キハ35系気動車の老朽化に伴い、'86年〜'87年にかけてキハ35系を種車として国鉄工場にて製造され、主要部品の流用とバス用部品の多用を図り軽量化と製造コスト抑制を図っている。製造車輌数はトイレなしの1000番代が3輌、トイレ付きの0番代が4輌の7輌で全車輌が八高線に投入された。その後八高線から久留里線へ転属となり活躍していたが、キハE130形に置き換えられ廃止形式となった。 '86.9 八高線 金子-東飯能 P:長岡行夫
キハ35系気動車の老朽化に伴い、'86年〜'87年にかけてキハ35系を種車として国鉄工場にて製造され、主要部品の流用とバス用部品の多用を図り軽量化と製造コスト抑制を図っている。製造車輌数はトイレなしの1000番代が3輌、トイレ付きの0番代が4輌の7輌で全車輌が八高線に投入された。その後八高線から久留里線へ転属となり活躍していたが、キハE130形に置き換えられ廃止形式となった。 '86.9 八高線 金子-東飯能 P:長岡行夫