'59年から長きに亘り製造されて来た1000形の後期型または最終形態とも云うべき車輌がこの五次車。基本性能は当初から変らないものの旅客サービス上のマイナーチェンジが大きな変更点で、まずは新製時から冷房装置を搭載して登場。メーカーにより形式に相違があるものの、屋根上集中式で出力36,000kcal/hを1台搭載。台車はこの次車からTH1000型ダイレクトマウント式エアサス台車を採用。主電動機は登場初年度('71)製造車18輌以外、72年度製造車から90kWにパワーアップした。
最終的に'78年までのこの次車136輌が1000形として打ち止めとなった。番号形態は編成輌数に準拠して付番されていたため複雑になっており、8輌固定は1251〜、4輌固定('74年登場)は1301〜、6輌固定が1351〜となっていたが、'78年最終増備の8輌固定は1243〜1250という四次車と間の空番を埋める形となった。
細かい改良は年次で採用されるも基本形態は変わらずに都営直通乗入れ運用から線内普通運用までこなすオールマイティーさを変らずに発揮して活躍。後年は次世代車輌が登場する中で新形式に主力の座を渡して普通運用中心に細々と活躍、最終的に残っていた車輌が、'10年6月一杯で引退、事業用車輌代用で残っていた車輌も'11年2月までに廃車となり、京急の一時期を代表した形式も消滅した。 '09.9.14 京急本線 京急鶴見-花月園前 P:梶村昭仁