北海道の酷寒地向けの耐寒仕様車として新設計された車両で、1958年から製造開始され北海道及び東北地方に配属された。1963年より製作された200番代は、0番台同様に両運転台で二重窓であったが、室内灯には蛍光灯が採用され、外観色は朱色4号を基本に窓周りをクリーム4号でデユーした。後に1970年代後半からは朱色5号(首都圏色)で活躍したが、1995年までに全廃となった。 '91.8.11 室蘭本線 礼文-小幌 P:長岡行夫
北海道の酷寒地向けの耐寒仕様車として新設計された車両で、1958年から製造開始され北海道及び東北地方に配属された。1963年より製作された200番代は、0番台同様に両運転台で二重窓であったが、室内灯には蛍光灯が採用され、外観色は朱色4号を基本に窓周りをクリーム4号でデユーした。後に1970年代後半からは朱色5号(首都圏色)で活躍したが、1995年までに全廃となった。 '91.8.11 室蘭本線 礼文-小幌 P:長岡行夫