1939年に製作された銚子電鉄初のボギー電車で全長は11mに満たない(台車は1926年製のナロー車両用を改軌したもの)。1953年に半鋼製(半木製?)の車体を鋼体化改造、1966年に集電装置をポールからビューゲルに交換して使用し続けられたが、小型車故に出番が少なく後継車両の入線によりほとんどど予備車化し1999年に廃車となった。 '74.6.15 銚子-仲ノ町 P:長谷川武利
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2009年1月アーカイブ
姫路行き各停の2700系が東二見で先行する下り特急の到着をのんびりと待っていました。出発は特急が発車した後です。2700系は700系の台車と2000系の車体を組み合わせて作られ、2扉クロスシートと3扉ロングシートがありました。写真の2705は3扉ロングシートです。 ’76.3.14 東二見 P:永井修二
京津線の急行用に木造の100形機器を用いて1957(昭和32)年に製造した。当初はヘッドライトが一つで片開きであった。後にはヘッドライトは2灯、両開き扉になるなどモデルチェンジをしながらも旧形車の機器を流用しながら増備を続けた。1970年にはパンタグラフ化、更には片運化、2灯化されるなど改造されたが、晩年は石坂線で活躍した。1997年に京津線が京都市営地下鉄と相互乗り入れを開始に当たって引退した。 '66.7 浜大津付近 P:永野晴樹
111・113系車輌用の中間付随車。この車両は'69年以降増備の総武・横須賀線地下新線対応用1000番代。この内1001〜1019までが非ATC対応、非冷房車として製造。二段上昇式ユニット窓も内ばめ式で隅部にRが付く0代に準じたスタイル。写真の-1014は'70年2月汽車会社製で'69年度第二次本予算製造車8輌中の1輌。一般型と異なるのは地下線等の長大トンネル区間走行対応としてA-A基準化による車体内外の難燃化対応、WC設備の循環式設置準備工事(後、本設置)等。同車は大船区へ新製投入後、'80年10月改正で東海道本線地上区間用(国府津区)へ転出。これは本来の総武・横須賀地下区間のATC対応車両への車種統一に伴う転出であった。後、田町区との転配を行うなど終始、湘南色区間で活躍。231系の本格投入に伴う順次引退、国府津区配置の'99年10月廃車。 '87.12.20 東京 P:梶村昭仁
伊賀電鉄が、大正15年の電化に際し、川崎造船所で製造した全長8436mmの凸型電気機関車。登場以来伊賀線で使用されていたが、昭和50年に廃車。 '74.6 近鉄伊賀線 上野市 P:三津安永
'87年にAL系3850・3900形の走行機器を流用した更新吊掛車として3輌編成4本、12両がデビュー。台車にはFS107、FS13等が流用。車体は6000系五次車以降に準じながら側扉が左右対称配置に。側窓も一段下降式を採用。同時期デビューの瀬戸線用6650形とは異なる側面であった。性能は旧式でも補助電源にSIV採用、冷房搭載。車内はロングシート以外、概ね6500系と同様。豊橋方からモ3300形+モ3350形+ク2300形の2M1T。本・支線問わず活躍するも編成輌数が災いしてか晩年は小牧・築港線を中心に活躍。'03年3月末までに運用離脱、廃車。 '89.3.18 名古屋本線 名電長沢-名電赤坂 P:梶村昭仁
昭和10年に焼失したテキ8の部品を利用し翌11年3月に加藤車輌で製造された。撮影当時、福井口での入換えに使用されていた。 '74.8.22 越前本線 福井口 P:三津安永
1964年、日本初の新幹線である東海道新幹線が開業した。開業に合わせて日本初の新幹線0系が誕生。丸い鼻と丸いライトが特徴で、当時は食堂車、カフェテリア、こどもサロン、さらには映画が見られるシネマカーなど様々なサービスがあった。1999年に東海道新幹線から引退した後は、短編成化され山陽新幹線で活躍を続けてきた。しかし老朽化には勝てず、次世代新幹線の導入により2008年12月14日、40年以上に渡る活躍に幕を閉じた。0系の引退は全国ニュースで取り上げられ、鉄道ファンのみならず様々な人々から愛された車輌であると言えるだろう。 '08.10.20 新大阪 P:福田智志
伊豆急200系は開業当時から活躍をしていた100系を置き換えるために2000年にJR東日本の113系と115系を改造して導入した。登場当時は4輌編成だったが、のちに3両編成に組み替えられた。しかし元東急8000系の導入により廃車が進み、2008年12月14日のさよなら運転を最後に引退した。200系は結局わずか8年という短い期間で営業運転から離脱した短命の車輌となった。 '08.12.14 伊豆急行 伊豆急下田 P:福田智志
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元南海電鉄のモハユ751を電装解除した客車、ハニ11を福知山駅の外れで見かけたのは北丹鉄道が休止→廃止になる二ヶ月ほど前の正月でした。その後調べてみたところ、運用に就くのは朝夕のみで、昼間はここが定位置だったようです。 '71.1.4 P:坂本宜聖
丸岡鉄道から引継いだ全長8115mmの4軸電動貨車で、昭和5年加藤車輌で製造された。 '74.7.23 京福電気鉄道越前本線 勝山 P:三津安永
三国芦原電気鉄道引継の半鋼車で、全長14.6m、正面非貫通、楕円形の飾窓、オワン形ベンチレータをのせた日本車輌製。写真のホデハ12は、昭和3年12月竣工し、昭和49年11月に廃車となった。 '74.7.23 京福電気鉄道越前本線 勝山 P:三津安永
別府鉄道DD502は、1962年日立製のトルクコンバーターを装備した産業用機関車45t機である。元新日鉄D4502で、1978年に別府鉄道に入線した。別府港から山陽本線土山までの多木化学の製品輸送に活躍した。当時の編成は混合列車で、ワムの最後尾に客車ハフ7が連結されていた。別府鉄道は1984年1月31日をもって廃止された。 '83.8.11 土山 P:佐野 徹
1959年に常総筑波鉄道筑波線の観光輸送用に登場した18m2扉セミクロスシート車5両の最終車である。新製当初はキハ505を名乗っていたが、空気ばね台車装備のキハ502と車号を交換している。1963年に常総線に転出して、この時にロングシート化された。1979年に関東鉄道,筑波鉄道および鹿島鉄道に分離後は、僚機キハ501と共に関東鉄道常総線に残り1991年に廃車となった。 '74.9.16 常総鉄道常総線 下館 P:長谷川武利