鉄道ホビダス

2010年4月アーカイブ

トラ30000

19810602d .jpg
1955(昭和30)年に登場した17t積み長尺用無蓋車でトラ6000と同じ車体を持つが台車は当初より2段リンク式。トップナンバーは鷹取工場の配給車代用として使用されていたため、たびたび目にすることができた。 '81.6.2 山陽本線 鷹取操車場 P:上田隆浩

キハ56形550番代

100422_kliha56.jpg
キハ56形気動車の改造で1990年に登場した。形式はキハ56形のままで550番代に改番され2輌とも普通車扱いで、主に多客時に運行されていたが1997〜1999年に順次廃車となった。 '92.5.2 礼文-小幌 P:長岡行夫

キハユニ15 1

19781211b.jpg
元は電気式気動車のキハ44000(後キハ09)。1957年から郵便荷物社に改造されキハユニ15となった。1〜4は5〜と異なりウィンドウシルとヘッダーを備えた一段上昇窓だった。写真の1号は正面が貫通式に改造されたもの。 '78.12.11 姫路 P:上田隆浩

14系800番代 浪漫

kie_100408_roman.jpg
1995年に登場した14系客車改造の6輌編成で長野支社が保有していた。この客車の特徴は青函・関門トンネル対応型となっているので、北海道から九州まで運用が可能であったことから行動範囲の広いジョイフルトレインであった。車輌の老朽化によって2007年に廃止となったが、最後の運用時にはEF58 61が牽引した。 '02.6.10 明覚-越生 P:長岡行夫

国鉄オハ35 2396

100420_oha35.jpg
オハ35客車は戦前から戦後にかけて1,300両あまりも量産されたため製造も長期にわたり、戦前製丸妻の前期型から平妻の後期型までいろいろと形態の変化があるが、その中でも目を引くのが戦前に20輌たらず製造されたノーシルノーヘッダー車だろう。輌数が多いので多くのメーカーが製造に参加したが、ノーシルノーヘッダー車は試作的な意味合いが強かったためか、いずれも国鉄工場で製造された。写真の2396は窓上端にRをつけてあるのが特徴的だが、よく見ると出入口上端にも小さなRがつけてある。シル・ヘッダーつきの車輌にはさまれているとその特異な形態が目立った。この写真は北陸本線からの大阪行き長距離ローカル列車で運用されていたときのもの。 '64.7 京都 P:小西和之

DD51 1

kie_100408_dd51.jpg
DD51機関車は国鉄幹線からの蒸気機関車廃止(無煙化)を推進するために、1962年より649輌が製造された。この1号機は第1次試作型で日立製作所が製造し、後の2号機以降と比べると全体的に丸味を帯びた車体形状で、登場時にはぶどう色2号をベースに白帯塗装されていた。その後、朱色2号ベースの新標準色となったが碓氷峠鉄道文化むらに保存されることになり、現在は、登場当初の塗装色に戻された。 '87.4 高崎機関区 P:長岡行夫

のと鉄道 NT800形

kie_100408_noto.JPG
NT800形気動車は、国鉄七尾線や能登線からの第3セクターとして設立運行を始めた「のと鉄道」が観光急行列車「のと恋路号」運転のため導入した気動車。富士重工製で2輌で1編成、ハイデッカ―構造で運転席側には視界良好なパノラマ展望を設け、側面の窓もワイドガラスを用いており広大な日本海の車窓を堪能できるようになっていた。車内の座席は転換クロスシートでした。「のと恋路号」運転終了後は、一時団体臨時列車などで活躍したが、後に廃車となった。 '04.7.31 のと鉄道能登線 珠洲 P:宮島昌之

阪神電気鉄道5151形

kie_hanshin.jpg
1500Vへの昇圧が迫った頃、不足することが予想された3輌運用の単車増結車輌として昇圧時に2輌ユニットとなる5231形をベースとして1964年に5151、5152の2輌が製造された。増結車両を主に使用されていたが、その後、3輌運用がなくなったこともあり、1形式で2輌の同形を利用し、省エネルギー化による回生ブレーキ付電機子チョッパ制御の試作車として制御改造および冷房改造が1981年に実施された。唯一ジェットカー初期世代の丸みを帯びた車体を残す存在として引き続き活躍をしていたが、1995年1月17日の阪神大震災により三宮駅3番線で被災、ホームに乗り上げて大破したことから、廃車された。阪神大震災で数少ない形式消滅車輌となった。 '94年 神戸高速鉄道 高速神戸 P:角中 武大

キハ58系 ビバウエスト

kie_100408_vivawest.jpg
'89年幡生車両所にてキハ58系気動車を改造して製作された。2輌編成、前面は非貫通形状で、助手席側には大形窓を設けて展望をよくし前面下部はスカートで覆っている。また、車体塗装はアイボリーホワイトにスカイブルーとピンクの帯を入れている。配置は小郡運転区で臨時快速列車「ブルーライナー」として運行し団体・多客臨時列車に使用されていたが'99年に廃車となった。 '90.8.13 長門二見 P:長岡行夫

kie_100408_gurasia.jpg
'89年にキハ28・58形気動車改造の3輌編成で、キロ29・59の500番代で構成されて仙台支社が保有していた。当初はグリーン車扱いだったが普通車扱いに変更し、多客臨時等に活躍し2003年に引退後は「こがね」としてリニューアルされる。 '98.8.7 和渕-前谷地 P:長岡行夫

西武鉄道B11形

kie_100408_seibu.jpg
山口線用に製造されたバッテリー機関車で同社の所沢工場で製作された。出力は11kW×2機。制動機は手用(ハンドブレーキ)のみであった。なお1987年5月14日の山口線の新交通システム化とともに廃車された。 '82.11 西武鉄道山口線 P:鈴木岳人

12・14系700番代 SER

kie_100406_reinbow.jpg
このSERは国鉄末期の'87年3月に、12・14系客車改造の7輌で紅白の色調が鮮やかな編成であった。又牽引専用電気機関車としてEF65・EF81が赤の車体に白文字で形式が書かれていた。しかしながら車輌の老朽化等により'01年に廃車となった。 '93.1 八高線 明覚─越生 P:長岡行夫

kie_100403_1yen.jpg
「1円電車」として有名だった三菱金属鉱業・明延鉱業所専用鉄道(762mm軌間)の有蓋車(中央)。この線は両駅前後のわずかな区間を除けばほとんどがトンネルで、駅は両端の神子畑、明延だけ、両駅とも北に山を背負い南に開けた配置で客の乗降も荷物の積下ろしも南側だけで行なっていた。この使用条件から南側だけに扉をもち、屋根はなんと南に高く北に低い片流れで左右非対称という、前代未聞の有蓋車が存在した。バックの建物がかぶって屋根の形状が多少わかりにくいが、鉱車の台枠に民家の庭先にあるような木製の倉庫を乗せたような、いかにも鉱山鉄道らしい車輌である。 '70.10.25 三菱鉱業明延鉱山専用鉄道 神子畑 P:小西和之

KD1303

kie_100403_kushi.jpg
この機関車は日立製作所で'69年に製作され夕張鉄道の貨物輸送に活躍していたが、'75年の廃止後は北炭清水沢専用線を経て釧路開発埠頭に譲渡された。夕張鉄道時代はボンネットには大型のツララ切を装備していたが移籍後は取り外され'99年の廃止まで活躍していた。 '95.10.12 釧路開発埠頭 P:長岡行夫

165系800番代

kie_100331_panorama.jpg
この「パノラマエクスプレスアルプス」は1987年に登場した165系電車改造の6輌編成で構成されていた。所属は八王子支社で中央本線内で運用された場合は中間に167系を増車し10輌編成で運転されたこともあり、その167系車両はアルプスと同一塗装が施された。2001年に老朽化などにより廃車され富士急行に譲渡された。 '94.5.2 青柳─すずらんの里 P:長岡行夫

コキ5500形

kie_100401_koki5500.jpg
営業運用終了直前のコキ5500型。この当時は竜王への石油貨物5282、5283列車に数輌連結されていた。タキがまだ高速化される前だったので、最高速度85㎞/hのコキ5500形でも併結できたのだが、5個積みコキを見慣れた目に隙間の大きい4個積みコンテナ車は「あれ、まだ生きている!」という感じがした。写真はTR216Aを履いたコキ28730、左に少し写っているのはTR63Fを履いたコキ28071である。4個積まれているコンテナの中央2個は国鉄時代からのC36型でこちらもほぼ絶滅状態、右のC36形(C36-1831)には左上に描かれていた赤いJNRマークを消した跡が見える。 '2004.8.12 中央本線 竜王 P:小西和之

2010年4月   

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

月別 アーカイブ