939年に長崎にやって来る前は阪急・北野線151形で、さらにその前は大阪市電と流転の歴史を刻んだ4輪単車。もともとはオープンデッキ・モニタールーフ・裾すぼまりの明治然とした車体だったが、1951年に自社工場製の車体に載せ替えた。木造車といえば側面腰板が木製の立羽目になっていて、前面や幕板は鋼板張りになっているのが多いが、本車は自社製のせいか戦後製の新製車体ながら車体は全面にわたってすべて木製で古めかしい。台車はBrill 21E。1968年廃車。 '62.7 長崎駅前 P:小西和之
939年に長崎にやって来る前は阪急・北野線151形で、さらにその前は大阪市電と流転の歴史を刻んだ4輪単車。もともとはオープンデッキ・モニタールーフ・裾すぼまりの明治然とした車体だったが、1951年に自社工場製の車体に載せ替えた。木造車といえば側面腰板が木製の立羽目になっていて、前面や幕板は鋼板張りになっているのが多いが、本車は自社製のせいか戦後製の新製車体ながら車体は全面にわたってすべて木製で古めかしい。台車はBrill 21E。1968年廃車。 '62.7 長崎駅前 P:小西和之