鉄道ホビダス

2014年4月アーカイブ

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キハ141・142は、札沼線(学園都市線)の輸送力増強用として、JR北海道が函館本線の電車化で余剰になったオハフ51形を改造して製作された。塗装は灰色の地色にコーポレートカラーのもえぎ色を配し、客車から改造された気動車のためPDCと呼ばれている。軽量な50系客車に、直列6気筒ディーゼル機関 DMF13H(250PS/2,000rpm)の
駆動用エンジンを組合せ、キハ141には1基、キハ142には2基搭載し、台車はコイルバネ式のDT22系でキハ56系からの廃車発生品が使用されている。キハ141とキハ142は同一番号の車両を連結し、キハ141は札幌方、キハ142は石狩当別方を向いていた。キハ142-1はオハフ5145を、キハ141-1はオハフ5144を1990年2月JR釧路工場で改造された試作車で、1992年8月JR苗穂工場で量産化改造が実施された。キハ141系は、その後キハ143・キサハ144の形式が加わり総数44両となった。キハ142-1は老朽化のためキハ141-1とともに2005年3月廃車された。 '91.10 苗穂運転所 P: 佐々木裕治

485系 T16編成

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新潟向き クハ481-351 モハ485-1020+モハ484-1020 モハ485-1045+モハ484-1045 クロハ481-1011 新井向き から成る、新潟車両センター所属車である。クロハ481-1011のグリーン座席が非リニューアル、モハ485-1020+モハ484-1020がグレードアップ車で定員が少ない、このため485系T17編成と共に快速「くびき野」運用を担っていた。写真はクハ481-351を先頭にした快速「くびき野3号」である。2014年1月上旬長野総合車両センターに廃車回送されたT17編成に続き、T16編成も2014年4月中旬に秋田総合車両センターへ廃車回送された。 '09.1.15  信越本線 直江津 P:楢井勝行

キハ20 1

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1957(昭和32)年に登場したキハ20のトップナンバー。関東から九州を経て、1965(昭和40)年から三次に配置され、芸備線や福塩線などで活躍。晩年は首都圏色に塗り替えられ、1980(昭和55)年秋に廃車となった。 '71.3 芸備線管理所 P:清原正明

DD11 5

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元国鉄のDD11 5。1957年汽車製造会社大阪工場で製造(製番2760)され、呉に配置されて入換作業等に使用された。その後、1976年八戸通運への譲渡を経て、1984年には日本通運新旭川営業所へ再び譲渡された。転入後、山陽国策パルプ旭川工場の専用線でDD11 6(1981年、協三工業製、35t機)とともに使用された。工場では、ワム(後にコンテナ化)による紙出荷、硫酸・苛性ソーダ・石油類の受け入れを行っており、これらの貨物を新旭川駅で受け渡ししていた。一時期DD11 6の調子が悪く、DD11 5は予備機として配置されている。老朽化のため1990年頃DE15 2503に置き換えられ廃車された。なお、専用線も1997年9月廃止され、トラック輸送に切り替えられた。 '89.5 宗谷本線 新旭川 P:佐々木裕治

キハ40 764

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キハ40 100番代は、北海道向けの酷寒地用気動車として1977年から1982年に150輌 (101 〜250) が富士重工業および新潟鉄工所で製造された。キハ40 764は、釧路運転所に配置されていたキハ40 230を1992年10月苗穂工場でワンマン化改造し改番され、根室本線や釧網線で使用されていた。1999年映画『鉄道員』の撮影のため、作品に登場するキハ12に似せるため、側窓上部のHゴム支持化、前面パノラミックウィンドウの平窓化、前照灯の貫通路上部への設置を行う等の改装が施され、塗装もデビュー当時の朱5号とされた。撮影後の2000年夏には、富良野〜幾寅間で鉄道員のヘッドマークを付け臨時列車「ぽっぽや号」として運転された。その後は保留車とされていたが、車体改装により老朽化が進み、2005年6月廃車された。なお、先頭部はロケ地の幾寅駅前に保存されている。 '00.6.11 根室本線 幾寅 P:佐々木裕治

クハ183-1505

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1982年10月、183系最終ロット車として幕張電車区に配備されたクハ183-1500番代新製車。総武地下線を走るため運転士側前扉後部にATC機器を搭載、その部分は小窓になっている。上越新幹線開業により「とき」から房総特急に転用されたクハ183-1500番代改造車も同様の造作となっている。2005年12月、E257系500番代に置換えられ房総特急から撤退し高崎車両センターに転属した。2006年3月には大宮総合車両センターに転属、OM102編成の1号車となり波動輸送で活躍した。2013年夏より185系が本格的に波動輸送に進出、OM102編成は2013年11月に廃車となりクハ183-1505も姿を消した。 '08.1.20 上越線 石打 P:楢井勝行

伊予鉄道800系

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元京王2010系。1984〜85年にかけて3連6本が導入された。当初非冷房車だったが、のちに冷房化。当初はモハ820-サハ850-モハ810の3輌固定編成だったが、サハの高浜寄りを先頭化(京王5000系風)して2輌でも運用できるようになった。モハ810は増結車となり、連結面の貫通路が狭くなった。その後時代の流れからか、車内案内装置が取り付けられるも、元京王3000系の導入に伴い2010年までにすべて廃車。このうち4輌が銚子電鉄で再々起を果たしたが、残りの14輌は解体処分された。 '08.11.1 P:中村和幸

キハ27 501(500、550)

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札幌〜函館間の夜行バスに対抗するため、1988年キハ27形200番代4輌を改造して誕生し、同年7月から、臨時夜行快速「ミッドナイト」として運転を開始した。キハ27 501・502は、座席間隔を広げたリクライニングシートを設置したドリームカー、キハ27 551・552はカーペット敷きとしたカーペットカー、いずれの車輌も冷房化され白地に緑2号の帯とアクセントにピンクを配した塗装に変更され、ドリームカーにはミニサロンと自動販売機が、カーペットカーには女性専用区画が設けられた。改造後は函館運転所に配置され、ドリームカーとカーペットカーの2輌編成で運行された。需要増に対応するため、1990年にカーペットカー2輌が追加改造(553、554)され、多客期には3輌編成で運転され、この時定期列車化された。また、札幌地区では間に合い運用で「芦別号」などにも使用された。2000年になると老朽化のため183系気動車に置換えられ、2001年3月全車廃車された。 '96.4.29 函館本線 白石-苗穂 P:佐々木裕治

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フラノエクスプレスは、国鉄北海道総局が富良野プリンスホテルとタイアップして製作したジョイフルとレインで、1986年12月から札幌と富良野を結ぶ団体専用列車として運行を開始した。車両はキハ80系からの改造車で、キハ84 1+キハ83 1+キハ84 2の3輌からなり、中間車はハイデッカー仕様、先頭車には展望室が設けられた。翌年ラウンジカーキハ80 501が増結され、またこの年の夏には全日空とタイアップして正面の愛称表示をANAに変更、塗色も全日空の航空機と同じ色に変更し、全日空ツアー乗客向けの「ビッグスニーカートレイン」として運行された。さらに1990年1月には、キハ184 11を同色に塗色して編成に組み込み、その冬は5輌編成として需要増に対応した。その後もリゾート列車として運用されていたが、1998年に運用を離脱、2004年9月廃車された。2016年4月現在、先頭車1輌が苗穂工場に留置されている。 '90.4 函館本線 苗穂-白石 P:佐々木裕治

キハ22 701(700番代)

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キハ22は、耐寒仕様で設計された酷寒地向けの気動車で、1958年から313輌製造され北海道および東北地区の一部に投入された。JR北海道に引き継がれたキハ22のうち6輌は、1990年ワンマン化改造され、白地に青の細帯とJR北海道のコーポレートカラーのもえぎ色の帯を巻いた新塗装とされ、車番は701〜706とされた。キハ22 701は、1965年帝国車輌工業で製作され旭川運転所に配置されていたキハ22 321を苗穂工場でワンマン化改造したもので、側面にUZURAのマークが付けられて苫小牧運出所に配置され、函館本線上砂川支線で使用された。なお、これが北海道で初めてのワンマン運転であったが、老朽化のためキハ40に置き換えられ1993年に廃車された。 '90.3 苫小牧 P:佐々木裕治

クハ481-326

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1975年2月新製、金沢運転所に配備され北陸本線各特急で活躍、2003年12月京都総合運転所に転属した。写真は京キトA06編成9号車にて大阪行き「雷鳥」の最後尾を務めるクハ481-326。国鉄色と特急マークと絵入りヘッドマーク、原型を保つ伝統的な国鉄電車特急の風格が漂っていた。2010年3月には減車により京キトA06編成6号車となり、2011年3月の「雷鳥」廃止まで活躍、2011年5月に廃車となった。 '08.3.11 北陸本線 金沢 P:楢井勝行

ED79 1

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ED79は津軽海峡線の専用機関車で、青函トンネル内の連続勾配・多湿、青函用ATCといったこの区間特有の条件に対応した様々な機能が付加されている。本機は、ED75 700番代から本務機用の0番代21輌と補機用の100番代13輌の計34輌が改造された。他にJR貨物が貨物列車の増発用に50番代10輌を新製している。ED79 1は、ED75 765として1975年9月三菱電機で製造され秋田へ配置され奥羽本線・羽越線で活躍した後、1986年9月国鉄土崎工場で改造され誕生した。海峡線で客貨両用で使用され、2009年3月に廃車された。 '90.10.15 函館 P:佐々木裕治

ED79 108(100番代)

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ED79 100は、青函トンネルを走行する津軽海峡線の専用機関車で、貨物列車はED790番代+100番代の重連で運転されていた。100番代は最小限の改造とした補機専用機で、常に函館方に連結されていた。ED79 108は、ED75 724として1975年9月東芝で製造され、1987年2月国鉄苗穂工場で改造された。海峡線の貨物列車で使用された後、EH500の増備により2009年3月に廃車された。100番代では最後まで残った中の1輌である。 '05.7.17 江差線 矢不来-上磯 P:佐々木裕治

ED76 551

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海峡線の旅客列車増発に対応させるため、JR北海道では、函館本線札幌近郊の客車の電車化によって余剰となったED76514(1969年6月東芝製)を苗穂工場で改造し、1989年6月に誕生した。制御方式はED79基本番台を踏襲し、保安装置は青函用ATCを搭載、SGを撤去し電気暖房としている。当初ED76500から複数機の改造が計画されていたが、改造は551号機の1両のみとなった。ED79と車体長が異なる等特殊性故、主にトワイライトエクスプレスやエルム等特定の列車を牽引していたが、2001年3月廃車された。 '90.10.14 函館 P:佐々木裕治

183系 B63編成

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城崎方 クロハ183-803(元クハ481-209→元クロハ481-209) モハ182-709(元モハ484-212)+モハ183-813(元モハ485-108) モハ182-1801(元モハ484-1005)+モハ183-1801(元モハ485-1005) クハ183-704(元クハ481-304) 大阪京都方 からなる。モハ182-709+モハ183-813とクハ183-704は1996年3月の園部〜綾部電化時に183系化(JR西日本色)されたため、車番は白ペンキにて記載されている。2013年3月のダイヤ改正で運用離脱、2013年11月まで福知山電車区に留置された後、吹田工場へ廃車回送された。 '08.3.9 山陰本線 胡麻 P:楢井勝行

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民営化後JR貨物ではイメージアップを図る目的で機関車に試験塗装を行った。北海道支社ではDD51機関車の試験塗装機が'88年に登場し、五稜郭及び鷲別機関区に8輌配属された。しかしその後本採用に至らず、更新時期には一般塗装仕様に全て戻され、この1053号機も'02年に廃車となった。 '91.8.13 函館本線 大沼 P:長岡行夫

新幹線400系 L5編成とL3編成

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1992年7月より山形新幹線で活躍し1999年12月には新庄まで延伸した。写真は翌月からのE3系2000番台運用開始を控えた新庄駅頭端ホームから400系同士の並び、次々とファンが撮影していた。尚、右のL3編成は2010年4月にさよなら運転に充当され花道を飾った車輌である。 '08.11.22 山形新幹線 新庄 P:楢井勝行

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