立川寄り クモハ115-304 モハ114-332 クハ115-354 松本寄り からなる豊田車両センター所属車である。1975年2月三鷹電車区に新製配備、1986年10月豊田電車区に転属、山スカのヌシ的存在であった。2014年12月中央東線に転じた211系に置き換えられ長野総合車両センターに廃車回送された。写真は山スカ集う大月駅にて6連の先頭に立つM1編成である。 '08.11.11 大月 P:楢井勝行
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2014年12月アーカイブ
川崎寄り クハ205-1204 モハ205-28+モハ204-28 モハ205-30+モハ204-30 クハ204-1204 立川寄り から成る6連で中原電車区に所属していた。モハ4輌は1985年8月製造、クハ2輌はサハ205として1985年11月製造、山手線で活躍した。2004年2月、E231系500番代投入により南武線に転入、サハ205を先頭車改造した。E233系8000番代配備により2014年11月初旬に運用を離脱し長野総合車両センターに回送され南武線205系初の廃車となった。 '14.1.29 南武線 尻手 P:楢井勝行
1973年2月クハ481-234として新製、向日町運転所に配備される。山陽新幹線博多延伸により1975年3月南福岡電車区に転属し九州島内に活躍の場を移す。1986年11月鹿児島運転所に転属、1987年11月半室グリーン車に改造されクロハ481-4となり、1988年3月南福岡電車区に復帰する。783系・787系・883系・885系の台頭により博多地区の運用を失い2001年3月鹿児島総合運転所に転属、日豊本線別府〜西鹿児島にて地味な運用に従事した。2011年3月九州新幹線全通により余剰となった783系・787系にその任を譲り保留車となり2012年12月廃車された。写真はDk12編成1号車として活躍するクロハ481-4。前面貫通扉が埋められ扉レールも撤去されていたが、赤い車体と特急マークが誇らしげに陽光を浴びていた。 '09.5.1 宮崎空港 P:楢井勝行
東神奈川寄り クハ204-68 サハ204-108 モハ204-196+モハ205-196 サハ205-128 モハ204-195+モハ205-195 クハ205-68 八王子寄り から成る鎌倉車両センター所属の205系H08編成、1988年11月初旬に製造され横浜線で活躍する。E233系6000番代配備により2014年4月末に一旦運用を離脱、その後2014年7月下旬まで運用復帰と離脱を繰り返す。2014年10月、インドネシアに譲渡される20本目の編成として新津まで配給回送された。 '14.1.19 横浜線 東神奈川 P:楢井勝行
北海道用の車輌でキハ21が種車で、20系気動車改造で形式変更が行われた唯一のもの。1969(昭和44)年に2輌が誕生している。キハ21 26→キユニ21 1、キハ21 35→キユニ21。遠軽に配置されたが後に深川に転属。 '73.8 留萌本線 峠下 P:佐藤直幸
1952(昭和27)年に製作された国鉄最初の総括制御の電気式気動車キハ44000形(→キハ09)を液体式に改造、全車15輌がキハユニとなった。これとは別に液体式気動車キハ44500形(→キハ15)からの改造もあり、キハ44000(→キハ09)=キハユニ15 1〜15、キハ44500(→キハ15)=キハユニ15 16〜19となっている。湘南タイプの前面が特徴だが、うち4輌(1・4・11・16)が貫通型に改造された。写真のキハユニ15 7はキハ09 7を1958(昭和33)年に小倉工場で改造したもので、配置区は厚狭機関区。1975(昭和50)年に廃車となっている。 山陰本線 仙崎 '74.3.18 P:中川一郎
2015年3月改正で全車引退予定の711系だが、初めての交流電車として初期の試作車S-901・S-902編成の果たした役割は大きい。写真はまだ1M1Tで運用されていた頃のS-901編成。同編成は1962年汽車会社製で客用扉は4枚折戸両開き式、客室窓は16mm厚複層ガラス2段式のユニット窓だったが、客用扉は1970年に1枚引き戸に改造されている。1999年10月に運用を終了、廃車となった。 '71.8 函館本線 美唄 P:佐藤直幸
51形客車は、50系客車の北海道用のグループで、客室の窓を小型の一段上昇式二重窓とし、車軸発電機をベルト駆動からギア駆動に変更する等の酷寒地対策が施されている。1978年から1982年にかけてオハ51形62輌(オハ511〜62)、緩急車のオハフ51形68輌(オハフ511〜68)の合計130輌が製造された。このうちオハ51 41は、札幌圏のラッシュ対策として車体中央に客用扉が増設された。車体中央に客用扉と客室との仕切り扉を増設して3扉化し、客室を前後2室に分けた他、増設扉周辺の座席をロングシートに変更していた。改造は、改造は1輌でのみで、3扉化は711系電車の一部で施工され、この形態は721系に踏襲された。オハ51 41は1994年(平成6年)に廃車された。 '94.9 岩見沢 P:佐々木裕治
1960年3月、三菱重工三原工場/三菱電機。1次量産車。福島二区に配置され、1983年4月に廃車となる。 1982.5 東北本線 貝田〜越河 P:山下修司
1972年、茶屋町〜児島間の廃止にともない、単行ワンマン運転が可能な電車を、ということでクハ23を電装改造して1973年誕生した。元になったクハ23は1954年帝国車輌で新製されたもの。1001は日中の閑散な時間帯に使用され、通勤時間帯はモハ103+クハ24が運用についていた。1983年から落書き電車「赤いクレパス号」として運行、外装・内装とも落書きまみれの姿で1990年12月31日の廃止まで活躍。旧下津井駅跡に保存されている。 '76.3.24 琴海〜鷲羽山 P:山下修司
キ750形は、駅や操車場の構内を除雪するために製造されたキ700形広幅雪かき車(ジョルダン車)を近代化改造して誕生した。改造は、台車の交換、翼の駆動を油圧式とし、形状はディーゼルエンジンを積んで箱型となった。1979年から1983年にかけて苗穂工場で8両(キ750〜757)が誕生したが、1993年までに廃車された。 '87.3 苗穂 P:佐々木裕治
700系2次車として1999年6月新製、当初は「のぞみ」で活躍するもN700系配備により「ひかり」「こだま」運用に移り、2014年1月に廃車となった。写真は岐阜羽島寄りの引き上げ線より夕刻の名古屋駅14番線に入線する700系C8編成である。この後、名古屋発東京行き「こだま676号 」として運行、ゆったり寛げる「ぷらっとこだまグリーン」にて2時間50分の旅を楽しんだ。 '13.5.13 東海道新幹線 名古屋 P:楢井勝行