国鉄からJR北海道に継承されたスハネフ14 500番代は夜行客車急行で運用されていた。1991年以降、「利尻」「大雪」「まりも」 が気動車化・特急化され、気動車併結改造されたスハネフ14 500番代を連結した。しかし道内夜行列車の削減により序々に運用を減らし、2008年8月31日臨時「まりも」廃止によりその用途を失い廃車された。 '08.8.24 函館本線 札幌 P:楢井勝行
国鉄からJR北海道に継承されたスハネフ14 500番代は夜行客車急行で運用されていた。1991年以降、「利尻」「大雪」「まりも」 が気動車化・特急化され、気動車併結改造されたスハネフ14 500番代を連結した。しかし道内夜行列車の削減により序々に運用を減らし、2008年8月31日臨時「まりも」廃止によりその用途を失い廃車された。 '08.8.24 函館本線 札幌 P:楢井勝行
14系寝台客車のディーゼル発電機付き緩急車として1971年に54輌製造。「さくら」「みずほ」など主に分割併合寝台列車に使用された。新製時は幅70㎝の3段式ベッドだったが後に2段式ベッドに改造された。1983年道内向け改造された8輌が北海道に渡っている。夜行列車の衰退により1992年から廃車が始まり2010年3月「北陸」の廃止により運用がなくなった。現在はごく一部の保留車・保存車が残るのみである。 '07.12.16 東北本線 大宮 P:楢井勝行
1989年JR東日本が新造し横浜展覧会でお披露目され、24系客車と連結され「夢空間北斗星」や団体列車で運用された。後部より、緑のオシ25-901「ダイニングカー」、赤のオハフ25-901「ラウンジカー」、青のオロネ25-901「デラックススリーパー」である。全室バスルーム装備のデラックススリーパー、オリエント急行のようなラウンジカー、車窓からの眺めが素晴らしいダイニングカー、バブル絶頂期らしく贅の限りを尽くした豪華な車輌であった。2007年10月、JR20周年を記念した「JRオールキャスト日本列島縦断・華麗なる列車の旅8日間」で花道を飾り、2008年3月品川〜盛岡の「さよなら夢空間」で営業運転を終了した。この写真は盛岡から尾久への返却回送列車を撮ったものである。現在3輌とも関東地区の商業施設・飲食店で保存されている。 '08.3.30 東北本線 福島 P:楢井勝行
JR東海キハ85系の名鉄版して1991年3月に登場、老朽化の進んだ名鉄キハ8000系を置き換えた。2001年9月「北アルプス」が廃止されると会津鉄道に移籍、「AIZUマウントエクスプレス」に使用され東武鉄道鬼怒川温泉やJR磐越西線喜多方まで乗り入れた。特急列車の設備とキハ85系同等の走行性能を有していたが会津鉄道にはいささかオーバースペックであり2010年5月に引退した。 '07.12.23 磐越西線 喜多方 P:楢井勝行
1972年貫通型クハ481-227として新製されたが、その貫通扉を使用することはなかった。転機が訪れたのは1991年、「スーパー雷鳥」基本編成4号車(方転後は7号車)に組み込まれ金沢駅での分割併結に大いに活用された。1997年9月国鉄色に戻り電気連結器を取付「しらさぎ」増結編成に転用された。2001年6月には白/青のしらさぎ専用色(通称あおさぎ色)となった。さらには2003年9月、交直切替機能停止しクハ183-203に改番、白/グレー(通称アーバン色)に塗られ福知山山陰系統に転じた。ここでも福知山駅や綾部駅での分割併結に活躍した。2011年3月新鋭287系にその任を譲り引退した。 '09.4.29 山陰本線 城崎温泉 P:楢井勝行
1937(昭和12)年川崎重工兵庫工場製。戦前から戦後にかけて仙台機関区に配置され、1949(昭和24)年会津若松機関区に転属、1955(昭和30)年旭川機関区へ。宗谷本線、函館本線を中心に活躍、末期まで生き残った。宗谷本線旭川-稚内間のロングラン運用は有名。1973(昭和48)年11月廃車。 '73.8 宗谷本線 稚内 P:中川 稔
1989年、キハ58-1038、キハ28-2505、キハ58-1039、を改造しキロ59-510・511、キロ29-506 、キロ59-511「グラシア」が登場した。2000年普通車に格下げ、2003年リニューアルされ「こがね」となった。両先頭車運転席横はラウンジとなっており抜群の前面展望を誇った。一般席は通路が片側に寄せられており、グリーン車同等のシートピッチで1人掛けと2人掛けが交互に並ぶ横3列座席であった。格下げされたあとでも横4列座席の在来線特急グリーン車より豪華でゆったりしていた。2010年12月引退、その後フィリピンに輸出された。写真は新庄発小牛田行き「ゆけむりこがね」小牛田到着後を撮ったものである。この列車の先頭車に乗車し、雪深い陸羽東線の眺めとDT22系コイルばね台車のゴツゴツした乗り心地を満喫した。 '08.1.14 東北本線 小牛田 P:楢井勝行
2008年1月で元「月山」用アコモ改造車が修学旅行色にリバイバル塗装され、仙台-新庄の快速「おもいでゆけむり」として期間限定で運行された。初めて目にする修学旅行色、東京タワーをモチーフにした大型ヘッドマークが新鮮であった。この列車の乗車したが、換装されたエンジンと出足のよい走り、座り心地のよいリクライニングシートにより、原形キハ58系とは異なった車輌に感じられた。2008年10月より運行されたキハ48系リゾートみのりにその任を譲り、2009年1月に廃車された。 '08.4.5 陸羽東線 鳴子温泉 P:楢井勝行
高山本線 富山-越中八尾 での列車増発実験のため、延命されていた最後の原型エンジン搭載キハ58+キハ28。出入口付近のロングシート化、シートモケットの濃茶色化、など一部改造もあったが、比較的原型を保っていた。
写真は引退が8日後に迫った富山駅で撮影したもので、おわら風の盆をイメージしたさよならヘッドマークを取り付けていた。夜の駅に映える急行色、カランカランと響くDMH17Hのアイドリング音、まるで国鉄時代にタイムスリップしたかのようであった。 '11.3.3 北陸本線 富山 P:楢井勝行
キハ28-2453を改造したお座敷気動車で1987年に登場した。運転席側扉を撤去、側窓を固定化、白をベースに青のストライプ、すっきりとしたスタイルが印象的であった。タブレットキャッチャーが残された貴重な車輌であったが2009年11月に引退した。 '08.10.13 山陰本線 香住 P:楢井勝行
ベイヤーピーコックの2Bテンダー蒸気機関車を追って館林機関区を訪問したのですが、庫内で小さなトロッコを発見しました。明治時代からずっと庫内で活躍していた古典貨車?ではないでしょうか。 '63.3.31 東武鉄道館林機関区 P:坂内定比古
直方駅のプラットホームからは隣接する直方機関区に出入りする蒸機を間近に見ることが出来た。停車するD60 52は、化粧煙突とパイプ煙突を足して2で割ったような特徴的な形状の煙突と共に小型の前照灯が付けられて、他のD60と違った一種独特の雰囲気を感じさせた。その煙突は磐越東線を走っていた時代に集煙装置を付けていた名残りなのだろうか。1927年6月D50 192、日立製作所笠戸工場製。1954年7月24日、浜松工場で改造D60 52となる。横手、郡山を経て1968年9月、直方に移動。以後、筑豊本線で客貨に活躍。1972年4月17日休車、同年5月1日廃車、同年6月解体。 '71.4.19 筑豊本線 直方 P:永井修二
阪急京都線の標準車2300系として1960年に登場、以来幾多の改造を経て7連は本線系、4連は嵐山線で活躍してきた。写真の2309Fは最後まで残った非表示幕編成であり、オリジナルの前面を保つ貴重な存在であった。2009年4月、4連化された6300系に置き換えられ廃車となった。 '09.3.28 阪急電鉄嵐山線 桂 P:楢井勝行
1991年、パノラマグリーン車「スーパー雷鳥」付属編成用にモハ485-200番代を先頭車化したクモハ485-200番代が登場した。改造当初は白い「スーパー雷鳥」専用色のエース特急車輌として君臨したが、後継の681系・683系に追われ流転の運命を味わうことになった。まず1997年、国鉄色に変更のうえ「しらさぎ」増結編成に転用、2001年にはパノラマグリーン車も「しらさぎ」に転用され、ともに「しらさぎ」専用色(通称あおざき色)になった。さらに2003年には「しらさぎ」からも追われ交流機器を使用停止しクモハ183-200番代に改番、ライトグレー塗装(通称アーバン色)化され山陰・福知山系統に転用された。(パノラマグリーン車は国鉄色となり「雷鳥」に復帰した。)山陰・福知山系統では主に「まいづる」に充当され、綾部駅での分割併合にその威力を発揮した。引退は2011年3月、新鋭287系モノクラス3輌編成にその任を譲った。 '09.1.18 山陰本線 綾部 P:楢井勝行
1985年、キハ184中間電源車を先頭車化しキハ183-100番代4輌が登場した。後年3輌がHET塗装され青ボウズと呼ばれた。キハ183-102もこのうちの1輌である。写真は同車が臨時「まりも」の先頭車として札幌に到着した姿。数日後の2008年8月31日に臨時「まりも」は廃止、後を追うようにキハ183-102も廃車された。 '08.8.19 函館本線 札幌 P:楢井勝行
国鉄福知山線電化時に113系初期車を改造した113系800番代が投入された。JR西日本七尾線電化時に再改造されクハ111+モハ113+クモハ112となった。2001年さらにモハ113がクモハ113に改造、ワンマン化され3800番代を名乗った。クモハ113-3800は切妻のまま運転台が設置され、旧型国電のような顔付きとなり注目を集めた。篠山口-城崎温泉で地域輸送を担ったが2008年8月新造車223系5500番代にその任を譲り引退した。 '08.3.9 福地山線 篠山口 P:楢井勝行
キハ65改造車エーデルシリーズの第一弾として1998年に登場、電化区間は485系北近畿に牽引され北近畿タンゴ鉄道には単独で自走した。KTR8000タンゴディスカバリーにその任を譲り晩年は波動輸送で活躍し、2010年3月に廃車された。エーデルシリーズではこの2輌のみ一般室側窓も座席2脚分に拡大されており、展望室一般室とも明るく開放感に溢れていた。写真は旧餘部橋梁観光用に運転された快速あまるべマリン。この列車に乗車したが、金魚鉢のような展望室は冷房の効きが弱く4月末でもかなり暑い思いをした。 '09.4.29 山陰本線 浜坂 P:楢井勝行
屋根が深い、いわゆる川造型タイプの昭和4年日本車輛で、豊川鉄道のモハ30形31として誕生した。その後国鉄に買収され、宇部線、福塩線を経て、国鉄形式1610となり、昭和31年頃廃車され、豊川分工場で更新の上、豊橋鉄道田口線へ払い下げられ、田口線の同型車モ36・モ37の続番としてモ38となった。田口線の経営が思わしくなく、昭和41年頃降圧の上、渥美線に転じ同線のモ1713となり、片運化されク2311と編成を組んだ。いつ頃からかは分からないが台車は川崎のK3を履いている。昭和61年頃編成ごと廃車された。 '62年 豊橋鉄道 高師 P:田中健吉