
1963(昭和38)年に汽車会社で製造された。DD51形と同じDML61S形エンジン1基と液体式変速機1基を搭載。田端に配置されハンプの押し上げなどに使用されたが、後に、新潟地区に移り、ロータリー式除雪車DD53の補機として用いられた。試作的要素が色濃く2号機とは大きく形態が違う。’86年3月廃車。 ’84.11.29 新津機関区 P:宮村昭男

1963(昭和38)年に汽車会社で製造された。DD51形と同じDML61S形エンジン1基と液体式変速機1基を搭載。田端に配置されハンプの押し上げなどに使用されたが、後に、新潟地区に移り、ロータリー式除雪車DD53の補機として用いられた。試作的要素が色濃く2号機とは大きく形態が違う。’86年3月廃車。 ’84.11.29 新津機関区 P:宮村昭男

埼玉県北部の東武伊勢崎線羽生駅から高崎線熊谷駅を介し秩父山脈のどん詰りの三峰口間約72km余りの中小民鉄。写真の100形はオリジナル車両として1950年から新製及旧型車両更新も含めて13両が在籍。18.8m級2扉ながら車内はオールロング座席。当初は両運転台であったが、同時に製造されたクハ60形(車体は3扉)、クハニ20形、クハユ30形等も在籍していた。旧国鉄・JRから旧101系車両と順次代替が行われて1988年6月までに引退した。 ’83.1.6 羽生 P:梶村昭仁
