鉄道ホビダス

播但線の最近の記事

あれから40年

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夏休み最後の日、弟と二人で和田山へ来た。事務所を訪ね許可をもらい煉瓦庫に入ると、油の匂いの中にDD54がいた。あれから40年。二人の少年たちは、共に五十歳を超えた。 '77.8.31 和田山機関支区 P:野々村康久

通過列車

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車内から急行の通過待ちを撮った一枚。非冷房のキハ58前面ガラスに映るDD54など...、40年目に新たな発見があった。急行「但馬1号」と631レの交換と思われる。 播但線 溝口 '77.2.24 P:野々村康久

キヤノンAE-1

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「連写一眼」というキャッチコピーで、一世を風靡したカメラを父が買ってくれた。同級生と一緒に撮影した1691レは、生野トンネルへ入っていった。 '78.2.11 播但線 生野-新井 P:野々村康久

清々しい駅

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659Dで長谷駅に到着したので636レの到着まで時間が少なくやむなく駅撮りを選択。前補機が付かない列車なのでC57を期待していたがすでにDD54に代わっていた。この時代はどこの駅も手入れの行き届いていた。 '72.5.21 播但線 長谷 P:鈴木博之

霧の渓谷

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幾度も通った播但線の有名な撮影地、この日は築堤の下から狙ってみました。霧の中、DD51牽引で和田山へむかう629レ。前年の秋まではDD54の牽引でした。この1年後、客車も50系に代わりました。 '78.1.16   播但線  長谷-生野 P:芝地寛之

わが青春のDD54

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私の影響でDD54が好きになってしまった友人がいた。彼は私を誘って播但線に向かった。今でいう追っかけ。KAWASAKI KH250のタンデムシートに私を乗せて走った。今も青春は白煙の向う側にある。 '77.11.23 播但線 生野-新井 P:野々村康久

和田山の夜

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乗り換えのため下りた和田山で、時間があるため、機関支区を訪れたら、遅い時間にも関わらず、快く入れて頂いた。三次型ラストナンバーの美しいC57が静かに息づいていた。 '71.3.27 P:牧 光一

水車と客レ

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職場の同僚に新野に水車がある事を教えてもらい出掛けた。数はそれなりにあったが、鉄道と絡めて撮影するのは難しかった。今もこの水車はあるのだろうか? 636レ '86.7.31 播但線 新野 P:田中敏一

DD54の並び

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1977年当時の姫路駅には、知る人ぞ知るレアな時間帯があった。東3番線の631レと並ぶ1691レ。私はこのシーンが大好きだった。この頃は、父が手配してくれたハーフカメラが宝物だった。気づけばもう38年も前。ハーフカメラの残像。 '77.3.31 播但線 姫路 P:野々村康久

市川に沿って

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川面に影を映した写真が撮りたくてここへ来た。長谷駅から遠い道のりだった。標準レンズだけで勝負していたあの頃が懐かしい。 '77.10.28 播但線 長谷-生野 P:野々村康久

姫路駅のDD54

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631レ最後尾の荷物車から、DD54の撮影を車掌にお願いしたら許可してくれた。車掌室辺りからの撮影だったと思う。 '77.10.28 播但線 姫路 P:野々村康久

競演

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播但線の生野越に挑んだDD54とC57の重連貨物列車。新鋭DLとベテランのコンビが競演で生野トンネルに向かいます。サミットは生野トンネルの生野方出口。 '72.2 播但線 生野 P:中川弘一

C57のスキー臨

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昭和40年代、冬季には播但線経由のスキー臨「但馬銀嶺号」が設定されており、播但線ではC57が牽引していました。真新しい12系客車を牽引、天空高く煙を上げて和田山を出発して行きましす。 '72.2 播但線 和田山 P:中川弘一

播州平野の片隅で

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溝口駅からしばらく行くと播州平野から山間に入る好撮影地で徐々に大きくなるブラスト音と共に森の奥から煙が現われました。 '72.3.12 播但線 溝口-福崎 P:石地康司

DD54終焉の頃

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姫路駅の東にある朝日橋から、夕方の播但線ホームを見ると3種のカマ並びを見ることができた。 '78.3 姫路 P:野々村康久

終焉迫るDD54

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通学に播但線を利用していた同級生と一緒に撮った一枚。現地集合の約束に彼は原付CB50でやってきた。 '78.6.14 播但線 溝口-福崎 P:野々村康久

サロンカーなにわ

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"サロンカーなにわ"による団体列車が走ると知って休みを取った。露出が厳しいことを承知でここを選んだ。子供を連れた男性と、たった2人だけの撮影だった。牽引機は今も現役で、先日、重連で"なにわ"の先頭に立つ姿を東海道本線山崎で連写した。 '87.3.30 長谷―生野 P:野々村康久

生野越え

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どんよりとした曇り空の下、単機で生野越えに挑む上り貨物列車。この先最後の難関、生野トンネルが待ち構えている。 C57 113 692レ 新井-生野 P:田中敏一

機回し作業

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寺前止まりで到着した列車から離れたこのカマ、今度は折り返し列車の先頭に付くために移動中。春先とはいえ、陽ざしは山に遮られ早い日暮れ。淡い煙と発電機からの蒸気が何か寂しさを感じさせる。 機:C11 178 '69.3.15 P:青木一郎

冬の生野越え

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1月の山の中しかも早朝、手足が冷えるのを我慢して待つこと20分、表れた列車は横から朝日を受けて美しかった。通過したら途端に空腹が襲って来た。しかし日曜朝で店はなし。上りを撮るために反対側に移動。昼過ぎまで我慢した。 '72.1.9 長谷-生野 P:吉岡靖夫

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「但馬52号」は旧客を連ねたC57牽引の帰省臨でした。今ならこんな魅力的な列車の運転日は毎日でも通っているだろうに当時はこの一日だけ撮影に行って満足していました。 '72.8 新井-生野 P:髙橋 明

冬の生野越え

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1月の山の中しかも早朝、手足が冷えるのを我慢して待つこと20分、表れた列車は横から朝日を受けて美しかった.通過したら途端に空腹、しかし日曜朝で店はなし.上りを撮るために反対側に移動.昼過ぎまで我慢した。 '72.1 播但線 長谷-生野 P:吉岡靖夫

生野越えのDD51

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DD51が生野峠に挑みます。DD54からバトンタッチした播但線でDD54が客車の先頭に立つことがないことを実感した日でした。 '78.3.17 新井ー生野 P:船江 晋

C57三重連

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冬季、スキー臨の送り込み回送で636レが休日前日にしばしば三重連となったが、 今回の三重連は播但線におけるC57引退を記念してのお別れ運転。生野越えの名撮影地「円山の築堤」には100人近いファンが集まった。撮影後は、ここに来ることはもうないだろうと感傷的になった。 '72.9.30 播但線 生野−新井 P:吉岡靖夫

郵便配達とDD54

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初めてのアルバイトは年末年始の郵便配達。対価は望遠レンズに変り、大好きなDD54を撮りに行った。 '78.2.11 播但線 長谷-生野 P:野々村康久

折り返し

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播但線では姫路から寺前止まりの区間列車が多く設定されており、C11が行き来していた。上り列車として折り返すまでのわずかな時間に助士は火床整理を、カマ上では石炭掻きと給水が行われていた。 機:C11 178 '69.3.15 寺前 P:青木一郎

残雪の峠

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播州地方の冬、残雪の山並をバックに山陰線で見慣れた。C57 5の勇壮な姿に感動! '72.2 生野ー長谷 P:中川弘一

但馬51号

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夏の海水浴シーズンに運転された「但馬51号」。姫路からは豊岡区のC57が担当で生野の峠を軽快に下ってきました。 '71.8.2 播但線 新井-生野 P:石地康司

さよならC57

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播但線にCC57三重連の蒸気機関車さよなら列車が走ったのは、曼珠沙華の花が咲き誇り、その深紅の花が沿線を華やかに彩っている頃です。ヘッドマークの掲出もケバケバしい厚化粧も施されていない好ましい姿のC57が牽く「さよなら」列車でした。 '72.9.24 甘地-福崎 P:髙橋 明

DD54終焉迫るころ

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帰りの時間を考えながら、撮影ポイントを探していたら、溝口から福崎まで歩いてしまった。昔はこんなことがよくあった。 '78.4.29 溝口-福崎 P:野々村康久

C11 292

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播但線撮影の帰り、乗ってきた1632列車のカマです。ご存じ、新橋駅前の「SL」の現役末期の姿。 '71.12.27 姫路 P:光野 博

雨の三重連

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播但線最大の難所生野越え。この日は小雨まじりの寒い冬の日でしたが、C57の三重連の運転日とあって、多くのファンが来ていました。 '72.2.26 新井-生野 P:水野秀昭

雪の生野越え

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雪が舞う生野駅でC57 11の貨物列車が待避しています。生野駅は構内外れから直ぐに始まる勾配のために駅本屋の東側に行き止りの待避線が別に設けられ、この691レはC57牽引の客レ631レが生野駅を出発するとシズシズとバックして本線へ出て行きます。 '72.2.20 生野 P:髙橋 明

生野越えに向けて

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生野付近を頂点とする勾配もこの付近ではまだ緩く、やや開けた谷間を姫路行きのC55が軽やかに走っている。山間部にはまだ雪が残るもののここでは春も間近い。 '64.3.12 竹田-青倉 P:中島正樹

和田山のDD51

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暑い夏の日、DD54の客レに乗って和田山へ来た。和田山機関支区にいたのはDD51。DD54の終焉が近いと感じた瞬間だった。 '77.7 和田山機関支区 P:野々村康久

C57回送

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播但線のC57は豊岡機関区の所属であったため、和田山駅までは後付回送で送り込まれていた。養父駅で待つと、DF50牽引の客車列車の最後部に連結され、11号機が現れた。 '71.9.24 養父 P:上村俊之

播但線 夏の風物詩

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夏休みになると山陰地方、城崎方面への海水浴客用として臨時急行が大阪から播但線や福知山線経由で運行される。播但線は12系冷房装置付客車を豊岡機関区のC57が牽引。生野越えは前補機にDD54が付くので若干の上り勾配がある溝口で撮影。 '72.7.24 溝口-福崎 P:武者秀男

撮影後の悲劇

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箱庭のようなこの場所でDD54の旅客列車を俯瞰した。満足感一杯で撤収を始めたその時、スローモーションのように三脚が傾き始め借り物のAE-1はコンクリートにぶつかり、泣きたい気持ちになった。 '77.5.28 長谷-生野 P:野々村康久

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DD54の前補機が付くためガッカリした人が多かった播但線の貨物列車。個人的にはC57もDD54も好きなカマだったので好んで撮影したが、内心では「別々に来てくれたらなあ!」と思っていた。 '71.1.15 新井-生野 P:鈴木博之

雪の三重連

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播但線の客車はC57が牽引していましたが、特に冬期にはスキー臨時列車が多く設定されており、上り列車の中には回送目的でC57が3台で生野峠を上ってくる迫力ある姿に感動し、多くのフアンが訪れました。 '71.2.10 生野-新井 P:中川弘一

二人羽織

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ドラフトと共にやがて山かげに煙が見えてきた。期待を高めつつ覗くファインダーに見えたのは前補機のDF。外れた期待に大落胆。意気消沈でやぶれかぶれの正面写真。 694列車 機:DF50 566+C57 P:青木一郎

名残りのメッセージ

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スタイリッシュな彼女のサイドボディはいつも煤で汚れていた。ポケットティッシュで少し拭いてあげたが、よけいに醜くなくなった。明り採りのガラスに最後のメッセージを残した。私の右ひとさし指は真っ黒だった。1週間後、彼女は定期運用から外れた。 '78.6 姫路 P:野々村康久

雪の生野越え

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C57が来る直前に見えないくらいの大雪になり、慌てて線路際まで行って撮りました。 '71.1 生野-長谷 P:川瀬 剛

C57三重連

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臨客用の回送機を併結したため思いがけずの三重連が実現した。同好の士が多く集まる中、列車が近づくにつれ周りからの高まりつつあるシャッター音に急かされてしまい、見込んだ位置より早く押してしまった思い出。636列車 機:C57 156+C57+C57。 '72.2.29 新井-生野 P:青木一郎

雨の生野越え

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雨の生野峠をC57が単機で登って来た。何度も何度も空転を繰り返し、空転する度ドラフト音が消え、再びゆっくりと動き出す様は見ているこちら側まで力が入りました。 '72.6.12 新井-生野 P:高橋 明

後補機仕業準備完了

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無煙化直前の播但線。この日は訓練のためか運悪く本務機はDD54だったが、後補機のC57 93は威風堂々としていた。 '72.9.23 姫路 P:西田達哉

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DD54が牽引する「汽車」が当たり前のように発着していた姫路駅から生野へ行く途中の福崎駅で上り「はまかぜ」と交換。なんの感動もなかった駅撮り写真が今とても愛おしい。 '77.5.3 福崎 P:八木雅弘

DD54力闘

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高1の夏休み初めてこの地へやってきた。友人と二人で始発に乗り遠い道のりを歩いた。定番の場所には入ることが出来ず、大福トンネルの上から631レを狙った。凄まじい音と共にDD54は走り抜けて行った。 '77.8.15 長谷-生野 P:野々村康久