鉄道ホビダス

2014年7月アーカイブ

マヤ10 2001

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1967年 日本車輌製の車輌性能試験車。屋根上にAU12形冷房装置と低屋根部分にパンタグラフが取り付けられている。1987年に廃車となっている。 '79.8.5 池袋 P:中静政信

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元国鉄2649号(B6形)で、1905年にアメリカ・ボールドウィンで製造(Baldwin26541)された。国鉄時代に手宮・岩見沢・札幌・旭川などで活躍し1935年に廃車。1940年明治製糖(後の日本甜菜製糖士別工場)へ譲渡された後、1967年6月三美運輸に入線。国鉄南美唄支線(3.0km)の終点、南美唄から1.2kmの位置に三美運輸専用線があり、その終端の石炭積込場でB6形が入換に活躍していた。1973年3月三美鉱業の閉山にともない同線が廃止、1号も廃車された。 '73.1.9 三井美唄 P:佐々木裕治

クロハ481-1011

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1976年2月、481系1000番代初ロットとしてクハ481-1003が新製、秋田運転区に配備された。1985年3月青森運転所に転属、1987年11月クロハ481-1011に改造される。1992年7月南秋田運転所に転属、その後1997年3月上沼垂運転所に転属する。2006年5月からは6連化された快速「くびき野」にて、T16編成1号車(運転席側半室がグリーン指定席、乗降扉側半室が普通指定席)で活躍する。「いなほ」E653系1000番台化により老朽化した485系は順時引退、T16編成クロハ481-1011も2014年4月中旬廃車となった。 '09.1.15 信越本線 直江津 P:楢井勝行

クモハユ74001

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1969年にモハ72形から3輌がクモハユ74として改造。1号機のみクモハ74001として落成。後に再改造され3輌が同一構造となった。主に房総地区で活躍したが、1981年頃までに3輌共に廃車となっている。 '69.6 大崎 P:中静政信

キハ21 61

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キハ21は、キハ20形に耐寒装備を盛り込み寒地向けとして製造された車輌で、1957年に84輌が製造され、主に北海道および東北地区で使用された。外観は、キハ20形0番代とほとんど変わらない。寒冷地向けの装備として、客室窓の二重窓化、運転台へのデフロスタの設置、床下機器の耐寒・耐雪装備が施された。デッキがないため冬期の客室内の温度維持に問題があり、翌年からキハ22へ製造が移行された。ローカル線の廃止やキハ40形の増備とともない1982年までに運用を離れ、1983年に全車廃車された。 '77.8 函館本線 札幌 P:佐々木裕治

クハ115-188

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1966年に製造されたクハ115-188。国鉄末期に静岡区に転入し,同区のS8編成としてクモハ115-1523+モハ114-1171のユニットの下り方先頭車に組み込まれた。JR化後に分散型クーラーによる冷房改造を受けた。JR東海に在籍していた115系S編成の下り方先頭車は,このS8編成を除き全てがサハ115-0を先頭車化改造したクハ115-600であったため,0番台であり,かつ大型原形前照灯を保っていた同車は非常に貴重な存在だった。2006年12月に313系の増備に伴い,廃車・解体された。 '05.8.13 静岡 P:佐藤雅孝

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300番代は1966年から1967年に83両製造された。基本番代との相違は、減速機の歯車の不調(歯の欠損や食い込み)を改善するために歯車のモジュールを、DD51系と同様に11から14へ変更を図った。歯車などの変更に伴い台車が新たに設定され、従来の台車とは互換性がなくなり既存機と区分するため300番代が設定された。 '83.3.27 茅ヶ崎機関区 P:長岡行夫

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1987年3月に国鉄民営化目前に14系種車を大宮工場、東急車輌にて改造、4号車オロ12715を組成、若者向け鉄道旅行ターゲット目的でなおかつ斬新なデザインの欧風客車として登場。1987年〜1990年4月までミスレインボーが乗務、団体列車他繁忙期には多客臨「レインボー会津路」、「シュプールレインボー信越」などにも運転された専用指定機も併せて登場老朽化のため、12系和式客車江戸とともに2000年3月31日で引退後解体されている。 '97.7 信越本線 群馬八幡-安中 P:安田好一

キハ33 1002

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このキハ33、阪神淡路大震災の2日前に撮影したもの。キハ40が初代鬼太郎列車となり話題になったころである。キハ33は1988年、余剰となったオハ50を改造したもので、現在も四国で活躍するキハ32とほぼ同様のDMF13HSエンジンを1基積んでいる。しかし、コストがかさんだため、1000番代2輌の改造にとどまった。米子運転所に所属し主に境線で運用され、1002はキハ33専用色(アイボリーに青帯)→鳥列車→鬼太郎列車と塗色が変わった。境線の運用から外れると、首都圏色に変更、鳥取鉄道部西鳥取車両支部に転属して予備車となり、2010年3月に廃車された。 '95.1.15 境線 境港 P:中村和幸

東京地下鉄01系 01-131F

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東京地下鉄01系は、1983年に量産先行車が登場した車輌で、これまでの地下鉄の車輌とは異なる斬新なデザインにより、古臭いという従来の銀座線のイメージを一新した。最終的には38編成まで製造され、新たな銀座線の顔として活躍していたが、2代目1000系の導入による置き換えが始まり現在も廃車が進んでいる。画像の第31編成は、01系で初めて廃車された編成である。 '12.3.12 東京メトロ銀座線 新橋 P:厚木貴匡

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12系客車を種車に改造した和式客車で、外観は欧州デザインを採用した6輌編成のお座敷列車である。改造工場は大宮及び郡山工場で行われ、1987年1月に落成し仙台鉄道管理局配属された。国鉄分割民営化後はJR東日本に承継され活躍していたが、車輌の老朽化に伴い2000年11月に廃車となった。 '90.1 東北本線 矢板-片岡 P:長岡 行夫

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1987年12月より小田急の新たなロマンスカーとして走り出した10000形HiSE車。10041 X 11 は1989年6月に増備されたHiSE車第3編成である。展望席は前席より50mm段差を設け、一般席は高床構造とした。抜群の眺望を誇ったがバリアフリー対応が困難なため、2005年8月に第2編成と第4編成が廃車、4輌編成に短縮のうえ長野電鉄に譲渡された。第1編成と第3編成はその後も運用されたが、第3編成は2011年6月に廃車、第1編成も2012年3月のダイヤ改正で引退した。 '08.5.25 小田急電鉄 小田原線 '08.5.25 P:楢井勝行

西日本鉄道 100形モ110

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1941年に17輌製造された九州鉄道100形、車長15.6mの2扉車である。数回の改造・他系列からの組込みと一部の宮地岳線への転出により、1968年以降は Mc+M+Tc 5本が西鉄大牟田線系統で運用された。これらは1975年から1984年に廃車された。写真は夕刻の大宰府駅に停車するモ110+モ112+ク155。貝塚線開業90周年記念として2014年5月23日〜2015年1月24日に旧塗装で運行されその後廃車される予定の313形、その大先輩を修学旅行で大宰府天満宮を訪れた際に撮影していた。尚、手ブレと劣化したネガから修復・補正したため不鮮明な写りはご容赦願いたい。 '81.11.13 西日本鉄道 太宰府 P:楢井勝行

クハ103-1

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山手線に投入され,京浜東北線,大阪環状線,阪和線と渡り歩いたクハ103-1。阪和線ではかつての相棒クハ103-2と同じ編成に組み込まれ,活躍した。2010年6月頃には助手席側の前面窓の下に"1"の車番が入れられていたが、車番は程なくして消去された。その後も活躍が続いたが,翌年2011年3月に廃車となった。 '10.6.4 津久野 P:佐藤雅孝

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DD51 750

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1972年1月新製、稲沢第一機関区に配備される。国鉄分割民営化の際にはJR貨物に引き継がれ愛知機関区所属となる。現役で残る500番台の最若番機として人気を集めた。2009年4月吹田機関区に転属、城東貨物線で活躍するが一年も経たずして2010年3月門司機関区に転属した。(その後、2011年3月に城東貨物線牽引機は電気機関車化された。)活躍の場を岡見貨物に移したが、自然災害や三隅発電所トラブルによる運休も多かった。2013年7月下旬の山口島根豪雨で山口線と山陰本線が被災、岡見貨物は運休となりその後2014年3月ダイヤ改正で廃止となった。役目を失ったDD51 750は門司機関区に留置されていたが2014年6月廃車解体となった。 '08.10.12 紀勢本線 多気 P:楢井勝行

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