鉄道ホビダス

2008年1月アーカイブ

第一セメント No.2

daiichi_semento%20.jpg
奥多摩から青梅線・南武線経由で浜川崎に到着した石灰石は第一セメントの専用線にて工場へ運ばれていた。その専用線の入換用機関車No2は日立製で、貨車のような台車がアクセントで、撮影時にはすでに小松のエンジンに換装されていた。専用線は1998年8月に廃止されている。(許可を得て撮影) '84.7.14 第一セメント専用線 P:佐野 徹

モ1300形

1301.jpg
昔の近鉄大阪線と言えば、参宮急行電鉄の2200系が有名であるが、大阪近郊区間は大軌の路線だったのでモ1300形は近郊区間の通勤用として誕生した20m車である。33‰の急勾配にそなえて200馬力のモーターを装備した。2200系に比べスマートさには若干欠けるものの、豪快な姿には隠れた人気があった。 '66.11 近鉄大阪線二上─下田 P:永野晴樹

鹿島鉄道DD13

kashima_dd13.jpg
鹿島鉄道は1985(昭和60)年と1987(昭和62)年に国鉄よりDD13形ディーゼル機関車2輌を購入した、塗装以外は大きな変更も無く百里基地への燃料輸送等に活躍したが、燃料輸送がトラックへ切り替わったために役目を失い、平成15年4月に2輌とも中国に譲渡された。 '03.4 石岡 P:深山剛志

新潟交通 クハ39

FH020011.jpg
新潟交通クハ39は昭和2年製の西武鉄道クハ1214を昭和37年に購入した、塗装以外はほとんど変わらない姿で、新潟交通では数少ない3扉車として、朝のラッシュ時に威力を発揮した。しかし、他の車輌より老朽化が進んだため昭和60年に引退した。 '80.6 県庁前付近 P:深山剛志

スエ38 8 救援車

38_8_7406.jpg

1959(昭和34)年に旧型客車の下回りを利用して車体更新により誕生したカニ38 1を、1969(昭和44)年に改造したものである。カニ38 1は、種車のマロネ37 341(1929年製造時)を、カニ改造時に“巻上げシャッター式荷物扉”を両側に5か所ずつ備えた10系軽量客車似の車体に更新した1形式1輌の珍車であり、主に東海道筋で使用された。救援車に改造後は、佐倉客貨車区に配置されていたが、1981(昭和56)年同区廃止時に廃車となった。 '74.6 総武本線 佐倉 P:長谷川武利

名古屋鉄道 8800系

9503-8800-3B%20.jpg
1984(昭和59)年暮に南知多観光特急専用をコンセプトに2輌2本が登場。車体は伝統のパノラマスタイルながらハイデッカ構造を初採用。機器は7000系から流用。観光用豪華特急車から公募で「パノラマDX」と云う愛称に。団体使用を考慮した2・4人室セミコンパートメント座席とし、当初はデラックス特急座席指定料金を設定。'87年2本、'89年に中間サ8850形増備で3輌編成に。晩年は3本が一般特急化改造で座席もリクライニング座席へ。車体・機器の老朽化等で'05年1月末で全車引退、消滅した。 '95.3 西尾線 米津〜桜町前 P:梶村昭仁

111系 関西線快速色

rail588.jpg
1962年から2001年にかけて活躍した近郊型電車が111系である。その車体塗色は当初、今も他系列で見られる「横須賀色」と「湘南色」に限られていたが、1970年代に入ると徐々に各地で独自の塗色が見られるようになり始めた。この塗色は「関西線快速色」と呼ばれたもので、1973年10月の関西本線 湊町(現・JR難波)-奈良間の電化の際に、阪和線快速色につづく‘塗色バリエーション第二弾’として登場した。主に大阪環状線-関西本線直通快速として活躍を続けたが、1990年代半ばには後継の221系「大和路快速」にバトンを渡し、この塗装の車両も姿を消した。写真はヘッドマークが登場時のものよりやや小型のものとなった1980年代の姿。 '85.10 大阪環状線 桜ノ宮 P:清水祥史

伊予鉄道 110形

iyotetsu113.jpg
伊予鉄道110形は西武鉄道の1929(昭和4)年製151形を横河原線電化用に所沢工場で1967(昭和42)年に車体更新の上、購入した。戦前の川崎造船所特有の深い屋根に厚い腰板とお椀型ベンチレータを乗せたいわゆる川造型の3扉車で8輌が伊予鉄道に入り平成6年まで活躍した。 '82.8 伊予鉄道 P:深山剛志

高松琴平電鉄 67

kotoden%20.jpg
元、宮城電気鉄道のサハ302形を譲受し1965(昭和40)年に鋼体化したその際に電動車になり60形の67になった。元の木造車の骨組を生かして鋼体化したため、鋼体化後も木造車の雰囲気が残っていた。その後は大きな改造も無く2003(平成15)年まで活躍した。 '82.8 瓦町 P:深山剛志

相模鉄道 5000系

STK5000.jpg
1955年〜1960年にわたって20輌が製造された相模鉄道最初の新造車輌である。直角カルダン駆動の台車、床下機器まで覆った鋼製モノコック構造の車体とボディマウント方式のぎ装は、当時流行の湘南顔と複雑な塗りわけと相まって旧型、雑型の車両群に新風を吹き込んだ。1次車4輌は17m車体であったが2次車より18mに延長され、2輌固定であった編成も4次車で中間電動車4両を製作して4両編成も登場した。1972年〜1975年にかけてアルミ車体の5100系(当時)に更新されて姿を消した。 '73.2.4 相模鉄道 西谷-鶴ヶ峰 P:長谷川武利

秩父鉄道3000系

FH000021.jpg

平成4年にそれまで使用していた300系に代わる急行用車輌として国鉄165系を譲受し3000系として3連3本が登場した、内1編成はAU12型クーラーを装備した少数派でした。急行「秩父路」として活躍したが平成18年10月に西武新101系を2扉クロスシートに改装した6000系にバトンを譲った。 '05.10 秩父鉄道 熊谷 P:深山剛志

国鉄183系0番代

881223.jpg
'72〜'75年に掛け、房総・北総各線特急列車用として174輌製造。特急用貫通構造採用も始発駅、東京が地下新線による非常脱出用の役目も。旅客サービスから普通車に簡易リクライングシート、側扉2扉等を初採用。この番代の特徴にM(モハ183形)車にパンタグラフ搭載。波動輸送考慮で、パンタ取付部低屋根化、信越線碓氷峠通過対策の所謂、横軽対策も装備。晩年まで赤とクリームの旧国鉄色を堅持し活躍するも経年と新形式登場で順次引退。'06年5月までに全車廃車。 ’88.12.23 総武本線 物井─佐倉 P:梶村昭仁


■お立ち台通信単行本化のお知らせ

お立ち台通信投稿フォームの制限の容量を増やしました。ファイル送信に関し、ご迷惑をおかけいたしました。文字は投稿フォームに直接記入せず、テキストで保存し、コピー&ペーストでフォームに入力することをお勧めいたします。

ご愛顧いただいております「お立ち台通信」の単行本を企画しております。製作にあたっては印刷品質の画像が必要となります。WEB、雑誌掲載ともにこれまでご投稿いただきました方で単行本への掲載ご希望の方は、メールの件名を「お立ち台通信単行本/線区名/駅間」として下記のアドレスに、350dpi/出力寸法左右150㎜(=2.5MB程度/縦版の場合は天地150㎜)で、画像をご送信ください。メール本文には郵便番号、ご住所、お名前、ガイドの内容で現在までに変更となっているケースがあればその旨お書き添えください。2008年1月15日(火)締切。

宛先はこちら
ado.jpg
※迷惑メール対策で画像とさせていただいております。


また、単行本への新規の撮影地のご投稿は通常のお立ち台通信投稿フォームでお待ちしています。その際も、350dpi/出力寸法左右150㎜(=2.5MB程度/縦版の場合は天地150㎜)でお送りください。2008年1月15日(火)締切。


国鉄時代vol.12好評発売中! 詳細はこちら>

東武鉄道 5070系

881127%20.jpg
5050系製造の後を受けた'84年6月から'86年3月までに製造。旧78系の経年順に更新が行われていたが、'60〜'61年に製造の最終増備車7870形が主な種車。又6両固定編成とされた為、5070系と別けられた。特徴は中間に入る5400形がクハ→サハに、5500形が運転台の無いモハに形式変更。又種車の制御器を流用、MMC系→ES567系に。更新はアルナ・津覇・富士重で実施。当時の野田線に近代化(大型化と冷房化促進等)で全車投入。活躍するも吊掛け駆動等の走行機器の保守に手が掛ると同時に6両固定故、他線転用が難しく、8000系転入で代替が始まり、'04年に運用離脱、引退。 '88.11.27 野田線 岩槻─七里 P:梶村昭仁

2008年1月   

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

月別 アーカイブ