1964年〜1973年に製造された阪急京都本線用元特急車(McTMTc+McTMTc 7本)である。新製当初は2扉セミクロスシート(車端部ロングシート・扉間転換クロスシート)で京阪1900系と競い、京阪3000系登場により1971年からは冷房取付改造が行われた。後継となる6300系の配備により1976年〜1979年格下げ改造(3扉化・オールロングシート化)を受けた。写真は2815を先頭に8連で急行に活躍する姿である。後にT車を抜いて7連化、余剰となったT車は神戸線宝塚線他系列に組み込まれた。なお、京都線2305FにはM車2輌T車1輌が組み込まれた。1988年より廃車が始まり1995年には編成としての2800系は消滅した。他系列に組み込まれていた中間車も2001年には全て廃車となり2800系は系列消滅となった。 '78.3 阪急京都本線 大山崎-長岡天神 P:楢井勝行
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1961年に鹿児島本線門司港-久留米間が交流電化される際に門司駅構内も交流電化され、下関寄りにある関門トンネル入り口付近にデッドセクションを設置して電気的に分割することになったため、下関 - 門司間を直通する客車・貨物列車の牽引には双方の電化方式に対応する交直流電気機関車が必要となり、開発・製造されたのが本形式。世界初の量産交直流電気機関車である。EF81 300番代と共に東京・関西から九州へ渡るブルートレインの牽引役として長らく活躍したが、JR移行後の1987年に全機がその役目を終えた。 '83.7.29 門司 P:熊谷孝志
DF50 30
スルザー8LDA25A(1,060馬力)により発電し100kWモーター6個を駆動する電気式ディーゼル機関車である。1958年11月新三菱重工にて製造、大分機関区に配属される。1959年6月亀山機関区に転属、その後長きにわたり紀勢本線で客貨双方を牽引し活躍する。しかし1978年10月紀勢西線電化や紀勢東線多気〜新宮間へのDD51投入により1980年4月廃車となった。 当時紀勢東線多気以南で見られる機関車はこのDF50のみ、沿線住民からは親しみを込めて「赤釜」と呼ばれていた。DF50が牽引する下り旧型客車の最前部デッキから見える赤い機関車。ディーゼル音と共に微かに聞こえるモーター音を聞いて、電化路線への憧れを抱いていた少年期を思い出す。 '78.3 紀勢本線 栃原 P:楢井勝行
国鉄の勾配路線であった信越本線碓氷峠越え区間に直通する列車の牽引用に開発された直流機である。1962年から1969年までに合計54輌が製造され、車両の特徴として台車重量の軽量化と軸重移動の抑制を目的に3軸台車を採用した。84年には貨物輸送の廃止による余剰車は、東海道線の荷物列車で活躍したが、国鉄分割民営化までには廃車された。民営化後は6輌が継承されたが、碓氷峠区間の廃止に伴い1999年1月に全廃となった。 '90.4 信越本線 黒井 P:長岡行夫
1988年5月〜8月にJR東日本各車両工場で製造されたクモハ107+クハ106から成る107系0番代8編成。165系から台車、電装品(歯車比は5.60に変更)、クハ106用AU13E分散型クーラーを流用している。両開き3扉の車体にロングシート、クハ106にはトイレを装備する。小山電車区に配備され日光線で活躍した。老朽化により205系600番代にその任を譲り2013年3月ダイヤ改正で引退した。写真のN2編成(クモハ107-2+クハ106-2)は1988年5月大宮工場で製造、パンダグラフ1基で登場し1998年霜取り用パンダグラフが増設された。塗装は公募により選ばれ、白地に緑色のNラインを配していた。2008年3月日光駅舎のエンブレムとデザインマーク(神橋)の貼り付け、2009年3月レトロ調ツートン塗装に変更された。2013年6月に廃車となった。 '09.3.27 東北本線 宇都宮 P:楢井勝行
しなの鉄道 169系 S52編成
1968年9月製造の169系3本が1997年10月しなの鉄道開業に伴い移籍した。S52編成は、長野方 クハ169-19 モハ168-6 クモハ169-6 から成る。赤と銀のしなの鉄道色から2008年9月〜2009年3月と2010年9月〜廃車まで湘南色に復元、イベント列車にも充当され人気を博した。2013年3月定期運用から離脱、2013年4月さよなら運転を持って引退、2013年7月下旬クモハ169-6のみ軽井沢駅に保存、他2輌は長野総合車両センターに送られ廃車となった。写真は堂々9輌編成の「しなのサンライズ」先頭に立つS52編成である。長野まで約一時間、新幹線より転用された回転クロスシートに座って全盛期を思わせる走りっぷりを楽しんだ。 '10.12.17 小諸 P:楢井勝行
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