1934年7月の京阪神地区の吹田-須磨間の電化開業用として製造された車輌。本車は1950年頃まで京阪神地区で使用され後、横須賀線・伊東線へ転出、その後、1957年に宇部区に移り、宇部・小野田線で使用された。1981年の105系投入時に小野田線本山支線用として使用されることになり、生き残ったが、クモハ42005は他2輌と異なり、JRに引き継がれることなく、1987年に廃車された。 '85.3 小野田線 雀田 P:角中武大
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12系800番代 やすらぎ
12系客車をベースに国鉄大宮工場で改造され、JR誕生寸前の1987年3月に製作された。所属は先行で配属された「くつろぎ」と同じく、高崎地区を中心とした団体列車として活躍し、'01年3月で廃車後はわたらせ鉄道に一部譲渡された。 '00.4.23 明覚-越生 P:長岡行夫
京成電鉄モニ22(モニ20形)
1974年に大栄車輌にて製造された無蓋電動貨車。21・22の2輌。片運転台のモニ10(1968年製)が片運転台なのに対し、同車は両運転台となっている。京成電鉄最後の吊り掛け車となった。2007年3月廃車。 '07.2.17 京成電鉄本線市川真間 P:吉野泰宏
DE11 1901
この機関車は番号が示すとおり低騒音対応の試作車で1974年に製造され、排気音の低減のために運転席床下に排気消音器を設置し、また運転室に冷風装置がDLでは初めて搭載された。製造はこの1輌のみにとどまり、西湘貨物駅の入換えに使用された。2000年に廃車となっ後は、高碕運輸に売却された。 '02.8.12 高崎貨物(タ) '02.8.12 P:長岡行夫
近畿日本鉄道 820系
1961年〜1962年に800系(正面2枚窓、4連編成)の増備車として2連x8本が製造された中型車。当初は800系とともに奈良線特急に活躍したが、1970年代には大型車に押し出される形で生駒線などの支線区にも進出、更に1984年以降は伊賀線(現・伊賀鉄道)に860系として転出。以来、四半世紀にわたり活躍を続けてきたが、同線にも2009年末にもと東急1000系の200系(車内の一部には京阪9000系発生品のクロスシートを装備!)が導入され、今後の動向が気がかりな系列となってきた。 '80.6 P:清水祥史
DE11 18
このDE11は本線運用と入換に開発されたDE10に対して、入換用に特化したものがDE11形である。DE11には基本番台65輌の他に1000・1900・2000番代が誕生し製造車両数は116両輌で、現在も(1000・2000番台)11輌が首都圏で活躍してる。 '86.3 P:長岡行夫
DE10 538
DE10 500番代SGなしの量産タイプで74輌(501〜574番)製造された。この写真は大宮機関区所属機で川越線及び八高線寄居〜拝島間のセメント材料となる石灰岩運搬を、96時代からの業務を引き継いだ。 DE10 538 '78.1 八高線 毛呂-高麗川 P:長岡行夫
DD51 16
幹線・亜幹線の標準機ともいうべきDD51は649輌製作された。この16号機はDD51の基礎を固めたとされる3次型の1輌で、車体塗装やラジエターカバーの取付穴形状等が大きく異なっている。製造メーカが現在の「三菱重工業」の前身である「新三菱重工業」製で、このメーカーズプレートを装着していたのは649輌中でたった6輌であった。 '80.5 磐越西線 日出谷 P:長岡行夫
名古屋鉄道 7100系
いわずと知れた、前面展望電車の元祖、7000系の九次車である、中間車7050形の'75年増備車モ7101〜7112から'84年、モ7101とモ7104を先頭車化改造した車輌。中間車時代は7000系の6輌化用に組込まれていたが、それら編成が特急車整備(いわゆる白帯車)化で捻出された車輌を急行系(SR)車輌運用の増強も兼ね、モ7101+モ7102+モ7103+モ7104の4輌一編成として組成した。この次車の特徴としてラッシュ対策を目的に側引扉1300mm幅両開扉採用。運転台は6000系近似のスタイル。中間車からの改造のため、側配置が先頭、中間とも左右対称のスタイル。7000系の特徴である連続窓は種車から健在で、急行系とはいえ、優等系列車を中心に活躍するも、'87年以降中間車が再び7000系6輌化用に転用され、以降先頭車のみの2輌編成で活躍。'01年に7700系共に三河線ワンマン改造が行われ、ほぼ同線固定運用となった。7000系に組込まれたモ7102とモ7103が'08年に引退、残った先頭車2輌も'09年11月を以て運用離脱、廃車。 '87.3.16 名古屋本線 国府 P:梶村昭仁
DE10 5
本線用ディーゼル機関車のDD51に対して支線の小運転及び入換えを目的に製作されたDE10は、世界的にも珍しい5動軸駆動が採用され十数年間で708輌製造され国内では最も多く製作された形式である。現在では0・500番代は消滅し1000番代が活躍中で、この若番5号機は新製配属地は一関で米子・遠軽・深川と移り、郡山で一生を終えた。 '86.5.2 会津若松 P:長岡行夫
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