鉄道ホビダス

2014年5月アーカイブ

205系 H06編成

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1988年9月より横浜線で活躍してきた205系、2014年2月からE233系6000番代により置換えが始まり約170輌がインドネシアに譲渡されることになった。その第一編成として2014年5月下旬、東神奈川寄り 204-66 サハ204-106 モハ204-192+モハ205-192 サハ205-126 モハ204-191+モハ205-191 クハ205-66 八王子寄り からなるH06編成が新潟港に向けて配給回送された。 '14.1.29 横浜線 東神奈川 P:楢井勝行

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DE15形ディーゼル機関車は、DE10形をベースに開発されたラッセル式除雪機関車で、'67年〜'81年の間に58輌が製造された。除雪時には機関車の前後にラッセルヘッドを連結し、除雪期以外には入替や本線の客貨列車牽引使用も考慮し、ラッセルヘッドの連結解結作業は簡略化・省力化できるよう設計された。基本番代は6輌で最後まで活躍していた6号機も'13年11月に廃車となった。 '89.8.15 富山運転所 P:長岡行夫

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1991年3月「あさぎり」SSE3000形置換と特急化のため登場したRSE20000形7輌編成2本、この第1編成の2階建て車輌である。2階席は両車とも1人掛け/2人掛け11列のスーパーシート(グリーン席)である。1階席は、4号車サハ20151は4人用セミコンパートメントが3区画、3号車サハ20251は1人掛け/2人掛け6列のレギュラーシートである。両車のデッキ周辺にはサービスコーナー・電話室・荷物置き場が設置されている。バリアフリー対応が困難なRSE車は2012年3月に運用離脱、廃車となった。尚、2013年11月、第2編成より Mc20002+T20052+Mc20302 が富士急行に譲渡、日本車輌にて改造された。2014年夏よりフジサンキャラ50山を纏った「新・フジサン特急」として活躍予定である。 '08.6.7 御殿場線 沼津 P:楢井勝行

DD14 324

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DD14 300番代は、1966年以降に製造されたグループで、0番代の実績を基に減速機の歯車強度のアップや台車の改良等が行われ、1979年までに35輌が製造された。DD14 324は、1976年7月川崎重工業兵庫工場で製造され、小樽築港機関区へ新製配置された。同年12月には岩見沢第二機関区へ異動し、道央地区の排雪作業に活躍した。後年は2輌1組でボンネット側を連結した背合重連により運用されていた。JR北海道には分割民営化時に17輌のDD14が継承されたが、長大ローカル線の廃止や降雪量の減少、機動力の優れたモーターカーの普及等により、同形式が最後まで活躍した深名線の廃止により1996年3月までにDD14全機が全廃された。DD14324は最後まで岩見沢第二機関区(後の空知運転所)に籍を置き、1994年7月廃車され、小樽市交通記念館に保存されている。なお、空知運転所も同年10月末をもって閉鎖された。 '91.3 苗穂 P:佐々木裕治

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トマムサホロエクスプレスは、JR北海道がJR苗穂工場でに製作したジョイフルとレインで、キハ80系を改造し、車体は台枠のみを再利用して鋼体を新製、屋根を車輌限界まで上げ全面的なハイデッカー仕様としている。1987年12月から、キハ84 101+キハ83 101+キハ84102の3輌編成により、「アルファコンチネンタルエクスプレス」とともに、札幌〜トマム・新得間のリゾート列車として運行された。さらに翌年には食堂車キシ80 501、中間車キハ83 102が落成し5輌編成となった。後年、スキー客の減少などにより食堂車などを外し3輌編成に戻され、1999年から「マウントレイク編成」として緑主体の塗装となった。2002年10月運用から離脱、キシ80を除いて2004年3月廃車された。 '91.2 函館本線 白石ー苗穂 P: 佐々木裕治

2000系(2代目)なの花

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流鉄2000系(2代目)なの花は、元西武701系で1966年に製造され1997年に総武流山電鉄(現・流鉄)に譲渡されました。クモハ2005+2006からなる当列車は、13年間活躍したのち2010年より西武鉄道から譲渡された元西武101系の5000系に置き換えのため、2013年4月28日に引退した。引退当日には、前面窓上部に「惜別」、車輌前面には「哀別なの花」と西武時代の「急行 奥武蔵」に似たヘッドマークが掲出された。5000系(3代目)なの花は、同年9月より営業運転を開始している。 '14.4.28 流鉄流山線 鰭ヶ崎-小金城跡 P:須永一暉

クモハ20 100

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家の近くの鳳電車区に立ち寄った時、単車のクモハ20100があり検査上がりでピカピカなんで撮影しました。もと阪和電鉄モタ3000でRのついた窓や障子風ブラインド、化粧鋼板の内装(もっとも国鉄になってペンキ塗りになってましたが)など優雅な電車でした。クモハ20系は2890mmと国電より広幅であり魚腹台枠とあいまって自重は48tもあり、すし詰めの通勤時は甲線規格を踏み抜きそうに走ってました。通学で乗っていましたが、200馬力電動機のパワーでレールの継目の計測では120km/h位で走っていることもある、良き時代の阪和線でした。 '64.8 阪和線 鳳 P:飯田 勝

DE10 1582

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JRが発足して間もないころ、JR貨物が門司区のDE10 1582を改造し、北九州地区で入換機の無線操縦試験をした。結局無線操縦は実用化されなかったが、無人で動く機関車への注意喚起のためキャブ屋根近辺に多数の回転灯、スピーカーを設置した異端の風貌で注目を集めた。これら装備は撤去されないまま首都圏に転属し、最後は主に川崎地区を活躍の場として2008年に廃車。写真は安善駅で米タンの入換をしていたころ。 '04.2.13 鶴見線 安善 P:小西和之

オハネ14 501(500番代)

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14系500番代は、10系寝台車の老朽化対応とサービス向上を図るため、S57.11改正で余剰となった14系客車(オハネ14形17輌、スハネフ14形8輌)に暖房強化、客用扉の引戸化など北海道向けの改造を施し、昭和58年から道内の夜行急行に使用された。1993年3月急行「まりも」を特急「おおぞら」へ格上し183系気動車化を図る際、オハネ14
501・502・504の3輌が、ブレーキ管の改造や車内設備のグレードアップ、気動車に準じた灰白色ベースへの塗装変更など気動車と併結できるよう改造された。他のオハネ14は北斗星用の寝台車に改造され24系に編入されている。オハネ14 501は、昭和46年第3次債務負担により新潟鉄工所で製造されたオハネ14 66で、尾久に配置されていた。札幌運転所に転属後1983年1月旭川工場で北海道向けに改造、さらに1993年2月苗穂工場で気動車併結対応へ改造し、主に夜行特急「おおぞら(後のまりも)」で使用されたが、まりも廃止を前に2007年11月廃車された。  '93.3 釧路 P:佐々木裕治

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