寒地向け便所なしのキハ48-1519として1979年7月美濃太田機関区に新製配備、高山本線や太多線で運用される。JR化後床下搭載型による冷房化改造を受けた。1998年7月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-6505に改番された。2003年7月ワンマン化、キハ48-6805に改番された。2007年8月伊勢車両区に転属、活躍の場を紀勢東線と参宮線に移した。2014年12月初旬より美濃太田車両区で運用開始したキハ25-1000番台により余剰となったキハ40系6輌の内2輌が伊勢車両区に転属、玉突きでキハ48-6805が運用離脱、2014年12月中旬に浜松運輸区に廃車回送された。夏場は冷房能力不足を感じたがカミンズ350PSエンジンによる加速感は素晴らしく、国鉄時代の鈍重なキハ40系に乗車していた世代としてはその強烈な走りに度肝を抜かれた。 '10.11.3 紀勢本線 栃原-川添 P:楢井勝行
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- 2015年2月
2015年2月アーカイブ
東京寄り E311-24 E326-24 E329-24 E328-24 E325-24 E322-24 大曲寄り から成る秋田新幹線R24編成、2005年4月に新製配備された。2013年12月、E6系に置き換えられ運用離脱。E326-24 と E329-24 を山形新幹線L54編成に供出、他の4輌は廃車となった。 '13.5.18 東北新幹線 宇都宮 P:楢井勝行
立川寄り クハ115-1115 モハ115-1050+モハ114-1113 モハ115-1051+モハ114-1114 クハ115-1076 直江津寄り からなる長野総合車両センター所属の6連リニューアル車である。1978年9月新製され東北本線高崎線系統で運用される。2001年11月〜2002年3月、E231系1000番代に置き換えられ松本車両センターに転出、活躍の場を中央本線篠ノ井線などに移す。2007年3月、終の棲家となる長野総合車両センターに転属する。2015年2月2日、運用を離脱し廃車となった。写真は小淵沢駅にて小海線キハ110系と並ぶC10編成である。当時長野色の115系は趣味的に外れであり小海線ホームから編成全体を撮影しなかったことが悔やまれる。 '08.3.2 中央本線 小淵沢 P:楢井勝行
クモハ115-318+モハ114-354 サハ114-319 モハ115-348+モハ114-374 クハ115-398 鎌倉・松本寄り からなる豊田車両センター所属車である。1975年12月〜1976年6月に新製、1986年10月三鷹電車区の115系が豊田電車区に転属したおり6連となった。2000年12月松本運転所に転属し信州色となる。しかし2002年12月廃車される169系代替として豊田電車区の戻り再度山スカ色となり波動輸送に活躍する。中間車3輌は115系訓練車W2編成と共に長野総合車両センターに廃車回送された。残る3輌も訓練車として使用された後、2014年7月長野総合車両センターに廃車回送された。写真は大宮駅3番線に停車のホリデー快速鎌倉号、京浜東北線209系の姿も懐かしい。 '08.10.11 東北本線 大宮 P: 楢井勝行
1994年2月、ウラ22編成として浦和電車区に新製配備、京浜東北線で活躍する。2009年5月、E233系1000番代に置き換えられ転用改造(10連→6連、GTO→IGBT、など)を受け中原電車区に転籍、南武線で活躍する。組成は 川崎寄り クハ209-2201[23] モハ209-2201[45]+モハ208-2201[45] モハ209-2202[46]+モハ208-2202[46] クハ208-2201[23] 立川寄り である。( [ ] は旧車番を示す。)2015年2月17日、E233系8000番代に置き換えられ長野総合車両センターに廃車回送された。 '14.1.29 南武線 尻手 P:楢井勝行
1988年の阿佐海岸鉄道開業に合わせ、ASA101とともに導入された。ASA201は、車内中央にソファーが設置されて、「宝くじ号」の名前がついていた。同線はこれら2輌のどちらかが単行で運用されていたが、この写真を撮影したわずか4か月後に宍喰駅付近で事故を起こして廃車となってしまった。その後代替の元高千穂鉄道TR201を譲受するまでの間ASA101のみでの運行となり、検査時はJR四国徳島運転所のキハ40形1輌を借り入れる事態となった。 '08.2.9 阿佐海岸鉄道 甲浦 P:中村和幸
立川寄り クモハ115-307 モハ114-335 クハ115-360 松本寄り からなる豊田車両センター所属車である。1975年2月三鷹電車区に新製配備、1986年10月豊田電車区に転属する。2014年12月6日、長野総合車両センター211系の運用拡大により豊田電車区115系は運用を失う。そして2014年12月10日、115系M4編成は長野総合車両センターに廃車回送された。写真は小淵沢駅中線にて他の115系M編成を従え6連の前に立つ115系M4編成である。内装はリニューアルされているがシートピッチ拡大前に製造された115系300番台の細窓を含んだ窓配置が特徴的である。 '08.10.11 小淵沢 P:楢井勝行
1939年、川崎重工兵庫工場製。EF53を基にして蒸気発生装置を搭載した初の形式。沼津区に配置され東海道本線で活躍。一時、浜松区に転属となったが、沼津区に戻る。東海道本線全線電化を機にしたEF58の投入で、1958年宇都宮区に転属、以後は東北本線に活躍の場を移す。EF56はEF57やEF58の陰にかくれた存在で、電気暖房に改造されることなく、多客期には臨時急行先頭にも立ち往年の風格を甦らせることもあったが、次第に荷物列車専用機のような位置づけとなった。6号機はEF59に改造されることなく、1975年2月廃車となった。 '83.12.18 常磐線 隅田川 P:中川弘一
1984年7月〜10月に製造された 西武球場前寄り クハ3007 モハ3107+モハ3108 モハ3207+モハ3208 モハ3307+モハ3308 クハ3008 池袋寄り から成る3扉の8輌編成であり池袋線系統で活躍していた。2010年11月にモハ3207+モハ3208が廃車、6輌編成となり新宿線系統に転籍、主に国分寺線に活躍の場を移した。2014年11月下旬に運用を離脱、翌2014年12月中旬に近江鉄道に譲渡された。写真は堂々とした8連でありながら細々とローカル運用に付いていた3007編成の在りし日の姿である。 '09.5.13 西武鉄道 狭山線 西武球場前 P:楢井勝行
1983年の大宮―羽貫間開業に合わせて1000系として導入された車輌で、当初は4連、のちに内宿延伸と前後して6連化された。1998〜2001年にリニューアルされたが、2000系導入や老朽化などにより第11編成、第13編成に続き2012年12月26日をもって運用離脱、その後廃車。 '10.1.10 埼玉新都市交通伊奈線 鉄道博物館―加茂宮 P:中村和幸
立川寄り クモハ115-312 モハ114-346 クハ115-378 松本寄り からなる豊田車両センター所属車である。1976年1月三鷹電車区に新製配備、1986年10月豊田電車区に転属した。2014年12月6日、211系置き換えられ運用を離脱した。2015年1月21日、M3編成と共に廃車回送を兼ねた「ありがとう八トタ115系の旅 松本コース」にて花道を飾った。写真は大月駅にてM5編成と並んだM9編成である。 '08.10.11 中央本線 大月 P:楢井勝行
支線区へのコンテナ輸送を拡大のため1962年(昭和37年)度に製作した二軸貨車。登場時はチラ1だったが、1965(昭和40)年にコラ1に改称。5tコンテナ3個積み。末期は大半が北海道で運用された。1983(昭和58)年までに全車廃車となった。 '72.7.21 函館本線 森 P:中川弘一
キハ65は、急行用気動車の冷房化や出力増強を目的として1968〜1971年に製造された。四国でもまとまった数のキハ65が導入されたが、JR化後は相次いで特急に格上げや新型普通列車用車両が導入されるなどして廃車が進み、平成20年をもって定期運用から外れ、平成21年3月に廃車された。写真のキハ65 69は松山所属で最後まで運用されたうちの一輌。気動車列車の快速サンポートも2008年3月改正をもって電車化され、このシーンも過去のものとなった。 '08.3.1 予讃線 坂出 P:中村和幸
キハ58とキハ65に挟まれる形で、国鉄時代からの改造トロッコ3輌が連結されていた。「トロッコ列車」として編成は以前から完成していたが、2002年より「トロQ列車」として改め、大分〜湯布院間で運転を開始。トラの車内に設置された木の椅子は、雨の日は困難を喫したが、座ると走行中、レールからの振動がもろに伝わってくるので、ファン心をくすぐっていた。毎日のように運行されたが、乗客の減少と老朽化などで2009年11月29日に廃止された。大分車両センターで編成解体後、キハ58 569・65 36形は小倉工場で九州色には戻されず、国鉄色となり九州最後のキハ58・キハ65としてファンの注目を集めた。2002年以前のトラはレインボーで装飾されていた。キハ65 36は解体されたがキハ58 569とトロッコ3輌は保留車の扱いとなっている。 '09.3.15 久大本線 豊後国分-賀来 P:賀来正博