鉄道ホビダス

2013年6月アーカイブ

クハ481-246

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583系に準じた前面貫通型のクハ481-200番代は63輌製造された。ボンネット型クハ481に対し定員は8名増の64名である。写真のクハ481-246は1973年8月新製、向日町運転所に配備された。1975年3月南福岡電車区に転属、その後JR九州所属となり前面貫通扉は埋められた。1990年1月「赤いかもめ」となり注目を集めるが、1995年4月に鹿児島運転所へ転属し「緑のきりしま」となり、2000年3月にはカラフルな「きりしま&ひゅうが」となり、2006年3月に大分車両センターに転属した。2011年3月、九州新幹線全通により日豊本線に転じた787系にその任を譲り鹿児島総合車両所で保留車となった。その後2013年1月に廃車された。 '09.5.2 日豊本線 大分 P:楢井勝行

103系 3000番代

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'85年9月に川越線の電化に伴い、かつて仙石線で走っていた72系車輌を種車に台車枠と機器を使用して改造を行なった。改造は当時の国鉄工場で施工され、5編成が誕生し活躍したが老朽化により205系・209系への置換えで、2005年にすべて廃車となった。 '04.1.3 川越線 高麗川-武蔵高萩 P:長岡行夫

489系 H02編成

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長野新幹線開業により上越線経由の急行「能登」とホームライナーに活躍の場を移したJR西日本金沢総合運転所所属の白山色489系。2002年には国鉄色に復元、毎日首都圏を走る原型ボンネット型クハが人気を博した。しかし2010年3月ダイヤ改正で急行「能登」は臨時列車化、489系は運用を失い引退した。写真のH02編成は定期最終上り「能登」に充当、翌日には団体臨時列車「リバイバルとき」として上野から新潟まで運転、その後金沢総合運転所に返却された。2010年5月、保留されていた489系3編成の中では最も早く廃車となった。 '08.12.31 直江津 P:楢井勝行

88651

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88651は国内向けに製造された8620形蒸気機関車の最終号機。初号機(8620)が登場してから、実に15年後の製造である。車歴によると、新製後は九州に配属、戦後の長い時期を中国地方で過ごした。福塩線の貨物列車廃止に伴ない、弘前に転属し、五能線を最後に廃車となった。 '70.4  芸備線管理所 P:清原正明

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釧網本線の活性化と、釧路湿原への観光列車として、旧型客車スハフ422245、貨車トラ71422、ヨ4350を改造して「くしろ湿原ノロッコ号」として1989年6月24日から運転を開始した。機関車はDE15 2508を客車と同じクリームをベースにJR北海道の黄緑、ブルーの帯を巻き、釧路湿原に生息しているタンチョウの頭と同じ赤を屋根に配していた。
1998年に新型客車に置き換えられ機関車、客車は廃車された。 '90.7.17 釧網本線 塘路 P:藤村巌雄

DD51 832

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1971年1月吹田第一機関区に新製配備される。1988年3月稲沢機関区に転属、1994年5月発足した愛知機関区所属となり、関西本線・紀勢本線などで活躍した。東日本大震災の翌月、被災地に石油を輸送する臨時石油輸送列車の牽引に各地からDD51が集められた。急勾配と曲線が続く磐越西線を走るDD51 832、紀勢貨物でお馴染みの機体が遠い東北の地で頑張っていた。震災当日より生活することが精一杯で鉄道写真どころではなかったあの頃、撮影を再開するきっかけなったのがこの磐越石油臨貨であった。2011年4月中旬、東北本線の復旧に伴いその任を終了し愛知機関区に帰区した。しかしATF-PFを装備していなかったため2011年末には休車となり翌2012年2月に廃車解体された。 '11.4.9  磐梯町―東長原 P:楢井勝行

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1963年4月から1965年9月にかけて製造された11400系の増結用Tcで12輌が在籍していた。自車用のMGとCPを搭載、しして10100系ビスタカーとの連結用(相手方はモ10300)にジャンパ栓を装備している。1969年5月にはMc-Mc'15ユニットに対し不足していた3輌の増結用Tcク11520(車体は12200系に類似)が増備された。この写真は Tc+Tc+Mc-Mc'+Mc-Mc' の6輌編成となっている。1980年7月から1982年7月に3輌固定編成化・車体更新改造を受け前面行先表示器の取付と連結面側乗降扉の撤去・客室化が行われた。その後老朽化のため後継22000系にその任を譲り1997年3月に廃形式となった。 '77.8 近畿日本鉄道山田線 松阪 P:楢井勝行

キハ55

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キハ55は準急気動車用に開発された、2エンジン搭載車輌で1956年から60年にかけて216輌(1〜46・101〜270)が製造された。当初の塗色は全体を淡い黄色とし、雨樋と窓下に細い赤帯であったが、後の特急形電車同様に、クリーム色に窓部は朱色に変更されたが、のちにはキハ58系と共通した急行気動車色に移行した。晩年はローカル線で普通列車としての活躍も見られ、JRには引き継がれることなく国鉄時代に廃車となった。 '80.12 磐越東線 要田-三春 P:長岡 行夫

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新幹線に多くの乗客を奪われた名阪ノンストップ特急を立て直すため、シートピッチ980mmのリクライニングシートや軽食を販売するスナックコーナーを設けた12000系2連10本が1967年12月に登場した。本形式で採用された、180kw電動機、カバー付き貫通扉、埋込式前照灯、一体配置の標識灯尾灯、などが近鉄特急の標準となり1988年アーバンライナーが登場するまで長らく装備された。パンダグラフは連結面1基だったが運転台側にも1基増設された。事故廃車の2本を除いた8本が1983年10月〜1985年7月に車体更新され休止していたスナックコーナーは車販基地となった。晩年は名伊乙特急で運用され2000年8月のさよなら運転を最後に引退した。尚、スナックコーナーのコンセプトは時を経て観光特急「しまかぜ」で復活した。 '77.11 近鉄山田線 宇治山田 P:楢井勝行

JR西日本 183系 B65編成

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城崎方 クロハ183-805(元クハ481-205) モハ182-711(元モハ484-240)+モハ183-815(元モハ485-137) モハ182-1802(元モハ484-1006)+モハ183-1802(元モハ485-1006) クハ183-703(元クハ481-339) 大阪京都方 からなる。両先頭車は1986年10月の城崎電化時より、M'1802+M1802ユニットは1991年1月より、「北近畿」で運用された。M'711+M815ユニットは1996年3月の園部〜綾部電化時より「きのさき」「はしだて」などで運用された。2003年10月〜2004年3月に編成替えされ、国鉄色6輌のB65編成となった。2013年3月のダイヤ改正で運用離脱、団体列車「なつかしの北近畿」号で花道を飾ったのち廃車された。 '09.1.18 山陰本線 綾部 P:楢井勝行

東急電鉄 デワ3041

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昔は大手私鉄でも荷物電車が活躍していた。東急東横線にも荷物電車が走っており、先日廃止された渋谷地上駅の桜木町寄りに、荷物電車専用の短いホームと引き込み線があった。戦後、木造荷電モニ13012を改造。1964(昭和39)年、デワ1366の車体を譲り受け鋼体化、両運転台への改装、中扉の拡張などの改造が加えられた。デワ3043の登場により廃車となった。 '78.5.10 東急東横線 代官山 P: 住吉 誠

DD51 1082

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1974年5月小樽築港機関区に新製配備される。1986年11月鷲別機関区に転属、1987年4月国鉄分割民営化時にはJR貨物の所属となった。1997年3月B更新工事を受けエンジンがコマツ製SA12V170-1に換装され、同時に五稜郭機関区に転属となった。1999年4月には鷲別機関区に復帰した。後継のDF200の増備により老朽化したDD51 1082は2011年9月廃車となった。 '08.8.23 函館本線 岩見沢 P:楢井勝行


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DD51 1188

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1977年7月福知山機関区に新製配備される。1990年3月米子運転所に転属、1997年3月発足した後藤総合運転所の所属となり、山陰地区の客車列車牽引に活躍する。2006年3月寝台特急「出雲」の廃止により花形運用を失う。そして2007年10月JR貨物に移籍し愛知機関区所属となり、2009年4月には吹田機関区に転属する。2011年4月には東日本大震災の被災地に石油を輸送する臨時石油輸送列車を牽引した。2012年3月に廃車となり姿を消した。 '11.4.9  磐越西線 山都―荻野 P:楢井勝行

クハネ581-28

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1968年8月南福岡電車区に新製配備、山陽新幹線が全通した1975年3月向日町運転所に転属する。この間、関西〜九州の寝台特急や間合いの昼行特急で活躍した。1985年3月からは夜行急行「きたぐに」と北陸特急臨時便で運用された。JR西日本に引き継がれた583系は10輌編成6本の陣容でありクハネ581-28はB02編成の大阪寄に連結された。写真は「きたぐに」10号車自由席で新津駅に停車中の姿である。2012年3月の「きたぐに」定期運転終了により583系は7輌編成3本にまで縮小された。幸いにもクハネ581-28はB05編成の大阪寄りに連結され臨時「きたぐに」で最後の活躍をする。しかし2013年1月で臨時「きたぐに」も運行を終了、B05編成は廃車となりクハネ581-28も姿を消した。 '08.9.7 信越本線 新津 P:楢井勝行

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