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2008年4月23日アーカイブ

南海電鉄モハ1251形

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1937(昭和12)年から1938(昭和13)年にかけて高野線の50‰急勾配急曲線区間(当時高野下─極楽橋間は高野山電気鉄道)直通用に製造した15m級小型車である。これ以前の詳細は省くが、木造車の車体更新という名目で誕生した。当初の車輌はドア間が転換クロスシート、日除けにはベネッシャン式を用いる等、極めて優れた内装を誇った。高野山電鉄で実用化した回生制動を装備し、性能的にも際立った存在であった。戦時中被災したものは、戦災復旧車と称して、一段下降式窓の車体を新製、さらに戦後は同系の新製車も多数増備した。戦後展望車クハ1900を用いた特急こうや号用にスタイルの良い戦前型のモハ1251、52、54をオール転換クロスに整備の上、1952(昭和27)年より運転した(こうや号の運転開始は26年でロングシートのモハを用いた)。さらにズームカーの登場により、モハ1251形も弱め界磁率を52%に向上して高速運転にも対応した。写真は1970(昭和45)年夏、昇圧が具体化して旧型車の廃車が進展する中、ダークグリーン・ニス塗りの旧塗装の窓枠、二段シルやヘッダーにリベットを残した、奇跡とも思える未更新の1257を最後尾に、高野山に向けて発車する急行電車である。この約半年後にモハ1251形は引退した。 '70.7.15 南海難波 P:永野晴樹

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