1963年11月、汽車製造大阪工場で製造。電装は東洋電機。新製配置は東京機関区で、東海道・山陽本線でブルートレイン牽引の任につく。EF65 500番代にブルトレ牽引の任を譲った後は、貨物列車中心に活躍。新鶴見→広島→浜松→八王子→高崎二→竜華→梅小路と転属、JR西日本に継承され梅小路→宮原と移りJR西日本宮原総合車両所で保管されていたが、2008年11月に解体された。 ’86.3.9 竜華操車場 P:小森克禎
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1957年から1959年にかけて19輌が量産された旧国鉄最初の幹線用交流電気機関車である。新製配置時から一貫して敦賀第二機関区に所属し、北陸本線の田村-糸魚川間で主として旅客列車用に活躍した。本形式は重連使用で貨物運用にも充当する計画であったが、この仕業には後に誕生したEF70が単機牽引で当たることになった。登場時には前面貫通扉付であったが後年は写真のように溶接密閉化された。このED70 5号機は1975年4月に廃車となっている。 '74.11.3 北陸本線 福井 P:長谷川武利
京福電鉄叡山線デナ500形
もと阪神の831形で昭和3年より製造された急行用電車である。昭和39年までに廃車となり、そのうち10輌が叡山線に入線した。当初はポール集電で、さらに京阪京津線で不要となったスライダー・シューのポールに取り替え、晩年はパンタグラフに改造された。デオ600形に機器を譲る形で廃車が始まり、最終的には昭和57年夏の踏切事故によってすべての運用は終了した。 '74.12 修学院 P:永野晴樹
阪神電気鉄道 8701系
'86年旧3801・.3901形8輌のうち、'74年製Tc3903+M3803+M'3804(大阪方ユニット)と'77年製M3805+M'3806+Tc3906(神戸方ユニット)を6両編成として組成、Tc車8901形、M車8801形、M'車8701形に改番。性能は旧形式から踏襲、三菱製ABFM直並列抵抗制御、制動は西大阪線難波延長計画線規格に基づき連続こう配区間対応に発電・抑速制動併用HSC-D式。主電動機は直流直巻式平行カルダン駆動式。出力は130Kwにアップ。台車は初のエアサスS型ミンデン式FS090・FS390採用。種車の関係でTc8902は車体長が100mm長く、神戸方ユニットは新製時から側・正面字幕が標準であったが、大阪方は改造設置のため、印象が仔細に異る。阪神線急行系運用にて活躍も、難波延長線計画に近鉄線乗入が加わった為、新形式投入と1系列1編成の異端車故、'08年11月以降運用離脱、'09年02月中旬に廃車、解体。ひっそりと消滅。 '05.12.25 阪神本線 阪神甲子園─鳴尾 P:梶村昭仁
伊豆箱根鉄道 モハ1007+モハ1008+クハ2004
'71年登場同形4次車かつ最終製造車。西武所沢工製で当時の西武701・801系類似デザイン車輌。性能は吊掛駆動で台車・制御器等は旧国鉄払下げ品の流用車。車体色も西武色のウオームベージュ+ローズレッドのツートン。車内は固定式セミクロスシート、側窓配置もそれに準じた配置に。後年西武701系列のFS342台車を流用、カルダン化。ただし非冷房のまま終始し、後継冷房付新車と交替、'02年までに引退。 '90.4.9 駿豆線 三島二日町─大場 P:梶村昭仁
営団地下鉄2000形
営団地下鉄(現東京メトロ)丸ノ内線の分岐線(中野坂上〜方南町間)開業から使用していた100形の置き換え用として昭和43年に銀座線から10輌(2031〜2040)転属してきた、転属に際し500形等より車体幅が200mm狭いのでステップを取り付け2輌編成5本に組成して使用された、写真の時点ではほぼ原型で前照灯1灯、行き先幕も銀座線のまま、この10輌は昭和34年銀座線に最初に配属させたグループで台車は金属バネのFS323、その後前照灯の2灯化、行き先幕の更新、さらに昭和56年に分岐線輸送力増強の為銀座線から8輌(台車は空気バネのFS331)が転属となり3輌編成6本に組成された、平成5年になり銀座線の同型車が廃車されるのと同時に廃車され本線500形(1輌は300形)を3輌編成6本とし使用されたが平成8年になると分岐線専用02系が登場するとこれら500形等も廃車された。写真の2040号車は片側に運転台を取り付け銚子電鉄の1002号車として健在である。 '73年頃 方南町 P:田中健吉
京王電鉄2000系 他
1983年に引退し、その後、伊予鉄道に譲渡された2000系。1963年に導入され、1996年営業運転を終了後、富士急行や一畑電鉄、高松琴平電鉄等の地方私鉄で活躍中の名車5000系など、京王電鉄のかつての主力電車が桜上水電車区に一堂に会した1970年4月のスト決行中の一コマ。 '70.4 京王線 桜上水 P:中浦秀和
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