1947年、三菱重工業三原工場製、電装は三菱電機。新製配置は東京区。その後、沼津区・浜松区に配置され、1954年と東京区に戻る。1955年9月に日立製の新車体に交換。1957年浜松区。1964〜65年、宇都宮運転所に貸し出され東北本線で活躍。1965年、下関運転所に転属し1975年に広島運転所に転属、1979年廃車となった。 '75.2.9 大阪 P:山下修司
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- 2015年4月
2015年4月アーカイブ
1989年2月美濃太田車両区に新製配備された寒地向け便所なし車である。後に伊勢車両区に転属し活躍の場を紀勢本線・参宮線・名松線に移す。美濃大田車両区に配備・転属されたキハ25系・キハ75系により余剰となった検査期間の残るキハ11-100番代に置き換えられ2015年4月ミャンマーに譲渡されることになった。写真は櫛田川を渡るキハ11-112+キハ11-10の普通列車、キハ11-112は多気寄りに連結されている。 '10.11.29 紀勢本線 徳和-多気 P:楢井勝行
1989年2月美濃太田車両区に新製配備された寒地向け便所無し車である。後に伊勢車両区に転属し活躍の場を紀勢本線・参宮線・名松線に移す。写真は山深い伊勢奥津駅に停車中のキハ11-111である。この後2009年10月、台風18号の被害により家城〜伊勢奥津が不通となった。運転再開は2016年春になる予定である。しかしキハ11-111は2015年4月ミャンマーに譲渡されることになった。よって再びキハ11-111が伊勢奥津駅に姿を現すことはなくなった。 '08.12.14 名松線 伊勢奥津 P:楢井勝行
空気バネDT44系台車を装備する寒地向け便所付きのキハ48-513として1979年7月美濃太田機関区に新製配備された。JR化後床下搭載型による冷房化改造を受けた。1998年5月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-5505に改番された。1999年伊勢車両区に転属、活躍の場を紀勢本線・参宮線に移した。2000年12月ワンマン化、キハ48-5805に改番された。2015年4月初旬、美濃太田車両区より検査期間が長く残るキハ48が転属、余剰となったキハ48-5805はミャンマーに譲渡されることになった。 '10.11.2 紀勢本線 阿曽-伊勢柏崎 P:楢井勝行
1940年川崎重工兵庫工場製。EF56 12。新製配置は沼津。東海道本線で使用され、1958年宇都宮区に転属。東北本線に活躍の場を移す。1972年3月にEF59 24に改造され、瀬野八越えの補機運用につく。1979年8月廃車。EF59のラストナンバーで、角型車体のEF56を改造した唯一の機関車。写真は急行荷物列車の補機を務め、走行解放、八本松で瀬野に下るべく待機する場面。大分行き下り特急「みどり1号」が傍らを駆け抜ける。 '75.3.9 山陽本線 八本松 P:山下修司
1946年1月日本車輌名古屋工場製。新製配置は米子区。戦後製ながら、デフ、ドームの構造などを簡略化した戦時仕様である。その後、今市(→出雲市)支区から福知山区→新宮区→伊勢区と移り、1960年に新見区に配置、1962年津山区に転属している。写真は津山線の637レを牽引し備前原を発車したところ。1971年3月、津山線・吉備線の無煙化により奈良運転所に転出、1972年に会津若松区に移動し1973年に廃車となっている。 1970.9.15 P:山下修司
1982年2月水戸機関区に新製配備されたキハ47基本番代(暖地向け便所付き)車である。1990年3月所属が常陸大子運輸区となる。1991年10月新潟運転所に転属、その直後の1991年11月に気動車検修部門ごと新津運輸区に移管された。2013年8月、原型エンジンの非冷房車であったため廃車となった。なお、キハ47-1129とキハ47-1130とは同時期に新製され配属先から転属先、そして廃車も同時であった。 '11.5.4 磐越西線 喜多方-山都 P:楢井勝行
1957年東芝府中工場製。新製配置は東京機関区。特急塗色になって、ブルートレインを始めとする東海道・山陽本線の優等列車などに活躍。前端梁に電源車制御用のジャンパカプラーが取り付けられている。1963年宮原区に転属、その後下関区→広島区と移る。ブレーキを改造された20系に対応するため空気関連装備を改造(元空気溜め管ホースの増設)いわゆる"P改造"され、関西発着の九州ブルトレの牽引など再び華々しい活躍を見せた。1975年3月新幹線博多開業を機に行われた九州方面の夜行列車削減により、宇都宮運転所に転属、東北本線に活躍の場を移す。1983年6月廃車。 '74.5.3 山陽本線 瀬野-八本松 22レ「あかつき7号」 P:山下修司
1947年日立製作所水戸工場製。沼津区→浜松区に配置され東海道本線で使用、1952年に高崎二区に転属、1954年に再び浜松区に戻り、箱型車体から流線形車体に交換。ほんの一時東京区の所属となるも、1957年まで浜松区に所属、その後、高崎二区への貸し出し→下関運転所を経て1968年より古巣の浜松区に配置され、1980年2月に廃車となるまで東海道・山陽本線で活躍した。写真は急行「音戸2号」を牽引し岡山に停車している場面。 '75.2.2 P:山下修司
川崎寄り クハ205-139 モハ205-375+モハ204-375 モハ205-376+モハ204-376 クハ204-139 立川寄り から成る6連で1990年9月に中原電車区に配備された。南武線に1989年2月から新製投入された205系の最終編成(16本目)である。この後(2002年9月以降)投入されるは他線区(山手線16本、横浜線1本)からの転入車である。E233系8000番台配備により2014年10月中旬に運用を離脱、2014年12月下旬に長野総合車両センターに回送され南武線生え抜き205系としては初の廃車となった。 '08.2.9 南武線 川崎 P:楢井勝行