鉄道ホビダス

2011年5月アーカイブ

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'91年に登場したラッシュ対策用多扉車輌の京王版とも云うべき車輌。6000系列の一員として5輌編成4本が登場した編成のうち、23Fと24Fを、'00年1〜3月に掛けて5→4扉化改造した。車体は5扉時代の縦長の一段下降窓に沿って正方形に近い側窓を増設。この為窓配置が不規則な変則なスタイルに。編成は登場当初の3M2Tのままで運用され、6400形と組んで7輌編成などで活躍するも、晩年は改造車同士で10輌編成を組んで、主に優等列車中心に活躍。6000系車輌淘汰の中でこれらの車輌も対象となっていたことからオリジナル車輌と共に'09年に10輌揃って廃車となった。 '05.8.17 明大前-京王下高井戸 P:梶村昭仁

ED16 18

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ED16 18号機は1931年8月15日に川崎重工兵庫工場で製造されました。1931年8月30日に水上機関区に配属となり上越線の貨物列車の牽引に活躍しました。1945年12月に国府津区久里浜支区へ、また1959年4月19日には西国立(立川)機関区に転属となり、以降は青梅線・南武線の貨物列車の牽引に活躍し1983年7月16日に廃車されました。 '81.9.27 立川機関区 P:鈴木岳人

EF55 1

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1936年に3輌製造された。車体の片側(1次側)は流線形で、反対側(2次側)は切妻で運転台設備は設置されているが、常に1次側を先頭に運転されていた。車輌は1964年までに廃車となり、1号機は教習用として保存されていた。その後機関車展示会などでの人気を得て動態復元を行いイベント列車の牽引に活躍したが、老朽化もあって2008年のさよなら運転が実施された。 '98.10.10 信越本線 横川 P:長岡行夫

東京都交通局 7500形

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'62年に日本車輛と新潟鉄工所で各10輌、計20両が製造。この内、'77年の荒川線近代化(ワンマン運転化)時に引継がれた16輌のうち、車体老朽化と冷房搭載による旅客サービス向上を図るべく、'84〜'87年に掛け13輌が車体更新された。走り装置は旧車体時代から引継がれ、吊掛式ながら間接非自動制御、電制常用、60kw主電動機2基搭載。車体色も当時の都バス冷房車輌と同様にグリーンとアイボリー系カラーとし、7000形更新車のイメージと旧車体の7500形の前面イメージを併せ持ったスタイル。冷房化に際し、空調用・制御電源用にはVVVF及びCVCFインバーターを搭載。更新後、集電装置の変更(ビューゲル→菱型パンタ、Zパンタ化等)など細かな部分以外は更新当時のスタイルで活躍していたが、走行機器や車体の老朽化も目立ち、荒川線向けの新型車輌の投入により、唯一、7510号が事業用車(花電車用)に改造されて残存する以外、'11年3月までに旅客用車輌としては引退となった。 '88.12.11 荒川線 王子駅前-飛鳥山 P:梶村昭仁

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急行列車用として用いられていたキハ65を、冬季の「シュプール号」に使用するため、1989年に改造された車輌である。シーズン以外は多客臨にも利用され、2編成4輌が在籍し塗装は第一編成が白に水色とグリーンのライン、第二編成が白に黄色と水色のラインであったが老朽化に伴い'10年10月に廃車となった。 '92.8.12 糸魚川運転区 P:長岡行夫

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'72年から製造されていた主力形式であったが、80年代以降の旺盛な沿線人口増大に伴うラッシュ対策の一環として登場した多扉車輌。従来、20m4扉車体車体両端部の側引扉を基準に5扉車体とした。車体は側窓一段下降式ながらやや幅の狭いユニット式を採用、普通鋼ながら強度向上のため戸袋窓が廃止された。走り装置、基本性能は従来通りであり、登場当初は他の編成と組み、新宿方に連結されて活躍。3M2Tの5両編成が4本、20両が登場。しかし5扉車5輌編成ゆえ、座席数減少を理由に使い勝手が悪く、'00年に2編成において編成の組替を実施し、5輌2本を4輌(22F)、6輌(21F)の各編成に組成替え。また残り5輌2本は同年中に、4扉改造された(23F・24F)。5扉車で残った編成のうち、21Fは相模原線用ローカル運用を中心に、22Fはワンマン化のうえ動物園線用として外板にラッピングを施され活躍。このうち、本来の5扉車で残っていた20番代車輌で、6輌編成の21Fは'07年に、4輌編成の22Fは'11年3月に運用離脱、廃車となった。 '94.12.23 京王本線 京王調布-布田 P:梶村昭仁

キハ58 1114

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キハ58 1114は、現役のキハ58の中で、最後まで残ったパノラミックウィンドウ車。暖地形の車両で、製造後は福知山運転所に所属していたが、1999年に高岡鉄道部に転属。その後、北陸地域を点々とし、晩年は富山鉄道部に所属する。2006年より、高山本線富山〜越中八尾間の列車増発実験に使用されていたが、2011年3月のダイヤ改正で、定期運用を終了した。 '10.8.19 高山本線 富山 P:有木裕一

秩父鉄道 デキ1

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秩父鉄道が電化時に輸入した日本最初の本線用電気機関車である。ウェスチングハウス・ボールドウィン1922年製で、同じメーカーがほぼ同時に製作していた輸入サンプル電機ED10より日本への到着が早く、技術習得用に鉄道省・大井工場で組み立てられたという経緯をもつ。この後、同じメーカーから同形機が私鉄に供給され、さらに国産のコピー機も多数製造されたが、すべてひとまわり小型・小出力であり、私鉄凸電としては大型だった。石灰石輸送のベルトコンベア化により貨物輸送が減少したため、このデキ4は1984年に廃車。 '81.11.14 秩父 P:小西和之

南海電鉄 阪堺線 モ301

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阪堺線モ301形はモ151、161形の制御器を間接多段式に変更して生まれた形式で、連結可能であったが制御器の異なるモ161形とは連結できなかった。のちに連結器を撤去したため、151、161、301形は区別ができなくなったが、写真の時点では連結器・ジャンパ受けを装備している。濃緑にニス色が夕陽に映えるこの301号は元モ161形173(初代・戦災復旧車)。モ301形は2000年までに全廃。 '65.8.12 姫松 P:小西和之

キハ58系「こがね」

gurasia.jpg仙台支社が保有していた「グラシア」引退車輌を、2003年に洋風気動車にリニューアルして登場したキハ58系気動車の3輌編成。「こがね」の愛称は「黄金街道」のイメージから名づけられ、外観はゴールドが基調の外装色となった。主に臨時快速列車「こがねふかひれ号」として運転され、2010年に老朽化に伴い廃車となった。 '05.4.29 石巻線 上涌谷-小牛田 P:長岡行夫

EF15 112

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EF15 112号機は1954年8月7日に東芝府中工場で製造されました。同年8月に新鶴見機関区に配属となり首都圏の貨物列車の牽引に活躍しました。1980年10月28日に立川機関区に転属となり、以降は青梅線・南武線の貨物列車の牽引に活躍し1983年8月5日に廃車されました。なお同機は1983年6月26日に運転された中央線初狩駅のスイッチバックを体験するイベント列車の牽引機に抜擢されています。 '81.9.27 立川機関区 P:鈴木岳人

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