鉄道ホビダス

2011年7月アーカイブ

C62重連急行「安芸」

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糸崎駅を発車する37レ急行「安芸」。この日はC62 37+C62 23の重連で運転された。 '68.11.17 糸崎 P:鈴木博之

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南国の強烈な日差しが注ぐ中、乗客たちは皆屋根付きの場所に集まっていた。やがて到着した上り列車を引く蒸気機関車を見て一様にウンザリとした顔をしていた。 '70.7.25 上田浦 P:松崎昌一

鉱石列車

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DF50重連のセメント専用列車。機関士と機関助士が乗務し、かつ非総括制御。合わせて4名がこの列車を動かしている事実に、改めて驚く。 '78.6 九鬼 P:藤田高士

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長閑な田園風景の築堤を橋本方面に走る73系電車。この辺りに東海道新幹線の新横浜駅が開業し、今日のような発展を見るとは想像すら出来なかった。 '63.1.3 横浜線 菊名-小机 P:中島正樹

ハチロク三重連

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花輪線の三重連、8620+8620+8620+貨物の正統派編成?。事前にこの編成が分かっていないので、目の前に現れると、もう大感激。列車速度が遅いので、連写機能のない当時の一眼で、精一杯連写しまくった。 '69.1.17 龍ヶ森 P:高橋孝一

冷水トンネル

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厳しい峠越えを終えたC55 52牽引の1735レが冷水トンネルから飛び出してきた。トンネル上部には換気装置と思われる機械室があったが、実際に使われていたかは確認できなかった。 '69.5.2 筑前内野-筑前山家 P:鈴木博之

C55との対面

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天橋立へ海水浴に行ったとき写しました。当時京都に住んでいて山陰線京都口はC51、C57、D51のみでC55は入ってなかったので初めての対面でした。 '63.7.31 天橋立 '63.7.31 P:青山春樹

小休止

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勾配区間の力強さに比べるとたなびく煙はカマが昼寝をしているかのような情景。入出区の慌ただしさが一段落し、のどかな感じの吉松区の午後。手前からD51 1058、D51 890、奥にC56 99。 '70.5.1 吉松機関区 P:青木一郎

鳥海山

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鳥海山が小噴火した翌日、早速山麓の南鳥海まで行ってみた。しかし、山には何の変化も見られず、いつも通りの雄大な姿があった。その麓をED75牽引の普通列車がやって来た。 '74.3.3 南鳥海-本楯 P:中島正樹

交直接続

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北陸本線の交直流のデッドセクションが米原-田村(正確には坂田-田村)間にあって、その間のみの客車列車、貨車列車の牽引にD50それにこのED30が使われていました。ED30浜松工場でEF55の部品を流用した1台のみの試作機でした。 '63.6.9 坂田-田村 P:青山春樹

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山田線宮古駅近くのラサ工業専用線、タンクのリベットが目立つ古豪C10 8が活躍。勾配ありトンネルあり、休憩時間にはキャブに乗せてもらったり、一日楽しく撮影させていただいた。 '75.8 P:小林哲哉

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大学の鉄研の合宿の一環として、総武本線のC57を撮影に行った。築堤を駆け上るC57の勇姿にみな大いに感動した。 '69.9.12 飯岡 P:高橋孝一

薩摩路のC60

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翌月に交流電化を控えた鹿児島本線南部、最後の蒸機を求めて暑さにもめげずにやって来た。ただ土地勘に乏しく、やっと見つけたシュロの木を取り込んで南国らしさを表現してみた。 '70.8.6 木場茶屋-隈之城 P:中島正樹

D62 10

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この日は、須磨から塩屋へと移動しながら撮影していた。その中の一枚。貨物列車はD52もしくはD62が牽引に当たっていた。D62 10〔吹ー〕  '58.5 塩屋付近  P:小西 明

C61 28最後の活躍

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矢立峠が新線に切り替わり魅力はなくなりましたが、白沢を17時45分に発車する客833レは大館からD51の補機(回送)を付け、旧線越えのスタイルで14.7‰の新線を越えてました。現在この線は上り線として使われ、下り列車は大きく西側に回りこみ、有名なお立ち台になってます。 '71.8.2 白沢-陣場 P:武者秀男

「あかつき51号」

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EF58が牽引する臨時特急「あかつき51号」です。2ユニット・12輌編成の、14系オール座席の「ブルートレイン」は、繁忙期になると、山陽路を駆け抜けました。 '78.8.13 
 幡生-下関 P:小林慎治

新橋のD51

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「汽笛一声」から100年近くになりますが、テンダーと駅名を一緒に、もうこの駅ではケムリは見られなくなるのかと思いましたが、その後何回か走りました。これで首都圏から消えました。 '70.10.10 新橋 P:江川智和

呉線さよなら列車

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呉線はC59、C62の大型蒸機が急行「安芸」などで活躍していたが、電化により昭和45年9月末で引退する。C59 161号機に最終の急行「安芸」には、特製ヘッドマークを装着して惜別の思いで見送った。 '70.9.30 安芸幸崎-須波 P:中川弘一

民営化直前

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JNRキャンペーンガールがとても可愛かったので、断って撮らせてもらいました。写真は民営化直前、マイテ49展望車復活時のものです。 '87.3.22 P:多賀章善

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千歳線には重連貨物の設定がかなりあり、補機はC58とC57共用であったがC57定期補機の貨物も見られた。新線が完成し(左手に見えます)切り替え前の旧線を驀進するC57 6号機。 '72.12.28 北広島-西の里(信) P:千葉武男

高原の人気者

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イベントの混合列車が小海線清里駅に到着。「あっ、ポニー」といっているかどうかわかりませんが、珍しげに蒸気機関車を眺める登山者。さりげなく汽車を見に集まる人々も、プレートの拓本を採る子供たちも、騒がしさは無く、間近で眺め、触るのが楽しいという雰囲気です。機関車に乗せてくれる乗務員の人たちも、温かさに満ちています。そして、この年の遅くC56は消えていきました。このときの思い出、一人ひとりの、心の中にまだ残っているかなあ。 '72.5 清里 P:長津 徹

映える白煙

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回送機が付いたのか重連でやって来た。思いがけずの幸運に小雨模様の気の重さが吹き飛んだ。緑の山に白煙が映える。 834列車 機:C57 169+C57 '70.5.3 P:青木一郎

平機関区にて

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転車台はどこの機関区にもあり、そこに乗せられている蒸機は、まさに花形役者だった。今、ナメクジドームのD51が回転中。このような光景は、今、上越線の水上でも見られるが...。 '67.4.1 平機関区 P:高橋孝一

Ωカーブ

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天竜川の河岸段丘上を走る飯田線、Ωカーブを描きながら標高を下げて中田切川を渡り、再び対岸の段丘へと上り返す。このカーブを見下ろすポイントで待つとやがてED19のトップナンバーが姿を見せた。 '74.4.6 田切-伊那福岡 P:中島正樹

梅小路のC51

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C51 271の山陰線の旅客列車の牽引への出発前の整備、掃除風景です。梅小路機関区の見学の時に写した1コマ。 '63.9.8 梅小路機関区 P:青山春樹

道東のC58

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初めての冬の北海道。この頃はどの蒸機も元気に煙を出していた。駅構内ではC58が頻繁に入換えをしていたことを覚えている。 '73.3.15 釧路 P:宮山幸雄

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アプト式解消のために造られた碓氷峠越えの新線。アプト起点付近をEF63重連に押されて下り準急1605M「軽井沢1号」80系が行く。この時期アプトもまだ健在で双方の運行が見られた。 '63.9.15 横川-軽井沢 P:中島正樹

札幌駅のC62

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当時の札幌駅地表ホームが見える構内で翌日の鉄道100年記念運転に備え停車中のC62 2・3号機初めて撮った一枚。 '72.8.26 札幌 P:新井晃司

一次型ヒサシなしEF66 18〔関〕牽引の6レです。国鉄時代(vol.26)を読ませて頂き、早速、アルバムの中を探しました。 '86.8 湯河原-真鶴 P:采女 誠

新鋭機

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関門トンネルの下関側出口で、友人O君とカメラを構えました。奮発して買った36枚撮トライ-Xには、新鋭機EF81 303とO君が、当時のまま記録されています。 '79.5.19 門司〜下関 P:小林慎治

キユニ18

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揖保川橋梁を行くキユニ18のサイドを、バッチリ押さえたかったのですが、シャッター速度に難あり。少し被写体ブレ。せっかくPKRを使ったのに、ちょっと悔やまれる一枚。 '80.8 東觜崎-播磨新宮 P:芝地寛之

夕陽を浴びて

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待機中のC61 19号と20号機。冬の朝日を浴びて、ボディが鈍く輝く。 '72.1 南延岡機関区 P:藤田高士

野菜臨

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大学時代によく通った小海線。野辺山-小淵沢間に設定された高原野菜の臨時列車を狙って、訪れました。小淵沢に向かう上り列車はC56お得意のバック運転。最高地点までの力行区間で、放牧中の牛を取り込んだ写真を、と牛の糞を避けながら牧場をウロウロ...。やっとの思いでこのショットをモノにしました。 '71.9.28 清里-野辺山 P:柿浦和敏

晩秋の朝

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霜が降りた朝、真っ白な蒸気を残して、D51の牽く貨物列車がダッシュして来た。 '73.11.24 高崎新田-東高崎 P:齋藤隆行

駒ケ岳とデゴニ

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始発準備の転線と共に蒸気作りの投炭が始まったようだ。雄大な駒ケ岳をバックに豪快な煙が立ちのぼる。大沼公園駅発8144列車。機:D52 140。 '72.5.5 大沼公園 P:青木一郎

C58と機関士

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春休み、総武線に蒸気機関車を撮りに行く途中、千葉駅で撮影。当時としては大変めずらしい、「おヒゲ」がかっこいい機関士サンをカシャッ。そうしたら「あんちゃん、こっちこ〜」と、キャブに乗せてもらい、記念写真を撮らせて頂きました。 '69.3.30 千葉 P:寺内 平

冬晴れ

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両毛線の未電化時代には、C50やC58が活躍していた。電化ポールや架線のない線路はこれほどまでもスッキリ。C58牽引の貨物列車が冬晴れの朝を駆ける。 '67.2.19 思川-小山 P:高橋孝一

南国のハドソン

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電化工事が始まりハドソンC60最後の活躍の舞台となった鹿児島本線。同じハドソンのC61に比べてテンダーが長い分バランスがよかった。夕方の222レを牽いてやってきたのは鹿児島機関区のC60 18。 '69.2.9 湯之元-市来 P:鈴木博之

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穏やかな午後のひと時、静かにやって来たのは後藤工場式の変形デフ機。数少ないこのデフが今になって498に装備されるとは驚き。 862列車 機:D51 499 '70.2.28 殿田 P:青木一郎

最後のC59

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呉線の電化開業前日、糸崎機関区を訪れると、急行「安芸」牽引のC59 161号機に惜別のヘッドマークと日章旗を掲げて最後の花道に向けての準備が進んでいた。 '70.9.30 糸崎機関区 P: 中川弘一

EF58とレールバス

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天竜浜名湖鉄道と伊勢鉄道へのレールバス(合計10輌)を牽引するEF58 89です。美しい夕日の中を新鶴見まで担当しました。(臨貨9586レ) '87.2.20 宇都宮-雀宮 P:采女 誠

ある夏の日に

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日本一長いの直線区間。撮影場所を探して延々と歩き、やっと見つけた踏切で列車を待った。遠くの陽炎にその姿を見つけてから15分位経っただろうか。なめくじがのんびりとやって来た。 '74.7.16 社台-錦岡 P:古澤成博

普通列車 岩国行き

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電化はしていたが普通列車、優等列車は蒸気機関車が牽引していた。C59やC62がひっきりなしにやって来た。C62 35〔梅〕  273レ '58.2  垂水-舞子 P:小西 明

越前のハチロク

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職場旅行で北陸地方へ行った機会を利用して、越美北線へ8620形の貨物列車を撮影した。田園風景と背後の山並みは雪化粧して美しく、88623号機の煙が凄く迫力ある姿を見せてくれた。 '73.3.11 計石-牛ケ原 P:中川弘一

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東海道本線と横須賀線が交互に発着するラッシュアワー、上りホームは乗降客であふれていた。下りホームには8時19発に修学旅行電車「ひので」が到着した。40年前の横浜駅朝の光景である。 '71.10.15 横浜 P:内田博行

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北海道の炭砿地帯に蒸機を求めて夕張鉄道鹿ノ谷機関区を訪問。許可を得て構内に入ると、お馴染みの蒸機が出そろう機関庫前ではちょうど職員による朝のラジオ体操が始まっていた。この頃は夕張もまだ元気だった。 '67.5.3 鹿ノ谷機関区 P:中島正樹

峠へ

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この日の生田原から登って来る貨物はタンク車の重さのせいか、いつもよりゆっくりで止まるのではないかと思うくらいでしたが、奮闘するD51は線路に砂を撒きながら確実に登って行きました。 '75.3 生田原-常紋信号場 P:吉葉富雄

梅田の俯瞰

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デパートの屋上に登る階段は大阪駅に出入りする列車を撮影する格好のお立ち台だ。新大阪方向からDD54が福知山線の夕方の通勤列車を引いてやってきた。 '77.5.7 大阪 P:鈴木博之

炎天下の峠

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真夏の暑い日。上目名の峠を登るD51貨物を待つ。眩しい空を暗くするほどの黒煙に驚いたが、できた写真を見てダブルルーフの客車が写っていたのにまた驚いた。D51 804。 '73.8.4 上目名 P:小林哲哉

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JNRとJTBのコラボ「京都汽車ポッポの旅号」。先頭は、関西D51のスター499号機。 '71.5.16 山陰本線 高津-石原 P:石地康司

墨絵の世界

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後期の試験期間中に雪が降り、矢も立てもたまらず金子坂に行った。雪が止み、デコイチ重連が軽い雪煙を上げてやってきた。そこには、首都圏の近くとは思えない雪と蒸機の織り成す墨絵の世界が広がった。 '69.3 東飯能-金子 P:古屋伸夫

昭和の風景

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朝から引越しの荷造りも済み、一段落したところで2年間住んだ官舎を記念にと思い撮影した一枚。人通りのない簡易舗装の道端に立つ街灯、板塀。ちょうど、クハ55形(?)の普通電車が出て行くところだった。 '58.3.30 新長田駅 P:小西 明

最果てのC55

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最果ての路線にあこがれ、2度目の北海道は真冬の宗谷本線に行った。札幌からの夜行列車で南稚内に降りた同好の士は約30人、それぞれ好み場所へ散った。初めての場所で失敗を恐れ、手堅くカーブでC55をねらった。 '73.1.2 抜海-南稚内 P:中島正樹

撮影後の悲劇

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箱庭のようなこの場所でDD54の旅客列車を俯瞰した。満足感一杯で撤収を始めたその時、スローモーションのように三脚が傾き始め借り物のAE-1はコンクリートにぶつかり、泣きたい気持ちになった。 '77.5.28 長谷-生野 P:野々村康久

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家族旅行中の長野駅で、たまたま「ファミリーD51号」に遭遇、発車風景にあわててカメラを向けた。そのカットの端に、たまたま地上時代の長野電鉄長野駅が写っていた。それに気づいたのはつい最近のことである。 '72.8 長野 P:井芝七路