼津→米原→宮原と移り、最晩年は生き残ったEF58とともに下関運転所へ。1985年4月廃車。DE10 1044は2014年に廃車された。'84.1 広島機関区蟹屋派出 P:清原正明
1966(昭和41)年、川崎重工兵庫工場製。東京機関区に配置、東京〜下関間の寝台特急牽引に活躍。1978(昭和53)年、EF65PFにバトンを渡しブルートレイン牽引から引退。1985(昭和60)年新鶴見機関区、1986(昭和61)年高崎第二機関区に配置。後半生は貨物牽引が中心。JR貨物に継承され、1998(平成10)年12月、廃車となった。 '78.5.12 東海道本線 新橋-品川(田町付近) P:山下修司
1996年1月、ウラ46編成として浦和電車区に新製配備、京浜東北線で活躍する。2010年2月、E233系1000番代に置き換えられ転用改造(10連→6連、GTO→IGBT、など)され中原電車区に転籍、南武線で活躍する。組成は 川崎寄り クハ209-2203[47]モハ209-2205[93]+モハ208-2205[93] モハ209-2206[94]+モハ208-2206[94] クハ208-2203[47] 立川寄り である。( [ ] は旧車番を示す。)2015年2月3日、E233系8000番代に置き換えられ長野総合車両センターに廃車回送された。 '14.1.29 南武線 川崎 P:楢井勝行
1924年(大正13年)10月、浅草〜西新井間の電化時に日本車輌で製造されたデハ1形5号が前身です。営業運転引退後、長らく旧西新井工場で入換用として原型に近い状態で使用されました。現在は東武博物館で保存展示されています。 '78.9 東武鉄道 西新井工場 P:稲毛信夫