1942(昭和17)年に汽車会社で製造され、富山に配属。戦後、備後十日市(現在の三次)に転属して芸備線で長く活躍、三次〜新見間が無煙 化される際、お別れ列車(定期客レ)を牽引した。その後は厚狭に転じて、同区で廃車となった。 '71.3 芸備線管理所 P:清原正明
1942(昭和17)年に汽車会社で製造され、富山に配属。戦後、備後十日市(現在の三次)に転属して芸備線で長く活躍、三次〜新見間が無煙 化される際、お別れ列車(定期客レ)を牽引した。その後は厚狭に転じて、同区で廃車となった。 '71.3 芸備線管理所 P:清原正明
1973年から1976年に47輌製造された2段式B寝台の緩急車である。写真はJR西日本受け持ちの日本海4号、最後尾のオハネフ25 0番代は銀帯に折り戸の原形車である。減便となるダイヤ改正4日前の姿であるがファンの姿もなく静かに大阪に向かっていった。この2008年3月15日ダイヤ改正にて寝台急行銀河も廃止となりJR西日本所属のオハネフ25 0番代は運用を消失、廃車となった。 '08.3.11 北陸本線 加賀温泉 P:楢井勝行
3000形は日比谷線開業用として1960年に製造、1961年3月28日 部分開業(南千住ー仲御徒町間3.7km)のため2輌編成でのデビューとなった。地下区間のトロリー線は剛体架線と呼ばれ、初めて見るものだった。最後は8輌編成となり1994年引退。写真は南千住着の車輌が仲御徒町行となるため、転線入換中。後ろの煙突の煙が今では懐かしく思われる。 '61.9.28 南千住 P:髙澤一昭
【ご投稿方法の変更】
システム変更による投稿フォーム不具合が改善できずご迷惑をお掛いたします。当分の間、投稿フォームを使用せず、
〔件名〕を 「消えた車輌写真館 車輌(編成)名 ご投稿者のお名前」(例:消えた車輌写真館 D51 838 山下修司)にして、
kietasyaryo@neko.co.jp
にお送りください。
■わが国鉄時代バックナンバーはこちら
■国鉄時代バックナンバーのご案内
現在『国鉄時代』はvol.1、vol.9〜21、vol.23〜25が品切れとなりました。他の巻も早めのご購入をお勧めいたします。電話でのご注文はブックサービス(株)0120-29-9625(フリーダイヤル)まで。
キハ04から1961年改造され、茅ヶ崎客貨車区に配置された。通勤時間帯に、4、3、2輌編成で使用されたが、1965年7月、改造後4年で廃車となった。引通し線はあるが、ドアエンジンはなく手動扱いだった。エンジンがないので冬は"自然冷房車"で乗車する人は、少なかった。 '62.3 相模線 寒川 P:髙澤一昭
1939(昭和14)年汽車会社で製造され、兄貴分の174号機と共に新製時から新見機関区に配属。後藤デフが装着されており、僚機とは違う印象を受ける。伯備線・芸備線・姫新線などで活躍したが、1971(昭和46)年3月の芸備線無煙化で余剰となり、同月末で廃車となった。174号機も他区所には転属せず、少し後に廃車された。 '70.10 芸備線 備後落合 P:清原正明
1965年8月7日汽車、東洋製造。東京区に配置され、ブルトレの黄金期を支えた。1978年EF65 1000番代配置により、新鶴見へ移り以後高崎二、高崎、貨高崎と貨物輸送に就き2005年廃車。写真は上り最終ブルトレ、2レ「さくら」を牽く509号機。この頃は外掃の期間が延びたのか、機関車が埃っぽいのが残念。 '69.3.23 東海道本線 平塚-茅ヶ崎 P:髙澤一昭
現存する7700系では7901Fと並び数少ないSRアンテナの配管が露出していた編成だった2015年6月15日に恩田へ廃車回送され東急の線路上から去った。 '15.2.12 東急電鉄池上線 雪谷大塚-石川台 P:田中翔貴
雑多な編成が組まれた米子行普通列車の先頭に立つキユニ18。キハ16→キハユニ18→キユニ18と改造された車輌。伯備線電化で職を失い、1982年夏に廃車となった。 '82.1 伯備線 新見 P:清原正明
1957年103、104を種車にし、連接車として誕生。75年から近代化改造が始まり、容姿が一変した。2007年引退。写真は改造前のポール集電の頃で、折返しのため運転士がポールを上げているところです。白色の円板は続行運転が行われていたため、続行列車の前後に表示し、通票も携帯する。先行列車は無表示。単独運転でも白色板は表示します。 '61.3.3 江ノ電 藤沢 P:髙澤一昭
EF58 46は、1952年10月日立製作所製造。新製配置は長岡第二機関区で、以後浜松、宮原、東京、下関を経て、1968年宮原機関区に戻り、1983年1月に廃車となるまで宮原区に所属した。晩年は僚機の44・45号機とともに、前面窓が白Hゴムに改造され、「宮原の不人気トリオ」と揶揄されたものである。写真のようなジョイフルトレインのはしりとも言えるお座敷列車を牽引しても、カメラを向けるファンは少なかった。 東海道本線 岸辺 '80.2.10 P:中司純一
弥彦寄り クモハ115-504+クモハ114-504 東三条寄り からなる新潟車両センター所属の弥彦線用ワンマン車(便所なし)である。1966年6月 モハ115-89+モハ114-89 として宇都宮運転所に新製配備された。1984年3月先頭車化改造され クモハ115-504+クモハ114-504 となり新潟運転所に配属された。1988年ワンマン化改造、1993年冷房化(SIV給電によるAU712型クーラー2基搭載)改造された。2015年3月ダイヤ改正にて運用を離脱、2015年7月13日長野総合車両センターに廃車回送された。写真は棒線の終着駅弥彦にて折り返しを待つY3編成である。弥彦神社本殿を模した駅舎と直吊りの架線と弥彦線色の115系、18切符の旅ではお馴染みの組み合わせであった。 '08.9.7 弥彦線 弥彦 P:楢井勝行
御殿場線乗入れ用として、1955年東急車輛で新製。特別準急として1968年6月30日まで運用された。御殿場線電化のためSSEと交代し同年7月1日、関東鉄道に移籍、キハ752となり1988年9月廃車。写真は1961(昭和36)年の厚木駅から新宿方を見たところで、貨車がある線路の右手は相模線と接している。左奥一面の田圃と丘の交わるところが海老名駅で、電車の着発が厚木駅から連続して見ることができた。 '61.11.12 上り「銀嶺」 小田急電鉄 小田原線 厚木 P:髙澤一昭
川崎寄り クハ205-134 モハ205-363+モハ204-363 モハ205-364+モハ204-364 クハ204-134 立川寄り から成る6連で1990年8月に中原電車区に配備された。2015年8月28日、E233系8000番代に置き換えられインドネシアへ譲渡のため新津に配給回送された。 '14.1.29 南武線 尻手 P:楢井勝行
『わが国鉄時代』vol.15原稿募集
『わが国鉄時代』vol.15の写真を下記の要領で募集いたします。
1)特集ページ
①EF58形電気機関車/国鉄当時の写真なら年代、線区、列車は問いません。広く募集いたします。
②名山と鉄道/今回は蒸機、電機、DL、電車、気動車問いません。カラー・モノクロいずれでも。
2)一般ページ:ブログ既投稿(含・未アップ)写真・ブログ未投稿写真問わず、印刷するためのデータ量の大きなスキャン画像データが必要となります。カラー・モノクロとも出力解像度350dpi/長辺の出力寸法380㎜が基準(モノクロJPGなら20MB程度)です。
3)ファイル名を「撮影日_撮影者名」にしてください。
4)WordまたはTextによるコメントを、ブログ「わが国鉄時代」を参考にお書きください。
5)上記1)・2)・3)をCD-Rに焼いてお送りださい。なおお送りいただいたCD-Rはご返却いたしておりません。次号以降で使用させていただくこともございますので予めご了承ください。
5)応募写真のプリント(普通紙のサムネールで結構です)を同封してください。
未アップ、未投稿のものも合わせて、奮ってご投稿くださいますようお願い申し上げます。点数の制限はありません。採否は編集部にご一任いただきます。
■宛先:〒153-8545 東京都目黒区下目黒2-23-18 目黒山手通ビル
株式会社ネコ・パブリッシング 国鉄時代編集部 「わが国鉄時代」係
■締切:2015年9月15日(火)(必着)
【ブログ投稿方法の変更】
システム変更による投稿フォーム不具合が改善できずご迷惑をお掛いたします。当分の間、投稿フォームを使用せず、
〔件名〕を 「わが国鉄時代 線区名 ご投稿者のお名前」(例:わが国鉄時代 函館本線 山下修司)にして、
kokutetsu@neko.co.jp
にお送りください。
■わが国鉄時代バックナンバーはこちら
■国鉄時代バックナンバーのご案内
現在『国鉄時代』はvol.1、vol.9〜21、vol.23〜25が品切れとなりました。他の巻も早めのご購入をお勧めいたします。電話でのご注文はブックサービス(株)0120-29-9625(フリーダイヤル)まで。