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鉄道投稿情報局

のと鉄道七尾線が全線で運行を再開(第2章・【駅を襲った地震】)

JR西日本その他私鉄 2024.04.17

宮島昌之

「花咲くいろは」「君は放課後インソムニア」の聖地でもある西岸駅。地震での損傷か写真右「出札口」跡の部分が板で覆われてしまった。

同じく西岸駅。2番線ホームにあった待合室が撤去されてしまった。跡地が白く残っている。

‘24.4.6 のと鉄道 西岸(2点共)

能登鹿島駅。発災当時、駅舎に「応急危険度判定」で赤(危険)の紙が貼られ心配していたが、修復を終えてか無事に使用が再開された。

‘24.4.6 のと鉄道 能登鹿島

穴水駅。写真左の2番・3番線ホームにあった上屋根が撤去されている。またひとつ国鉄当時の面影が消えてしまった。

‘24.4.6 のと鉄道 穴水

JR七尾駅。特急列車も発着する1番線ホームの修復工事。ホームの上面を作り直す大掛かりなものになっている。

‘24.4.6 七尾線 七尾

 「令和6年能登半島地震」では、8つある駅の中で特に木造駅舎の西岸駅と能登鹿島駅の被害が気がかりだった。

 西岸駅は、国鉄より開業から90年以上経過、駅舎は一部に下見板張りの外壁が残っていて、繰り返し補修し続けながらも昭和の面影を残している。

 能登鹿島駅は、洋風建築のような佇まいの駅舎で、桜をイメージしたピンクの外壁と、アーチ形の窓枠や屋根上の風見鶏が特徴だ。

 ところが、ボランティアで被災地に行かれた方のSNSの写真を拝見したところ、能登鹿島駅に「応急危険度判定」で赤(危険)の紙が貼られており、「解体やむなし」と悲観していた。

 今回全線復旧に合わせ、私は双方の駅に下車し確認してみたが、共に修復を終えてか駅舎の外観には大きく壊れた被害は見受けられず、本当に安堵した。

 しかし、地震の爪痕は残っていて、西岸駅では、「出札口」跡や「駅事務室」跡のホーム側の窓ガラスの一部が割れたか、板で広く覆っていたほか、穴水方面2番線ホームにあった待合室は倒壊したのか撤去されてしまった。

 駅舎横のトイレも建屋の外壁が崩れ、屋根瓦が剥がれるなど立ち入りできなかった。また、能登鹿島駅では、構内踏切に降りる階段や、穴水方面2番線ホームの小さな待合室の外壁が修復されていた。

 次に穴水駅だが、今回目視で確認できた待合室や営業窓口、引き上げ線を含めた穴水運転区構内のほか、報道によると駅事務所や隣接の本社建屋も大きな被害を受けたとのこと。 そのため、発災後は穴水駅構内に停留させたNT200形の車内を「仮事務所」として使っていたという。

 また、国鉄当時から残る2番・3番線ホームにあった上屋根は、被害を受けてか撤去されてしまった。さらに、各ホームの端に立ち入り禁止の柵が設けられ、先端へ歩いて行けなくなった。

 静態保存されているNT800形(のと恋路号)やNT127(やすらぎ)も、跨線橋手前に扉付きの柵が設けられ、特別な機会などを除き自由に見学は難しくなった。

 穴水運転区構内の浄化槽設備も損傷したそうで、訪問時点では車両内のトイレが使えなかった。

 次にJR七尾駅では、改札の目の前にあり特急列車の発着でも使用している1番線ホームが特に被害が大きく、今も大掛かりな修復工事が進行中で使用できない。JR七尾線の列車は跨線橋を渡った2番・3番線ホームに発着しており、現在も暫定ダイヤでの運行を継続している。

 他の各駅のホームでは、車窓から見てみても亀裂や陥没とみれる被害箇所が目立ち、アスファルト等で修復が行われていた。

 今回、能登中島、笠師保、和倉温泉の各駅は行程の都合下車できなかったが、能登中島駅は駅舎の一部を借りて営業していた駅マルシェの店主が、発災直後からSNSで現況を随時発信されていて、私も安堵した記憶がある。

◇追記:能登中島駅の駅マルシェは4月13日と14日に限定営業したとのことで、今後も日常へ一歩づつ歩みを進めているようだ。

(※最終章につづく)

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P:宮島昌之

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